クラブW杯決勝戦で起こった、ある出来事が波紋を呼ぶ
さんまの「レアルが勝ってホッとした」的発言に一部視聴者が激怒!
「まあ(鹿島が)頑張ってくれて、きれいに着地ができたような気持ちでホッとしてます。もし鹿島が2-1で勝っていたら、高速道路でいろいろなことを考えてしまいそうやった」
このレアル贔屓のコメントに一部ファンは激怒。「もう二度とクラブワールドカップの中継にさんまを呼ぶな」「サッカー番組にこいつは不要」「さんまさんはとりあえず鹿島に謝って」などとネットの掲示板で非難を浴びたことが、ネットで話題になりました。
さんまの海外贔屓は昔から
他にも、オランダの英雄「ヨハン・クライフ」、西ドイツ代表のサイドバック「ベルティ・フォクツ」などのファンだったといいますが、特定のチームを応援するというよりは、その時々で、世界的に強いチームや優れた選手を応援する傾向にあるといえます。
もしもさんまが、数十年来のマドリディスタであれば、これほど批判されることもなかったはず。しかし、鹿島の対戦チームであるレアルを、ただ「強い海外のチーム」というだけで応援するスタンスに、熱心なサポーターたちは腹を立てたのでしょう。
日本サッカーの低迷期に、本当に一肌脱いだ!
1980年代前半。当時、日本におけるサッカー人気は、1968年メキシコオリンピック・銅メダルの栄光を最後に、低迷の一途をたどっていました。ワールドカップ予選もことごとく負け続け、本選出場など、夢のまた夢だった時代です。
この現状を常々憂慮していたさんまは、日本サッカーリーグ(Jリーグの前身)・天皇杯のポスターに無償で登場。しかも、ヌード姿まで披露しています。
当時のさんまといえば、『オレたちひょうきん族』などにおける活躍により、超が付くほどの売れっ子となっていた時期。そんな国民的スターが一肌脱いだとあって、大きな話題を呼びました。
現在配信中の水道橋博士のメルマ旬報71号
— エムカク (@m_kac) October 11, 2015
明石家さんまヒストリー第48回は、vsフライデー、音一の死、心はロンリーⅡ、日本サッカーリーグのポスター、日本航空123便墜落事故、ほか、1985年の明石家さんまさんです! pic.twitter.com/XpXl7PyAph
精悍な顔立ちと絞られた身体が、何とも時の流れを感じさせる…。
『サッカーマガジン』で連載をもっていた。しかも無償で
ビートたけしらと芸能人サッカーチーム『ザ・ミイラ』を立ち上げる
ちなみに、なぜ『ザ・ミイラ』というチーム名なのかといえば、芸能人目当てで競技場へ来たファンを、そのままサッカーファンにしてしまおうという意図が、「ミイラ取りがミイラになる」という慣用表現と似ていたためです。
椎名桔平、木梨憲武、陣内孝則も、『ザ・ミイラ』のメンバーだった
こうしたコンセプトを掲げた『ザ・ミイラ』は、Jリーグ誕生・日本のW杯初出場決定以降も活動を続けます。過去に所属した芸能人は、椎名桔平、木梨憲武、陣内孝則、柴田恭兵、そのまんま東(現:東国原英夫)など。さらには、助っ人として、向井理やラモス瑠偉、ピエール・リトバルスキーらも参加していました。