「おひかえあそばせ」「気になる嫁さん」「雑居時代」「水もれ甲介」「気まぐれ天使」に「気まぐれ本格派」と石立鉄男のホームドラマといえば、脚本は何と言っても松木ひろし。「パパと呼ばないで」もモチロン松木ひろしなのですが、実際には向田邦子、窪田篤人、山本邦彦、葉村彰子といった面々が脚本を書いています。しかも、向田邦子に至っては松木ひろしよりも多くの脚本を書いてるんですよ。
ところで、松木ひろしと向田邦子は「だいこんの花」の脚本も二人で担っていました。何故か?何故そんなに仲が良いのか?もしかしてデキてたのか?と憶測が飛ぶわけですが、当時のテレビ界は、映画出身の作家が優遇されていて、テレビやラジオ出身作家の待遇が悪かったそうです。なので、その待遇改善のために、1970年に向田邦子・松木ひろし・窪田篤人らによって作家集団SHPを立ち上げているんですよ。
向田邦子が松木ひろしや窪田篤人などとひとつの作品で脚本を分け合っているのには、こうした背景もあったようですね。
ところで、松木ひろしと向田邦子は「だいこんの花」の脚本も二人で担っていました。何故か?何故そんなに仲が良いのか?もしかしてデキてたのか?と憶測が飛ぶわけですが、当時のテレビ界は、映画出身の作家が優遇されていて、テレビやラジオ出身作家の待遇が悪かったそうです。なので、その待遇改善のために、1970年に向田邦子・松木ひろし・窪田篤人らによって作家集団SHPを立ち上げているんですよ。
向田邦子が松木ひろしや窪田篤人などとひとつの作品で脚本を分け合っているのには、こうした背景もあったようですね。
「パパと呼ばないで」 第1話 (1 / 3) 石立鉄男
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「パパと呼ばないで」の後に1972年はもう一本、「だいこんの花」第3シリーズの脚本も手掛けています。年間になんと5作品。まさしく売れっ子、働きっぱなしです。
寺内貫太郎一家
1972年に働き過ぎたか1973年は「時間ですよ」第3シリーズのみで、その分1974年は蓄えたパワーを全開させたかのように「寺内貫太郎一家」では原作と脚本を担当しています!
東京・谷中で3代続く石屋「寺内石材店」を舞台に、何か気に入らないことがあるとすぐちゃぶ台をひっくりかえすような、カミナリ親父を中心とした家族の日常を描いたホームドラマ。
もうこの作品には向田邦子のアイデアがぎゅうぎゅうに詰まってます。当時のホームドラマの殻を破ってやろうと思ったのかどうかは分かりませんが、殻、思いっきり破れてます。
ドラマなのに何故かレシピが出たり、お決まりの会話が飛び交うユーモアたっぷりの食事シーンや、アドリブ展開を徴用しつつ、貫太郎と長男の周平(西城秀樹)との大喧嘩(西城はこのシーンの撮影で実際に腕を骨折して入院)、きん(悠木千帆)婆さんが沢田研二のポスターを見て身悶えしながら「ジュリ~!」と叫ぶシーンなどが話題になった。また、職人のタメとイワが石を削りながら掛け合うシーンも見所。
寺内貫太郎一家(1974)[画質良] 第2話
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ただ苦労も多かったようで、タイトルにしても当時はひらがなで軽いドラマタイトルが多かったのに反して、「四角ばって漢字の多い(中略)左右対称で末広がりに落ちついた」タイトルを望んだところ、「寺内貫太郎一家」ではやくざ一家の物語のようだとか、親の過失で身体障害者となった娘という設定はまずいだの、そもそも墓石屋という設定は縁起が悪いだろといった反対意見が諸方面から出たと言います。
プロデューサーであった久世光彦の力量もあったのでしょうが、それらを跳ね除けて向田邦子は見事な大ヒット作品に仕上げたという訳です。
プロデューサーであった久世光彦の力量もあったのでしょうが、それらを跳ね除けて向田邦子は見事な大ヒット作品に仕上げたという訳です。
家族熱
1974年は「寺内貫太郎一家」以外にも「時間ですよ・昭和元年」「だいこんの花 第4シリーズ」を担当し相変わらず好調です。以降、1975年「寺内貫太郎一家2」、1976年「七色とんがらし」、1977年「冬の運動会」「眠り人形」「最後の自画像」「だいこんの花 第5シリーズ」「せい子宙太郎‐忍宿借夫婦巷談」と続きます。
1975年、1976年に作品が少ないのは、1975年に乳癌の手術を受け、その遺症として肝炎と右腕が動かなくなるという状況に陥ったことによるのでしょう。
そして1978年、「家族熱」を書きあげます。
1975年、1976年に作品が少ないのは、1975年に乳癌の手術を受け、その遺症として肝炎と右腕が動かなくなるという状況に陥ったことによるのでしょう。
そして1978年、「家族熱」を書きあげます。
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黒沼家は祖父・重光、父・謙造、母・朋子、長男・杉男、次男・龍二の5人家族。朋子が後妻に入ったのは13年前。その間、厳しい姑に献身的に仕え、その死に水も取った。大手建設会社部長で仕事一筋の夫には良き妻として、また幼かった2人の子供たちを立派に育ててきた。そうしたある日、朋子は、龍二がある事情から黒沼家を去った実の母親と会っていることを知る。そして朋子の一番の理解者、杉男も会っていた。さらに夫までが仕事に有利な情報を前妻から得ていた。この13年間、この家、家族に注いだ愛は、いったい何だったのか。「私は13年の歳月をドブに捨てたのよ!」という捨てぜりふを吐いて朋子は家を出た。
KAZOKU-NETSU ①
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「家族熱」は今でも大変人気があり、2000年に中野玲子によってノベライズされ、2018年には舞台化もされているという作品ですね。
阿修羅のごとく
「家族熱」に続いて1978年にはもう1本「カンガルーの反乱」を書きあげた向田邦子は1979年最初の作品にして大傑作「阿修羅のごとく」を生み出します!
「阿修羅のごとく」はNHK総合テレビ「土曜ドラマ」枠の向田邦子シリーズとして1979年と1980年にパート1、パート2に分けて放送されました。
NHKだろうが何だろうが加藤治子をはじめ出演者は向田作品に馴染みのある役者が顔を揃えています。
「阿修羅のごとく」はNHK総合テレビ「土曜ドラマ」枠の向田邦子シリーズとして1979年と1980年にパート1、パート2に分けて放送されました。
NHKだろうが何だろうが加藤治子をはじめ出演者は向田作品に馴染みのある役者が顔を揃えています。
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出演者:小林亜星、加藤治子、西城秀樹、浅田美代子、伴淳三郎、由利徹、梶芽衣子、左とん平、悠木千帆ほか