この年、堪忍の心の家康、同年に放送された連続テレビ小説『おしん』の我慢強さ、苦難を越えて横綱となった力士・隆の里とを合わせ、「おしん、家康、隆の里」という流行語も生まれた。
平均視聴率が31.2%、最高視聴率が37.4%という高い記録を残した。
一般に知られていなかった若手俳優「役所広司」が「織田信長」を演じて人気を博した。
放送後、NHKには問い合わせの電話が殺到、評判となった。送られてきたファンレターも番組出演者中最大量。「役所君の持つ、精悍さの中にある優しい瞳に我々は賭けたのだ」というスタッフの意気に応えた。
(出典:Wikipedia「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」)
脚本担当の小山内美江子の強い希望により「武田鉄矢」に「秀吉」役が配された。
徳川家康ゆかりの地を巡る
徳川家康ゆかりの地を巡るコース「浜松城」「三方ヶ原の戦いのゆかりの地」
浜松城(はままつじょう。近代以前は旧字体で「濱松城」と表記された)は静岡県浜松市中区にある日本の城跡。野面積みの石垣で有名。歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。
「家康時代」
元亀元年(1570年)に家康は武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移した。岡崎城は嫡男・信康に譲られた。当初は天竜川を渡った見付(磐田市)に新たに築城をするつもりであったが、籠城戦に持ち込まれた際天竜川により「背水の陣」となることから、曳馬城を西南方向に拡張した。その際、曳馬という名称が「馬を引く」、つまり敗北につながり縁起が悪いことから、かつてこの地にあった荘園(浜松荘)に因んで城名・地名ともども「浜松」と改めた。
元亀3年(1573年)、武田信玄がこの城を攻める素振りを見せながらこれを無視するような行軍をして家康を挑発。挑発された家康は浜松城から打って出たが、武田軍の巧妙な反撃に遭って敗北を喫した(三方ヶ原の戦い)。
三方ヶ原の戦いでは徳川軍の一方的な敗北の中、家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、夏目吉信や鈴木久三郎を身代わりにして、成瀬吉右衛門、日下部兵右衛門、小栗忠蔵、島田治兵衛といった僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。
この敗走は後の伊賀越えと並んで人生最大の危機とも言われる。浜松城へ到着した家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆる空城計を行う。そして絵師を呼んで顰像(#顰像(しかみ像))を描かせると、湯漬けを食べてそのままいびきを掻いて眠り込んだと言われる。この心の余裕を取り戻した家康の姿を見て将兵は皆安堵したとされる。浜松城まで追撃してきた山県昌景隊は、空城の計によって警戒心を煽られ城内に突入することを躊躇し、そのまま引き上げたといわれる。
(出典:Wikipedia「浜松城」)
三方ヶ原の戦い 布陣図
信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、家康が大敗したことで有名な戦である。
当初、徳川家康と佐久間信盛は、武田軍の次の狙いは本城・浜松城であると考え、籠城戦に備えていた。一方の武田軍は、二俣城攻略から3日後の12月22日に二俣城を発すると、遠州平野内を西進する。浜名湖に突き出た庄内半島の先端に位置する堀江城(現在の浜松市西区舘山寺町)を標的とするような進軍であり、浜松城を素通りして三方ヶ原台地を通過しようとしていた。
これを知った家康は、一部家臣の反対を押し切って、籠城策を三方ヶ原から祝田の坂を下る武田軍を背後から襲う積極攻撃策に変更し、浜松城から追撃に出た。
同日夕刻には、三方ヶ原台地に到着するが、武田軍は魚鱗の陣を布いて待ち構えており、徳川軍は鶴翼の陣をとって戦闘が始まる。しかし、武田軍に対し兵力・戦術面ともに劣る徳川軍に勝ち目はなく、わずか2時間の戦闘で甚大な被害を受けて敗走する。
武田軍の死傷者200人に対し、徳川軍は死傷者2,000人のほか、鳥居四郎左衛門、成瀬藤蔵、本多忠真といった有力な家臣を始め、先の二俣城の戦いでの恥辱を晴らそうとした中根正照、青木貞治や、家康の身代わりとなった夏目吉信、鈴木久三郎といった家臣、また織田軍の平手汎秀といった武将を失った。
このように野戦に持ち込んだことを含めて、全て武田軍の狙い通りに進んだと言えるが、戦闘開始時刻が遅かったことや本多忠勝などが、武田軍相手に奮戦したこともあり、家康を討ち取ることはできなかった。
(出典:Wikipedia「三方ヶ原の戦い」)
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大河ドラマ 徳川家康 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年) 豊臣秀吉:竹中直人 平均視聴率30.5%・最高視聴率37.4%
NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年) 豊臣秀吉:竹中直人 平均視聴率30.5%・最高視聴率37.4%
堺屋太一の小説『秀吉』、『豊臣秀長』、『鬼と人と 信長と光秀』(主人公:明智光秀と織田信長)の3作品を物語の基とし、脚本家の竹山洋自身が創作した逸話なども随所に取り入れてドラマ化した。
豊臣秀吉を主人公にした大河ドラマは、1965年の『太閤記』以来、31年ぶり2作目。
『八代将軍吉宗』の総集編が終わった後の予告で「これがドラマだ!」と強調、蓋を開ければ、竹中直人やおね役の沢口靖子のほか、信長役の渡哲也の重厚な演技、秀長役の高嶋政伸、なか役の市原悦子、足利義昭役の玉置浩二、千利休役の仲代達矢、光秀役の村上弘明などの脇役たちの存在感もそれぞれ光るものがあり、視聴率は当初の予想を大きく上回ることになる。
(出典:Wikipedia「秀吉 (NHK大河ドラマ)」)
平均視聴率30.5%、最高視聴率は37.4%と、歴代の大河ドラマの中でも上位に位置する高視聴率を記録した。
この作品以降で平均視聴率・最高視聴率いずれも30%を越えた作品は存在しない。
大河ドラマ 「秀吉」 op - YouTube
『NHK大河ドラマ 秀吉 完全版 第壱集』は2012年1月25日発売
『NHK大河ドラマ 秀吉 完全版 第弐集』は2012年3月21日発売
NHK BSプレミアム BS時代劇 「酔いどれ小籐次」全13回
2013年6月21日より毎週金曜20時~放送中
出演:竹中直人 上地雄輔 津川雅彦 鶴田真由 本田博太郎
秀吉:竹中直人と信長役の渡哲也
正室であるおねに惚れ大事にしているが、女好きであることを公言し、度々浮気をしている。織田家家臣時代は庶民的で命を尊ぶ性格だったが、出世と共に次第に傲慢になっていく。
(出典:Wikipedia「秀吉 (NHK大河ドラマ)」)
決め台詞「心配御無用!」は、その年の流行語となった。
豊臣秀吉役の竹中直人が事あるごとに、右手で5文字を強調しながら言う決め台詞「心配御無用!」は、その年の流行語となった。
NHK大河ドラマ『秀吉』(1996年)の放送に合わせて「北近江秀吉博覧会」の開催
北近江秀吉博覧会(きたおうみひでよしはくらんかい)は、1996年(平成8年)に滋賀県長浜市で開催された地方博覧会。
開催期間 - 1996年4月7日から11月30日まで
会場 - 長浜市街地・琵琶湖湖北一帯
テーマ - 「変革と自由」
マスコット - 「ひでよし」
入場料 - 三会場共通券……大人1000円(前売900円)小中学生600円(前売500円)
中央会場単独券……大人700円 小中学生500円
主催 - 北近江秀吉博覧会実行委員会
中央会場
テーマ:「歴史メッセージ『秀吉の夢』」
長浜駅から徒歩5分の市街地の真ん中にあり、旧映画館と商家の建物を利用したパビリオン。NHK大河ドラマ「秀吉」とタイアップ。
「ドリームキューブ」は、大型マルチスクリーンの映像とともに、音と光のページェントを繰りひろげる。
「大河ドラマ体験ヤード」は、ロケ風景などの紹介。
湖北・長浜の特産品やオリジナルグッズを販売する「物産販売・観光情報紹介コーナー」、軽食サービスなどが行われる「レストコーナー」がある。
大通寺会場
テーマ:「王国を夢見た人」
豊臣秀吉と蓮如を中心に、湖北で青春を生き、天下を夢見た人々を紹介する。
長浜城歴史博物館
テーマ:「秀吉出世城物語」
秀吉ゆかりの合戦図屏風や肖像画などの企画展を行った。
(出典:Wikipedia「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」)