【親子鷹】親子で甲子園出場を果たした高校球児たち
2016年11月25日 更新

【親子鷹】親子で甲子園出場を果たした高校球児たち

高校野球史に関する記事をいくつか書いています。ここでは親が監督、子供が部員として甲子園出場を果たしたいわゆる「親子鷹」を果たした親子を紹介します。

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「親子鷹」で頂点に。荒井直樹・海斗親子(前橋育英)

近年の「親子鷹」としては、何といっても2013年に前橋育英高校を率いた荒井直樹監と、主将で4番の海斗選手が有名です。

延岡学園 - 前橋育英 決勝戦の9回表

2年生エースの高橋選手の奮闘。逆転に次ぐ逆転で勝ち上がり、見事に初出場・初優勝を果たしたのです。この際、海斗選手は「父である監督、チームメイト、寮母である母、そして応援してくれたすべての人のお陰で優勝することができた」と感謝の気持ちを口にしました。
荒井直樹監督・海斗親子

荒井直樹監督・海斗親子

原貢監督は「実力が同じなら他の選手を使う」と厳しく指導したと言われています。そうして、息子に対して人一倍厳しく指導しなければならない。また、息子も監督の息子という事で、いらぬ陰口をたたかれる事もあったりと「親子鷹」という感動的な物語の裏には大変な苦労もある事だろうと筆者は思うのです。
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