【90年代】あの頃の音楽シーンとカラオケブーム
90年代初頭は、バンドブームが落ち着き、小室哲哉がプロデュースするTRFが連続ヒットを記録し、ダンス・ミュージックがブームとなっていました。
ダンスナンバーでありながら、カラオケブームも相まって、みんなで盛り上がる曲として選ばれていました。
そのころ、小室ファミリーは所属事務所からとって”エイベックス系”と呼ばれ、それに相対するように、ZARDやB'z、WANDSなどビーインググループに所属していたことから”ビーイング系”と呼ばれていました。
そんな中、WANDSなどに楽曲提供をしていた小澤正澄が北海道出身の水原由貴とユニットを組んで、PAMELAH(パメラ)としてデビューすることになりました。
PAMELAHは、後者のビーイング系、そして、ビーイングの創始者である長戸大幸がネーミングを手掛けました。
ダンスナンバーでありながら、カラオケブームも相まって、みんなで盛り上がる曲として選ばれていました。
そのころ、小室ファミリーは所属事務所からとって”エイベックス系”と呼ばれ、それに相対するように、ZARDやB'z、WANDSなどビーインググループに所属していたことから”ビーイング系”と呼ばれていました。
そんな中、WANDSなどに楽曲提供をしていた小澤正澄が北海道出身の水原由貴とユニットを組んで、PAMELAH(パメラ)としてデビューすることになりました。
PAMELAHは、後者のビーイング系、そして、ビーイングの創始者である長戸大幸がネーミングを手掛けました。
水原由貴と小澤正澄の経歴とPAMELAHのデビュー
水原由貴(みずはら ゆき)は、北海道出身で、ライブハウス・函館ケントスで活動し、その後上京し、ビーイングに所属しました。
小澤正澄(おざわ まさずみ)は、静岡県出身。ビーイングに所属し、1991年12月、WANDSの1stシングル「寂しさは秋の色」のカップリング曲「STRAY CAT」にて作曲家デビュー。
PMELAHは、1995年に日本コロムビアより「LOOKING FOR THE TRUTH(ルッキング・フォー・ザ・トゥルース)」でデビュー。
ビーイング系のアーティストは、テレビ出演しないと言われていたなか、PAMELAHは『ミュージックステーション』や『COUNT DOWN TV』など、数多くの音楽番組に出演しました。
デビューシングルの「LOOKING FOR THE TRUTH」は、オリコン週間26位と新人としてはまずますのスタートをきり、2ndシングル「I FEEL DOWN(アイ・フィール・ダウン)」は30位。
3rdシングル「キレイになんか愛せない」は31位となり、このシングル3枚を収めた1stアルバム『Truth(トルゥース)」は、オリコン最高7位になり、ブレイクするきっかけとなりました。
小澤正澄(おざわ まさずみ)は、静岡県出身。ビーイングに所属し、1991年12月、WANDSの1stシングル「寂しさは秋の色」のカップリング曲「STRAY CAT」にて作曲家デビュー。
PMELAHは、1995年に日本コロムビアより「LOOKING FOR THE TRUTH(ルッキング・フォー・ザ・トゥルース)」でデビュー。
ビーイング系のアーティストは、テレビ出演しないと言われていたなか、PAMELAHは『ミュージックステーション』や『COUNT DOWN TV』など、数多くの音楽番組に出演しました。
デビューシングルの「LOOKING FOR THE TRUTH」は、オリコン週間26位と新人としてはまずますのスタートをきり、2ndシングル「I FEEL DOWN(アイ・フィール・ダウン)」は30位。
3rdシングル「キレイになんか愛せない」は31位となり、このシングル3枚を収めた1stアルバム『Truth(トルゥース)」は、オリコン最高7位になり、ブレイクするきっかけとなりました。
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その後、コンスタントに曲をリリースします。
全体的には、ダンス・チューンでありながら、小澤正澄ギターサウンドが印象的で、その曲にあわせて強めな水原由貴のヴォーカルが合わさるという作風でした。
活動休止までに14枚のシングルと5枚のオリジナルアルバムをリリースし、作詞は、「LOOKNG FOR THE TRUTH」と「Dream Again」を除く全ての水原由貴が担当。
小澤正澄は、全ての作曲、編曲、サウンド・プロデュースを手掛けました。
作詞は、水原の世界観が現れていて、うまく行かない恋愛に対する感情やもどかしさを表現した内容でした。
特に、「キレイになんか愛せない」の歌詞では、自分の親友に彼氏を略奪されたことを歌った歌詞で、まさにメロドラマの内容でした。まだ20代で若い水原が作詞したとは思えないような内容でした。
オリコン調べによるCD売上は、シングルでは7thシングル『SPIRIT』の13.8万枚が自己最高。
この曲は、アニメ『地獄先生ぬ~べ~』のエンディング曲として採用されました。
全体的には、ダンス・チューンでありながら、小澤正澄ギターサウンドが印象的で、その曲にあわせて強めな水原由貴のヴォーカルが合わさるという作風でした。
活動休止までに14枚のシングルと5枚のオリジナルアルバムをリリースし、作詞は、「LOOKNG FOR THE TRUTH」と「Dream Again」を除く全ての水原由貴が担当。
小澤正澄は、全ての作曲、編曲、サウンド・プロデュースを手掛けました。
作詞は、水原の世界観が現れていて、うまく行かない恋愛に対する感情やもどかしさを表現した内容でした。
特に、「キレイになんか愛せない」の歌詞では、自分の親友に彼氏を略奪されたことを歌った歌詞で、まさにメロドラマの内容でした。まだ20代で若い水原が作詞したとは思えないような内容でした。
オリコン調べによるCD売上は、シングルでは7thシングル『SPIRIT』の13.8万枚が自己最高。
この曲は、アニメ『地獄先生ぬ~べ~』のエンディング曲として採用されました。
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しかし、2000年以降は、2000年3月にボーカルの水原由貴がソロシングルを発売したもののPAMELAHとしての音楽活動はなくなり、実質的な解散となってしまったようです。
2003年、『complete of PAMELAH at the BEING studio』発売後にファンクラブ会員に正式に活動停止が通知されました。
2003年、『complete of PAMELAH at the BEING studio』発売後にファンクラブ会員に正式に活動停止が通知されました。
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その後の2人は?
小澤正澄はPAMELAHの活動終了後、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとして活動を現在まで続けています。主な楽曲提供や編曲を手掛けたのは、倉木麻衣や愛内里菜、最近だとSKE48が有名です。
2004年にB'zの松本孝弘の音楽監修した映画『ULTRAMAN』のオリジナル・サウンドトラックに池田大介や鎌田真吾とともに参加。松本・小澤の共同制作が収録されている唯一の作品集となりました。
一方で、水原由貴は、2000年にソロシングルを発表するもその後の活動はなく、現在は、残念ながら音楽活動をしていないようです。
彼女の作詞には、ファンも多く、期待も大きかったのですが、ソロ活動ではヒットすることはありませんでした。
90年代を代表するサウンドとダンス・ミュージックが懐かしいですね。
2004年にB'zの松本孝弘の音楽監修した映画『ULTRAMAN』のオリジナル・サウンドトラックに池田大介や鎌田真吾とともに参加。松本・小澤の共同制作が収録されている唯一の作品集となりました。
一方で、水原由貴は、2000年にソロシングルを発表するもその後の活動はなく、現在は、残念ながら音楽活動をしていないようです。
彼女の作詞には、ファンも多く、期待も大きかったのですが、ソロ活動ではヒットすることはありませんでした。
90年代を代表するサウンドとダンス・ミュージックが懐かしいですね。
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