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「大高博士をおそったほんものの亡霊」 村松定孝著「わたしは幽霊を見た」の中に収録。
『わたしは幽霊を見た』に多くの子どもが震撼した最大の要因は、口絵部分に掲載された幽霊のスケッチ。
「大高博士」なるお医者さんがとある病院で実際に目撃し、その直後にスケッチした「亡霊」の姿……として掲載されています。
これがもう、年端のいかぬガキどもにはなんとも衝撃的でした。今見るとただの「ヘタな絵」なのですが、それでも尋常じゃない迫力があります(オトナが書いたとは思えぬ)。
心霊写真ブーム 「中岡俊哉」による「恐怖の心霊写真集(サラブックス)」 「世界怪奇スリラー全集」など児童向け怪談が一斉を風靡した。
中岡 俊哉 (著)「恐怖の心霊写真集―あの世からの来訪者たち」
ユリ・ゲラーのスプーン曲げは、1970年代に流行しました。超常現象・オカルトが注目されはじめた時代です。超常現象研究家の中岡俊哉もブームの中心的人物の一人でした。
中岡俊哉の人気の理由は、研究対象が超能力だけに留まらなかったことです。心霊現象にはじまり、超能力、宇宙人、怪獣など超常現象全般に精通していました。中岡俊哉は70年代の超常現象・オカルトの火付け役と言ってもいいかもしれません。
中岡俊哉先生の念写実験
世界一有名な心霊写真「茶色の貴婦人」(Brown Lady)
世界一有名な心霊写真「茶色の貴婦人」(Brown Lady)
茶色の夫人、というのは幽霊が来ているドレスが茶色をしている事に由来する。彼女は政略結婚で嫁いできたのだが、浮気を咎められて屋敷の一室に幽閉され、亡くなったと言われている。一説には階段から突き落とされて首の骨を折ったのが死因ともされている。
彼女の幽霊は彼女が亡くなった直後、1700年代から目撃されていたのだが、1936年に決定的な写真が撮影されることとなる。それが、この写真だ。
出典:『リアルライブ』これが本物の幽霊? 「茶色の夫人」写真の謎!
文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所
https://npn.co.jp/article/detail/12101594/
1936年9月19日、カントリーライフ誌の撮影のためにカメラマン・ヒューバート・C・プロヴァンドと助手が「レイナムホール」に訪れた。
実はその100年前も前から、レイナムホールでは女性の幽霊が目撃されていたという。
その日、彼らはホールのメイン階段の写真を撮影して、2階に上がるために階段を登ろうとしていた。すると、階段の上から「不思議な形をしたものが、次第に女性の形になっていきながら」降りてくるのに助手が気づいた。
助手のディレクションによって、プロヴァンドは慌ててカメラを向け、フラッシュをたいたという。
帰ってから、ネガを見てみると、そこには「茶色の服を来た貴婦人」の姿がはっきりと見て取れた。その写真の幽霊は「Brown Lady(褐色の貴婦人)」という名が付けられたという。
コナン・ドイルも騙された「妖精写真」(コティングリー妖精事件)
コティングリー妖精事件(コティングリーようせいじけん、The Case of the Cottingley Fairies)は、イギリスのブラッドフォード近くのコティングリー村に住む2人の従姉妹フランシス・グリフィス(1907年9月4日 - 1986年7月11日)とエルシー・ライト(1901年7月10日 - 1988年4月)が撮ったという妖精の写真の真偽をめぐって起きた論争や騒動のことをいう。この写真は2人による捏造であった。
後で分かった妖精写真のトリックはとても原始的で、絵本を模写して描いた妖精のイラストを切り抜き、近くにあるキノコにピンで留めて撮影したというものでした。
・・大高博士が遭遇した幽霊の話
其れは、忘れもしません。昭和27年8月20日午前3時半ごろの事です。
其の前日、有人のA君と下北半島の陸奥市へ遊びに行き、其の夜は仲間の居る海辺の病院に一泊させて貰う事になりました。
夜が更けて、ひとつの部屋に案内され、ベッドに入りましたが、夜中にふと眼を覚ますと、
「大高先生、誰かが外に居るんです」というA君の声です。
「どなたですか。なにか、御用がおありですか」私が声をかけると、足音が、はたと途絶えて、
「寒いんです………。とても、寒いんです……」
それはそれは、寂し気な声が聞こえてきました。
「それならどうぞ、中へお入りになりませんか」
その途端、ドアがキーと開くと、いきなり、本当に氷の様に冷たいものがベッドの中に入り込んできたのです。
「こらッ!」
私が夢中で叫んだ途端に、目の前に、この亡霊が現れたのでした。