80年代洋楽ブームの中の怪『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』次々と参加アーティストが不幸に見舞われる。
2016年11月8日 更新

80年代洋楽ブームの中の怪『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』次々と参加アーティストが不幸に見舞われる。

80年代洋楽ブームの中、名曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加した多くのミュージシャンたちが、その後、急速にスターとしての輝きを失ってしまい、驚く程ヒットを出していない。ウィ・アー・ザ・ワールドの怪奇・呪いについて、考察してみましょう。1980年代を代表するマイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーなどの代表曲も揃っています。

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ポピュラー音楽からの引退を宣言した一方で、彼はクラシック音楽への路線変更を試み、2001年に初のクラシック作品『ファンタジーズ・アンド・デリューションズ』をリリースした。韓国系イギリス人のピアニスト、リチャード・ジューによる演奏をフィーチャーしたこのピアノ曲集は、ビルボードのクラシック専門チャートで18週に渡って首位を記録した。

しかしその後は、アルコール依存症や鬱病が原因で入院したり、3度の交通事故を起こしたりと、私生活で数多くのアクシデントに見舞われている。

「ストレンジャー」(The Stranger)は、ロックアーティスト、ビリー・ジョエルによる楽曲で、1977年の同名のアルバムに収録されている。 Billy Joel - The Stranger (Live 1977)

1977年に発表された5枚目のアルバム『ストレンジャー』は、彼を一躍スターダムへとのし上がる大きな成功を収めた。ポール・サイモンのグラミー賞受賞作『時の流れに』などを手がけたフィル・ラモーンをプロデューサーに起用して制作されたこのアルバムは、全米2位まで上昇する大ヒットを記録。

アメリカでは、2003年に各フォーマット総合で1,000万枚以上も売り上げ、ダイアモンドディスクに認定された。

「ストレンジャー」は、日本の1970年代のディスコブームで、統一振り付けでそろって踊られた。曲冒頭の口笛が特徴的である。
「オネスティ」(Honesty)は、ビリー・ジョエルが...

「オネスティ」(Honesty)は、ビリー・ジョエルが1978年のアルバム『ニューヨーク52番街』で発表した楽曲。1979年、同アルバムからの第3弾シングルとしてリリースされた。

世の中が不誠実に溢れ、誠実さを得ることは難しいが、それでも誠実さを求めていくという内容の歌。レコーディングには、ビリーのレギュラー・バンドの他、デヴィッド・スピノザ(アコースティック・ギター)が参加し、ストリングスのアレンジはロバート・フリードマンが担当。「ルート・ビアー・ラグ」(1974年のアルバム『ストリートライフ・セレナーデ』収録曲)をカップリングとしてシングル・カットされ、全米チャートで24位に達した。

日本で人気の高い楽曲で、ベスト・アルバム『ビリー・ザ・ベスト』(1985年)のアメリカ盤には収録されていないが、日本盤では追加収録された。また、様々なCM(ネッスル・ホットチョコ、ソニーの企業CM等)で起用され、2004年には三井住友銀行のCMで使用された。

「オネスティ」(Honesty)は、ビリー・ジョエルが1978年のアルバム『ニューヨーク52番街』で発表した楽曲。 Billy Joel - Honesty

「ダイアナ・ロス」 85年以降の音楽セールスは散々。露骨に人気が急下降してしまった。1990年代以降は、公私に渡るトラブルもあり第一線からは退いている。

ダイアナ・ロス(Diana Ross、Diane Er...

ダイアナ・ロス(Diana Ross、Diane Ernestine Earle Ross、1944年3月26日 - )は、アメリカ合衆国の歌手。アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人であり、ブラックミュージック界の大御所である。

1984年に不慮の死を遂げたマーヴィン・ゲイ(1973年にデュエット作をリリース)に捧げた『ミッシング・ユー』の後は、アメリカではヒットに恵まれていないが、イギリスでは引き続き安定した人気を誇っていたほか、日本でも1990年に『イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー』がテレビドラマ『想い出にかわるまで』の主題歌や、いすゞ自動車「BIGHORN」、『とんねるずのみなさんのおかげです』の挿入歌として起用され、洋楽では異例のヒットを記録している。1993年にはテレビ番組『ひらけ!ポンキッキ』とのタイアップで『When You Dream 』(夢の扉)を歌った。

1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリード・ボーカルを採った。

1990年代以降は、公私に渡るトラブルもあり第一線からは退いているが、ポピュラー音楽界の偉人であることから、記念イベントなどで時折顔を見せている。

Diana Ross - Do You Know Where You're Going To ( Theme From Soundtrack Mahogany )

『マホガニーのテーマ(Theme From 'Mahogany'(Do You Know Where You're Going To))』(日本では、ネスカフェのCM曲としても有名)などの全米1位ヒットを放ち、スーパースターとしての地位を確立した。

「エンドレス・ラブ」(Endless Love) とは、1981年8月1日にリリースされたライオネル・リッチーとダイアナ・ロスによるデュエット曲である。Endless Love - Diana Ross & Lionel Richie

フランコ・ゼフィレッリ監督による、同名映画『エンドレス・ラブ』の主題歌であり、アカデミー賞主題歌賞にノミネートされた。

また、全米シングルチャートにて9週間連続で首位(年間トータルでは2位)、そしてヨーロッパ各国でもシングルチャートにて上位を記録するなど、世界的な大ヒットとなった。

その他、アメリカビルボード社が10年間の統計でヒット曲に順位を付ける『イヤー・オブ・ディケイド・チャート』の1980年~1989年においても2位にランクインしている。

2013年のバレンタインデー特集として、アメリカビルボード社が選出した「"Love"が付く楽曲ベスト50」においては、第1位に選ばれている。

「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」(IF WE HOLD ON TOGETHER)は、1988年にリリースしたダイアナ・ロスの楽曲。

アニメ映画『リトルフット』(原題:The Land Before Time、邦題『リトルフットの大冒険』)の主題歌。
日本では、1990年に今井美樹主演のドラマ『想い出にかわるまで』の主題歌に起用されシングルカットされた。オリコン総合シングルチャートで最高4位、1990年度年間オリコンチャートで総合10位を記録した。オリコン洋楽シングルチャートでは1990年2月26日付から19週連続1位を獲得し、1990年の年間チャートで1位となった。

洋楽シングルのオリコン総合チャートでの年間TOP10入りは、1983年のアイリーン・キャラ「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」以来7年ぶりであり、本作以降、達成例は現れていない。

「ケニー・ロギンス」 1986年には映画『トップガン』の主題歌「デンジャー・ゾーン(英語版)」以降はヒットなし。日本では海外の一発屋というイメージ。

「ケニー・ロギンス」

「ケニー・ロギンス」

ケニー・ロギンス(Kenny Loggins)の名で活動するケネス・クラーク・ロギンス(Kenneth Clark Loggins, 1948年1月7日 - )はアメリカのミュージシャン。日本では、特に「フットルース」や「デンジャー・ゾーン」などの映画主題歌のヒットで1980年代に人気を博した。

転機となったのは1980年代。1984年には映画『フットルース』の同名主題歌が全米1位を獲得。一躍トップ・スターの仲間入りを果たし、1985年にUSAフォー・アフリカに参加。「ウィー・アー・ザ・ワールド」で2小節リードボーカルをとっている。

1986年には映画『トップガン』の主題歌「デンジャー・ゾーン(英語版)」が全米第2位の大ヒットとなり、映画とともに世界中でヒットを記録した。「デンジャー・ゾーン」は、日本では近藤真彦出演の「日産・マーチスーパーターボ」のCM曲にも使用され、同車が生産終了する3年後の1989年まで放送された。1997年にはトヨタ・カルディナのCM曲にも採用され、さらに2010年にはトヨタ・ラクティスのOEM車である、スバル・トレジアのCM曲としても採用された。

ケニー・ロギンス『フットルース』(1984年)

1984年には映画『フットルース』の同名主題歌が全米1位を獲得。一躍トップ・スターの仲間入りを果たす。
映画『トップガン』

映画『トップガン』

映画『トップガン』の主題歌「デンジャー・ゾーン」ケニー・ロギンス

1986年には映画『トップガン』の主題歌「デンジャー・ゾーン(英語版)」が全米第2位の大ヒットとなり、映画とともに世界中でヒットを記録した。「デンジャー・ゾーン」は、日本では近藤真彦出演の「日産・マーチスーパーターボ」のCM曲にも使用され、同車が生産終了する3年後の1989年まで放送された。

「ブルース・スプリングスティーン」 「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」以降、勢いが衰え、日本では海外の一発屋というイメージ。

「ブルース・スプリングスティーン」

「ブルース・スプリングスティーン」

ブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen, 1949年9月23日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ロングブランチで生まれ、フリーホールド育ちのシンガーソングライター。父はオランダ系とアイルランド系の混血のトラック運転手、母はイタリア系アメリカ人。敬虔なカトリック教徒。

アメリカを代表するロックン・ローラー。通称は「ボス(Boss)」。初期の作品においては、青春群像の描写に際立った才能を示したが、やがて社会的なテーマを作品に織り込むことによって、アメリカ民衆の声を代弁する存在へと成長した。ウッディ・ガスリーの後継的な立場にあるアーティストの一人である。

1980年10月17日、5枚目のアルバム『ザ・リバー (The River)』を発表。初めてアルバム・チャート1位を獲得し、リカット・シングル「ハングリー・ハート (Hungry Heart)」も初のBillboard Hot 100のトップ10入り。その後、約1年に渡るワールド・ツアーを敢行した。

1982年9月30日、6枚目のアルバム『ネブラスカ (Nebraska)』を発表。アコースティック・ギターとハーモニカだけで自宅にてレコーディングされた作品で、その内容も相まって大きな反響を呼んだ。

1984年6月4日、7枚目のアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A. (Born in the U.S.A.)』を発表。アルバム・チャート(ビルボード)1984年6月23日付初登場9位、その後、1984年7月3日から4週連続で1位となり、間をあけて1985年1月19日に再度1位に返り咲くという大ヒット作となる。

また、UKアルバム・チャートでも1984年6月16日付で初登場2位、1984年12月22日付では79位にまでダウンしたが、翌12月29日付以降再び順位を上げ、チャートイン36週目の1985年2月16日付で初の1位を記録。さらに6月1日付では14位までダウンするものの、7月6日付で再度1位に返り咲くという記録を達成している。

アルバム中の1曲「ダンシン・イン・ザ・ダーク (Dancing In The Dark)」は、全米シングル・チャート(ビルボード)で4週連続第2位を記録した(1984年6月30日〜7月21日)。 また、この曲のミュージック・ビデオでは、有名な映画監督のブライアン・デ・パルマが、まだ女優としては無名だったコートニー・コックスをファン役に起用。彼女がライブの途中でスプリングスティーンにステージに呼び寄せられ、一緒にダンスを踊るという内容である。 ちなみに、この時の1位はデュラン・デュランの「ザ・リフレックス」(同年6月23日〜6月30日)とプリンスの「ビートに抱かれて」(同年7月7日〜8月4日)であった。特にプリンスに関しては、アルバム『グレイテスト・ヒッツ (Greatest Hits)』に収録された同曲のライナーノーツで、ユーモアたっぷりのコメントを残している。

アルバムは、全米で1,200万枚、全世界で2,000万枚の売上を記録し、発表と同時に行われたワールド・ツアーも大成功を収めた。

Born In The USA - Bruce Springsteen Paris 85 1984年6月4日、7枚目のアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A. (Born in the U.S.A.)』を発表。

アルバムは、全米で1,200万枚、全世界で2,000万枚の売上を記録し、発表と同時に行われたワールド・ツアーも大成功を収めた。

参加しなかったプリンス、ジャネット・ジャクソン、マドンナなどは、その後、世界的なヒットを連発し、そのカリスマ性を失っていない。

マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」(1984年) Madonna - Like a Virgin [Official Music Video]

1980年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンに登場し、1982年にデビュー。1984年に、シングル「ライク・ア・ヴァージン」が大ヒットし、その大胆かつ挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターになる。

マドンナ「ライク・ア・プレイヤー」 Madonna - Like a Prayer [Official Music Video]

「ライク・ア・プレイヤー」 (Like a Prayer) はマドンナの楽曲で、1989年に発表された同名のアルバム『ライク・ア・プレイヤー』からの第1枚目のシングル。
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  • 言わせて下さい 2018/5/2 16:08

    We Are the World 以降のボスのアルバム

    1987年 『トンネル・オブ・ラヴ』 Tunnel of Love (全米1位)
    1992年 Human Touch (全米2位)
    1992年 Lucky Town (全米3位)
    1995年 The Ghost of Tom Joad (全米11位)
    2002年 The Rising (全米1位)
    2005年 Devils & Dust (全米1位)
    2006年 We Shall Overcome:The Seeger Sessions (全米3位)
    2007年 Magic (全米1位)
    2009年 Working on a Dream (全米1位)
    2012年 Wrecking Ball (全米1位)
    2014年 High Hopes (全米1位)

    なお Human Touch と High Hopes はオリコンチャートでも首位を獲得

    アルバムチャートがすべてではありませんが、これほどのアーティストを何故輝きを失ったと仰せられるのか疑問です。

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