元おニャン子クラブの美人演歌歌手、城之内早苗がミドルエッジに登場。
歌手生活32周年を迎え、9月26日に徳間ジャパン移籍第一弾シングル「よりそい蛍」をリリースする彼女にメールインタビューを敢行。
さらにミドルエッジ読者向けの動画コメントを頂戴しました。
ミドルエッジ独占インタビュー
編集部
城之内さんは幼い頃から民謡や三味線を習い、演歌歌手を目指されていたそうですが、おニャン子クラブに入ったきっかけを教えて下さい。
レコード会社で演歌のレッスンをしていた中で、絶対受からないので安心して行って来いと。
人数合わせで行ったらおかしな事に…。
編集部
番組でのちょっとHなトークやスキャンダラスな歌詞など、おニャン子はギリギリのラインを攻めたアイドルグループでした。(笑)
当時多感な10代の女の子として驚きや戸惑いもありましたか?
驚きや戸惑いよりも、文句を言いながらという感じで(笑)
編集部
あの頃は多くのメンバーがソロデビューされていましたが、その中ただ一人演歌でソロデビュー。
自信と不安はどちらが大きかったですか?
不安でしたね~それと疑問でしたね。大丈夫なの~?的な。
編集部
ソロデビュー曲「あじさい橋」は、演歌で史上初めてオリコン総合シングルチャートで初登場1位を獲得しました。当時の反響はいかがだったのでしょうか?
良く分からなかったです。
編集部
おニャン子クラブにも携わっていた秋元康さんや後藤次利さんがソロデビュー前半曲の作詞・作曲に携わっていましたが、当時の楽曲制作風景はどんな感じだったのでしょうか?
スタジオでFAX待ち、待機していたことが多かったです。
編集部
元おニャン子クラブという印象が強すぎて、演歌の実力を正しく評価されていないと悩まれたこともありましたか?
逆で過大評価されて苦しかったです。
編集部
『ものまね王座決定戦』は常連として活躍され、1999年の第31回オールスターものまね王座決定戦スペシャルでは優勝もされています。印象に残っている出来事はございますか?
実は優勝した記憶が残っていないんです。
何が何だか分かりませんでしたね…。
編集部
今では音楽活動を行っていないおニャン子メンバーの方ばかりになってしまいましが、城之内さんがここまで歌手活動を続けてくることができた原動力は何でしょうか?
幼い頃から民謡や三味線を習い、中学2年生の時に全日本演歌選手権』に応募したのをきっかけにスカウトされる。
1985年にフジテレビ『夕やけニャンニャン』内のオーディションに合格し、おニャン子クラブの会員番号17番としてデビュー。
翌年の1986年「あじさい橋」にてソロデビューを果たし、演歌で初めてオリコンチャート初登場1位という記録を作った。
おニャン子卒業後は、歌手活動の他、ラジオ番組のMC、バラエティ出演等、多方面で活躍している。