歴代赤穂藩主の菩提寺「花岳寺」
現在の住職はパーリ仏教研究者で駒澤大学仏教学部教授の片山一良。
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓地、義士墓がある。浅野家、赤穂浪士に関する展示物が収蔵されている義士宝物館が併設されている。なお、義士宝物館・墓所の拝観料は大人400円、高校生・大学生(学生証提示)200円、子供無料(2009年現在)である。
(出典:Wikipedia「花岳寺」)
大河ドラマ 赤穂浪士 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年) ねね:佐久間良子 平均視聴率31.8%・最高視聴率36.8%
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年) ねね:佐久間良子 平均視聴率31.8%・最高視聴率36.8%
豊臣秀吉の正室・ねね(北政所)の視点で戦国時代から江戸時代初期(大坂の役)までを描く。
橋田壽賀子が大河ドラマの脚本を担当するのは、本作が初めてである。NHKから脚本執筆の依頼を受けた際、彼女は以前から興味を持っていた豊臣秀吉の正室・高台院(ねね)の生涯を通して、女性に焦点を当てた形で戦国時代を描きたい旨をNHK側に伝え、NHKもこれを了承した。
橋田は、高台院に関する史料のほかに、秀吉関係の史料からねねの生活を推測し、ドラマを作っていった。また、監修に國學院大學名誉教授(当時)で戦国時代史研究の第一人者であった桑田忠親を迎え、考証関係を補強した。桑田には『信長の手紙』などの著書があり、ねね宛ての悋気を戒める手紙などを本編に巧みに取り入れるなどし、織田信長配下の秀吉・ねね夫妻の生活描写に貢献した。
昭和50年代の大河ドラマは各作品とも20%から30%台の比較的高い視聴率を誇るが、その中にあっても本作が記録した平均視聴率31.8%と最高視聴率36.8%は特に高い。その高い人気もあってか、NHK衛星第2テレビジョンでは最も早く全50話が再放送された。
(出典:Wikipedia「おんな太閤記」)
NHK大河ドラマ『おんな太閤記』(1981年) 豊臣秀吉の正室・ねね(北政所):佐久間良子
本作をもって、秀吉糟糠の妻として北政所・高台院の知名度が高まったことは否定できない。また、本来高台院の俗名は「お禰(おね)」が正しいが(これについては疑問・反論もある。)、本作品以降「ねね」と呼ぶドラマ・小説・漫画が多数登場したことからも、この作品の影響の大きさが窺える(もっとも、大河ドラマでは本作以前の作品でも「ねね」又は「北政所」と書くのが一般的であり、逆に「おね」と表記されたのは、クレジット上はいずれも後年の作品である『秀吉』『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』『江〜姫たちの戦国〜』『軍師官兵衛』のみである)。
(出典:Wikipedia「おんな太閤記」)
秀吉(藤吉郎)がねねを呼ぶ際に用いた二人称「おかか」はこの年の流行語にまでなっている。
ねね (演:佐久間良子)
「秀吉殿のおかかの務め」が口癖で、普段は内助の功に徹しているが、ここという時には秀吉に対しても一歩も引かない芯の強さも持っている。
序盤では秀吉の大胆な行動に肝を冷やすことが多かったが、回を重ねるにつれ肝が据わってきた。
家中の人間関係に腐心したり、秀吉の女癖の悪さや唯我独尊的な行いに何度も秀吉と衝突したりと苦悩することが多く、人間的に包容力のある女性として描かれている。
また夫が出世を繰り返し「城主の妻」「関白の妻」となった際は、環境の変化に順応できず戸惑うなど、貧乏性が身に付いている面もある。
秀吉在命時は豊臣家のことを大事に考えていたが、秀吉死後に豊臣家臣団同士の対立と信長の姪(信長の妹・市の娘)の淀殿との溝が深まるにつれ、豊臣家は秀吉殿と私が築き上げたものと考え、大坂城を去って京都の三本木で隠棲する。
隠棲後は豊臣家では天下を治めるのは困難と考えるようになり、実力者・徳川家康に泰平の世への悲願を託す。やがて出家し高台院と称し高台寺で過ごす。物語はねねが炎上する大坂城を見届け、背を向けて去っていくところで締めくくられた。
(出典:Wikipedia「おんな太閤記」)
女性の視点からの戦国時代の描写は、従来の男性を中心とした戦国時代のファン層のほか、主婦層にも幅広い支持を得て、平均視聴率31.8%(2009年現在、歴代5位)、最高視聴率36.8%を記録した(ビデオリサーチ調べ・関東地区)。
劇中で西田敏行扮する秀吉(藤吉郎)がねねを呼ぶ際に用いた二人称「おかか」はこの年の流行語にまでなっている。
豊臣秀吉の正室『ねね』(北政所)のお寺として有名な「高台寺」への観光客が増加
秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院「高台寺」
霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ぶ。他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。
豊臣秀吉が病死したのは 慶長3年(1598年)であった。秀吉の正室である北政所(ねね、出家後は高台院湖月心尼)は秀吉の菩提を弔うための寺院の建立を発願し、当初は北政所の実母・朝日局が眠る康徳寺(京都の寺町にあった)をそれに充てようとしたが、手狭であったため、東山の現在地に新たな寺院を建立することになった。
秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命した。中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。
高台寺の開山は慶長11年(1606年)で、当初は曹洞宗の寺院であった。寛永元年7月(1624年)、高台寺は臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘。この時、高台寺は曹洞宗から臨済宗に改宗している。
(出典:Wikipedia「高台寺」)
高台寺 秀吉とねねの寺

大河ドラマ おんな太閤記 | NHK名作選(動画他)

NHK大河ドラマ『徳川家康』(1983年) 徳川家康:滝田栄 平均視聴率31.2%・最高視聴率37.4%
NHK大河ドラマ『徳川家康』(1983年) 徳川家康:滝田栄 平均視聴率31.2%・最高視聴率37.4%
「昭和59年から大河ドラマは近代路線に移行する」とのタイムテーブルのもと、時代劇大河・最後の作品として「戦国時代・最後の大物」徳川家康を主人公としたこのドラマは企画された。スタッフが意図したものは大河ドラマの王道たる「直球」的作品。
当初はオリジナル脚本案も浮上したが、過去にNET系(現:テレビ朝日)でドラマ化された例はあるものの「山岡荘八・著『徳川家康』ほど家康に関する名作はない」との結論に達し、山岡荘八の小説『徳川家康』を原作にしたドラマ化がスタートした。
家康の出生前からその死までを描く山岡版「家康」、その原作に忠実を期し「家康の生涯は生母・於大を抜きには語れない」との意見から於大役に、息子・家康役の滝田栄より7歳年下の大竹しのぶを配するなど大胆な配役がされた。従来陽気な秀吉に比べ老獪な謀略家としての面が強調されていた家康を泰平を求める求道者として描いた。
また、それまで一般に知られていなかった若手俳優役所広司が織田信長を演じて人気を博した。この作品で一躍注目を集めた役所は出演ドラマ・映画が増え、NHKでも翌年のNHK新大型時代劇『宮本武蔵』で主演を果たしている。
音楽は過去『新・平家物語』などでもテーマを手がけた冨田勲が担当した。この作品でもシンセサイザーと混声合唱、打ち込み音楽をあわせたものであり、重要な局面においては館野直光アナウンサーの語りと相まった。そして、オープニング・テーマでは一定の旋律を転調しながら繰り返すのみのシンプルな楽曲であった。
映像では山奥の小さなせせらぎが小川となり、幾つかの滝や濁流を経て大河となって、やがて大海に注がれるといった演出がなされた。また、家康にゆかりのある日光の華厳滝なども登場した。
(出典:Wikipedia「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」)
兵庫県赤穂市にある。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。大石良雄ら赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神とする。
(出典:Wikipedia「大石神社」)