実は日本サッカー発展の功労者だった明石家さんま
2017年5月25日 更新

実は日本サッカー発展の功労者だった明石家さんま

2016年のクラブW杯決勝「レアルvs鹿島」戦における、レアル贔屓の発言で、一部サッカーファンからブーイングを浴びた明石家さんま。頑固なまでに海外サッカーフリークを貫くさんまですが、実は昔、日本サッカー発展のために、無償でPR活動に奔走している時期がありました。その知られざる功績を紹介します。

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クラブW杯決勝戦で起こった、ある出来事が波紋を呼ぶ

2016年12月18日。横浜・日産スタジアムで、サッカー・クラブワールドカップ決勝戦「レアル・マドリードvs鹿島アントラーズ」が開催されました。試合は大方の予想を覆し、開催国枠で出場した鹿島が善戦。90分を2-2で終え、延長戦にまでもつれ込みます。最終的には、クリスティアーノ・ロナウドの2ゴールに沈み、4-2でレアルが勝利しましたが、欧州王者を土俵際まで追い詰めた鹿島に、日本中から称賛の声が上がったのはいうまでもありません。
サッカー・クラブW杯決勝「レアル・マドリードvs鹿島ア...

サッカー・クラブW杯決勝「レアル・マドリードvs鹿島アントラーズ」

試合は柴崎岳の2ゴールで一時は鹿島がリードするも、最終的には、自力で勝るレアルに軍配が上がる。

さんまの「レアルが勝ってホッとした」的発言に一部視聴者が激怒!

しかし、この鹿島の粘りに複雑な表情を浮かべるタレントが一人いました。そう、日テレの中継に出演していた明石家さんまです。さんまは試合終了後、次のように発言しています。

「まあ(鹿島が)頑張ってくれて、きれいに着地ができたような気持ちでホッとしてます。もし鹿島が2-1で勝っていたら、高速道路でいろいろなことを考えてしまいそうやった」

このレアル贔屓のコメントに一部ファンは激怒。「もう二度とクラブワールドカップの中継にさんまを呼ぶな」「サッカー番組にこいつは不要」「さんまさんはとりあえず鹿島に謝って」などとネットの掲示板で非難を浴びたことが、ネットで話題になりました。
日テレのクラブW杯中継に出演する明石家さんま

日テレのクラブW杯中継に出演する明石家さんま

レアル寄りのコメントを連発して、一部視聴者のひんしゅくを買う。

さんまの海外贔屓は昔から

さんまが、無類の海外サッカーフリークというのは有名な話。彼は、高校時代にサッカーを始めたのですが、そのきっかけとなったチームを『マンチェスター・ユナイテッド』だったと公言しています。特にお気に入りの選手は、60年代~70年代に活躍した伝説的ドリブラー「ジョージ・ベスト」。

他にも、オランダの英雄「ヨハン・クライフ」、西ドイツ代表のサイドバック「ベルティ・フォクツ」などのファンだったといいますが、特定のチームを応援するというよりは、その時々で、世界的に強いチームや優れた選手を応援する傾向にあるといえます。

もしもさんまが、数十年来のマドリディスタであれば、これほど批判されることもなかったはず。しかし、鹿島の対戦チームであるレアルを、ただ「強い海外のチーム」というだけで応援するスタンスに、熱心なサポーターたちは腹を立てたのでしょう。
北アイルランドの名手ジョージ・ベスト。

北アイルランドの名手ジョージ・ベスト。

マンUの黄金期を支えたドリブラーは、若き日のさんまを夢中にさせた。

日本サッカーの低迷期に、本当に一肌脱いだ!

そんな海外志向の強いさんまですが、日本におけるサッカー振興に多大な貢献をしてきたことも忘れてはなりません。

1980年代前半。当時、日本におけるサッカー人気は、1968年メキシコオリンピック・銅メダルの栄光を最後に、低迷の一途をたどっていました。ワールドカップ予選もことごとく負け続け、本選出場など、夢のまた夢だった時代です。

この現状を常々憂慮していたさんまは、日本サッカーリーグ(Jリーグの前身)・天皇杯のポスターに無償で登場。しかも、ヌード姿まで披露しています。
当時のさんまといえば、『オレたちひょうきん族』などにおける活躍により、超が付くほどの売れっ子となっていた時期。そんな国民的スターが一肌脱いだとあって、大きな話題を呼びました。
日本サッカーリーグのポスターに登場したさんま
精悍な顔立ちと絞られた身体が、何とも時の流れを感じさせる…。

『サッカーマガジン』で連載をもっていた。しかも無償で

同じく1980年代前半からは、日本国内最古のサッカー専門誌『サッカーマガジン』において、『明石家さんまの爆笑キックオフ』という連載企画をスタート。これも無償だったというから驚きです。誌上では、日本サッカーリーグの現役選手との対談などを展開していました。
サッカー専門誌『サッカーマガジン』

サッカー専門誌『サッカーマガジン』

1966年2月から刊行している、もっともポピュラーなサッカー専門誌の一つ。

ビートたけしらと芸能人サッカーチーム『ザ・ミイラ』を立ち上げる

これも1980年代前半の出来事。さんまは、ビートたけし、漫画家の望月三起也らと共に、「芸能人が前座試合をやれば、サッカーの競技場にお客さんがやってくるのでは?」との思いから、ボランティアで芸能人サッカーチーム『ザ・ミイラ』を発足。日本リーグなど大きな試合に繰り出しては、ジャッキーチェン(香港芸能人蹴球団)などとエキシビジョンマッチを展開し、観客を大いに沸かせていたといいます。

ちなみに、なぜ『ザ・ミイラ』というチーム名なのかといえば、芸能人目当てで競技場へ来たファンを、そのままサッカーファンにしてしまおうという意図が、「ミイラ取りがミイラになる」という慣用表現と似ていたためです。
『ザ・ミイラ』の発足に一枚噛んだビートたけし

『ザ・ミイラ』の発足に一枚噛んだビートたけし

軍団を集めて野球をしているイメージが強い殿も、意外とサッカー好きだった?

椎名桔平、木梨憲武、陣内孝則も、『ザ・ミイラ』のメンバーだった

「まず実際に試合を観てもらって、サッカー人口を増加させて、ゆくゆくはプロリーグ発足とワールドカップ出場の一助になっていきたい」

こうしたコンセプトを掲げた『ザ・ミイラ』は、Jリーグ誕生・日本のW杯初出場決定以降も活動を続けます。過去に所属した芸能人は、椎名桔平、木梨憲武、陣内孝則、柴田恭兵、そのまんま東(現:東国原英夫)など。さらには、助っ人として、向井理やラモス瑠偉、ピエール・リトバルスキーらも参加していました。
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