対照的に、諸般の事情から参加しなかったプリンス、ジャネット・ジャクソン、マドンナなどは、その後も順調にキャリアを築き上げていった。
ジャネット・ジャクソン「それが愛というものだから(That's The Way Love Goes)」 Janet Jackson - That's The Way Love Goes
ジャネット・ジャクソン「リズムネイション」 Janet Jackson - Rhythm Nation
PRINCE "PURPLE RAIN" Live at American Music Awards, 1985
発表初週に100万枚を売り上げたこのアルバムは、ビルボードチャートのトップに実に24週間も居座りつづけた。
シングルカットされた「When Doves Cry」、「Let's Go Crazy」の2曲がシングルチャートで1位となり、プリンスは全米でのボックスオフィス、アルバムチャート、シングルチャートですべて1位を獲得するという偉業を達成する。
なお、本作からは他に「Purple Rain」(2位)、「I Would Die 4 U」(8位)、「Take Me With U」(25位)がシングルカットされている。また、「When Doves Cry」は年間シングルチャートでも1位を獲得している。
ボニー・タイラー「Total Eclipse of the Heart(愛のかげり)」Bonnie Tyler - Total Eclipse of the Heart
「We Are The World」を機にポップス文化が消えて行く。人々の好みが細分化していく。
「アメリカン・ポップスの最高潮を象徴する曲であり、これを機にポップス文化が消えて行くのです」(西寺氏)
ここで言うポップスとは単にポピュラー・ミュージックのことを指すのではなく、もっと大きな価値観のことだと西寺氏は指摘する。
「大きい物がいい、歌が上手い人がいい、お金持ちがエライというような価値観の最高潮にあったと思います。当時の絶対的な超大国であり豊かなアメリカが、貧しくて困っている人たちを助けたという構図だったので、インパクトも強かったのだと思います」
このわずか4年後に戦後40年以上続いた冷戦が終焉し、絶対的な価値観というもの自身が揺らいでいく。そしてミュージシャンである西寺氏は、それを音楽的観点から分析する。
「その後、人々の好みが細分化していきます。音楽でもヒップホップ、オルタナティブ、ハウスといったポップス ―誰もが知っているような仰々しい一番大きいモノ―のアンチテーゼとも言える音楽が市民権を得ていくようになります」
ドナ・サマー 「イッツ・フォー・リアル」(1989年) DONNA SUMMER - This Time I Know It's For Real / / HD--16:9 / /
「ディスコの女王(Queen of Disco)」の異名を持つ。
当時の渋谷のディスコなどでこの曲はめちゃくちゃかかっていました。
「政治と一緒で、政権交代を目指している間は一致団結できます。でもマイケルがあそこまで成功して、「We Are The World」が世界的ヒットした段階で黒人同士が協力する必要がなくなってしまったんです」
そして黒人ミュージシャンも自分たちのやりたい音楽を追求するようになり、ドクター・ドレ、ジェイ・Zなど、アメリカの音楽シーンの商業的頂点に黒人が君臨する現代に至る道筋ができたのだ。
その結果、みんなが楽しむようなポップスは前時代的なものになってしまい、その過程において「We Are The World」参加アーティストは「親公認のアーティスト、前時代の象徴的存在」(前掲書)となり「呪い」がかかってしまったのだ。
Real McCoy - Another Night(1995年)
Nomad - Devotion - (1991)
Cubic 22 - Night In Motion (TOTP)
L.A. STYLE - James Brown Is Dead
当時流行っていたトヨタのハイラックスサーフからも、この曲が爆音で聞こえてきた。
兄マイケルとの仲の良さは有名で、1993年に少年への性的虐待疑惑でメディアが過熱した際は、無実を祈ってワールドツアー(janet. World Tour)のステージ上で黙祷を捧げた。