80年代洋楽ブームの中の怪『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』次々と参加アーティストが不幸に見舞われる。
2016年11月8日 更新

80年代洋楽ブームの中の怪『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』次々と参加アーティストが不幸に見舞われる。

80年代洋楽ブームの中、名曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加した多くのミュージシャンたちが、その後、急速にスターとしての輝きを失ってしまい、驚く程ヒットを出していない。ウィ・アー・ザ・ワールドの怪奇・呪いについて、考察してみましょう。1980年代を代表するマイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーなどの代表曲も揃っています。

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対照的に、諸般の事情から参加しなかったプリンス、ジャネット・ジャクソン、マドンナなどは、その後も順調にキャリアを築き上げていった。
ジャネット・ジャクソン(Janet Damita Jo...

ジャネット・ジャクソン(Janet Damita Jo Jackson, 1966年5月16日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、女優。兄の1人はマイケル・ジャクソン。

1980年代以降、商業的に大成功を収めた。安室奈美恵やAI、Crystal Kay、DOUBLEなど、日本のR&Bアーティストにも大きな影響を与えている。

兄マイケルとの仲の良さは有名で、1993年に少年への性的虐待疑惑でメディアが過熱した際は、無実を祈ってワールドツアー(janet. World Tour)のステージ上で黙祷を捧げた。

ジャネット・ジャクソン「それが愛というものだから(That's The Way Love Goes)」 Janet Jackson - That's The Way Love Goes

1993年のアルバム『ジャネット(janet.)』からヴァージン・レコードに移籍。シングル「それが愛というものだから(That's The Way Love Goes)」が、自身最高のビルボード8週連続1位を記録。このアルバムではセクシーな表現が一層目立つようになり、マドンナと比較されることがある。

ジャネット・ジャクソン「リズムネイション」 Janet Jackson - Rhythm Nation

表題曲「リズム・ネイション(Rhythm Nation)」のビデオ・クリップは、兄マイケルの影響が見られるものの、完成度の高いダンスで構成され、彼女のスタイルを確立するとともに、音楽シーンに多大な影響を与えた。ライブでは激しいダンスのため、リップシンクでパフォーマンスされることが多い。この曲は、ジャネット本人が出演する日本航空のCMにも使用された。

PRINCE "PURPLE RAIN" Live at American Music Awards, 1985

1984年、同名映画のサウンドトラックとして「パープル・レイン」が発表され、プリンスのコマーシャル的な価値は頂点に達する。

発表初週に100万枚を売り上げたこのアルバムは、ビルボードチャートのトップに実に24週間も居座りつづけた。

シングルカットされた「When Doves Cry」、「Let's Go Crazy」の2曲がシングルチャートで1位となり、プリンスは全米でのボックスオフィス、アルバムチャート、シングルチャートですべて1位を獲得するという偉業を達成する。

なお、本作からは他に「Purple Rain」(2位)、「I Would Die 4 U」(8位)、「Take Me With U」(25位)がシングルカットされている。また、「When Doves Cry」は年間シングルチャートでも1位を獲得している。

ボニー・タイラー「Total Eclipse of the Heart(愛のかげり)」Bonnie Tyler - Total Eclipse of the Heart

1982年にCBSレコードへ移籍する。アルバム Faster Than the Speed of Night は大ヒットし、ジム・スタインマン作のシングル "Total Eclipse of the Heart" は4週連続1位を記録した。"Faster Than the Speed of Night" はUKアルバムチャートで初登場1位となり、これは女性アーティストとしてはボニーが初達成で、ギネスブックに認定されている。

「We Are The World」を機にポップス文化が消えて行く。人々の好みが細分化していく。

「アメリカン・ポップスの最高潮を象徴する曲であり、これを機にポップス文化が消えて行くのです」(西寺氏)

ここで言うポップスとは単にポピュラー・ミュージックのことを指すのではなく、もっと大きな価値観のことだと西寺氏は指摘する。

「大きい物がいい、歌が上手い人がいい、お金持ちがエライというような価値観の最高潮にあったと思います。当時の絶対的な超大国であり豊かなアメリカが、貧しくて困っている人たちを助けたという構図だったので、インパクトも強かったのだと思います」

このわずか4年後に戦後40年以上続いた冷戦が終焉し、絶対的な価値観というもの自身が揺らいでいく。そしてミュージシャンである西寺氏は、それを音楽的観点から分析する。

「その後、人々の好みが細分化していきます。音楽でもヒップホップ、オルタナティブ、ハウスといったポップス ―誰もが知っているような仰々しい一番大きいモノ―のアンチテーゼとも言える音楽が市民権を得ていくようになります」

ドナ・サマー 「イッツ・フォー・リアル」(1989年) DONNA SUMMER - This Time I Know It's For Real / / HD--16:9 / /

ドナ・サマー(Donna Summer、1948年12月31日 - 2012年5月17日)は、アメリカ合衆国のディスコ歌手、ディスコ・クイーン。マサチューセッツ州ボストン近郊のドーチェスター出身。グラミー賞を5回受賞した。
「ディスコの女王(Queen of Disco)」の異名を持つ。

当時の渋谷のディスコなどでこの曲はめちゃくちゃかかっていました。
「政治と一緒で、政権交代を目指している間は一致団結できます。でもマイケルがあそこまで成功して、「We Are The World」が世界的ヒットした段階で黒人同士が協力する必要がなくなってしまったんです」

そして黒人ミュージシャンも自分たちのやりたい音楽を追求するようになり、ドクター・ドレ、ジェイ・Zなど、アメリカの音楽シーンの商業的頂点に黒人が君臨する現代に至る道筋ができたのだ。

その結果、みんなが楽しむようなポップスは前時代的なものになってしまい、その過程において「We Are The World」参加アーティストは「親公認のアーティスト、前時代の象徴的存在」(前掲書)となり「呪い」がかかってしまったのだ。

Real McCoy - Another Night(1995年)

Nomad - Devotion - (1991)

Cubic 22 - Night In Motion (TOTP)

初期のジュリアナ東京でよくかかっていた曲。

L.A. STYLE - James Brown Is Dead

ジュリアナ東京でよくかかっていた曲。

当時流行っていたトヨタのハイラックスサーフからも、この曲が爆音で聞こえてきた。
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  • 言わせて下さい 2018/5/2 16:08

    We Are the World 以降のボスのアルバム

    1987年 『トンネル・オブ・ラヴ』 Tunnel of Love (全米1位)
    1992年 Human Touch (全米2位)
    1992年 Lucky Town (全米3位)
    1995年 The Ghost of Tom Joad (全米11位)
    2002年 The Rising (全米1位)
    2005年 Devils & Dust (全米1位)
    2006年 We Shall Overcome:The Seeger Sessions (全米3位)
    2007年 Magic (全米1位)
    2009年 Working on a Dream (全米1位)
    2012年 Wrecking Ball (全米1位)
    2014年 High Hopes (全米1位)

    なお Human Touch と High Hopes はオリコンチャートでも首位を獲得

    アルバムチャートがすべてではありませんが、これほどのアーティストを何故輝きを失ったと仰せられるのか疑問です。

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