ドンキーカルテットとしても活躍した小野ヤスシ
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木の実ナナが専属シンガーだったことも
コミックバンド路線を模索していた桜井の目に留まったのが、いかりや長介と加藤茶でした。いかりやはマウンテン・プレイボーイズ、加藤はクレージーウエスト、それぞれ別のバンドに所属していましたが、その活躍を知った桜井から勧誘され、晴れて同時期にドリフのメンバーとなったのです。
なお、桜井輝夫とザ・ドリフターズ時代には、当時ティーネイジャーだった木の実ナナも専属歌手として在籍。いかりやに「ナナすけ」と呼ばれ、可愛がられていたといいます。
なお、桜井輝夫とザ・ドリフターズ時代には、当時ティーネイジャーだった木の実ナナも専属歌手として在籍。いかりやに「ナナすけ」と呼ばれ、可愛がられていたといいます。
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小野ヤスシがいかりやに反発!「ドンキーカルテット騒動」とは?
1963年ごろより桜井がプロモーター側に回るようになると、現場の実権はいかりやへ移行。1964年にはついに、いかりやを3代目リーダーに据えるドリフの原型ができ上がります。
ところが、元来完璧主義者でワンマンな面があるいかりやに、古参メンバーである小野は不満をためていきました。そして、ある時のリハーサルで「オレが一生懸命に考えてやっているのにヤル気ねえのか。辞めちまえ」と激怒したいかりやに対し「では、お言葉に従って辞めます」と言い放ち、他に吉田、飯塚、猪熊を従えて脱退。
いかりやが「自分がやめるからドリフに残ってくれ」と懇願するも、この4人はすぐに「ドンキーカルテット」を結成し、ドリフと完全に決別。実質的に残されたメンバーはいかりやと加藤だけになってしまいます。
ところが、元来完璧主義者でワンマンな面があるいかりやに、古参メンバーである小野は不満をためていきました。そして、ある時のリハーサルで「オレが一生懸命に考えてやっているのにヤル気ねえのか。辞めちまえ」と激怒したいかりやに対し「では、お言葉に従って辞めます」と言い放ち、他に吉田、飯塚、猪熊を従えて脱退。
いかりやが「自分がやめるからドリフに残ってくれ」と懇願するも、この4人はすぐに「ドンキーカルテット」を結成し、ドリフと完全に決別。実質的に残されたメンバーはいかりやと加藤だけになってしまいます。
その後、半ば急場しのぎのように、高木ブー、仲本工事、荒井注を引き入れ、桜井がプロモーター役から手を引き、渡辺プロダクション預かりとなり、とうとう、いかりや長介率いる『ザ・ドリフターズ』が完成するのです。これ以降の活躍はあえて記載するまでもないでしょう。
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(こじへい)
<> 2019/12/29 10:14
全員集合/Gメン75は土曜の夜で
テンションは”てってってー”⤴
翌日は月曜控え「サザエさんショック」