【高橋慶彦】広島カープ黄金時代を支えた俊足好打のスイッチヒッター
2017年11月7日 更新

【高橋慶彦】広島カープ黄金時代を支えた俊足好打のスイッチヒッター

1970年代~80年代の広島カープ黄金期に背番号2をつけて不動の1番打者としてカープを牽引した”切り込み隊長『高橋慶彦』の現役時代と現在についてを調べてみました。

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「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の盗塁王を獲得した高橋慶彦

高橋慶彦(たかはし よしひこ)

高橋慶彦(たかはし よしひこ)

1957年3月13日生まれ
身長176cm、体重75kg
右投げ両打ち
ポジション:遊撃手、外野手

広島カープ黄金期の切り込み隊長として、球界にその名を轟かせたスター選手。
「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の盗塁王を獲得し、福本豊の後継者とまで謳われた。
さらに33試合連続安打の日本記録を打ち立てた。

高橋慶彦の獲得タイトル・主な表彰と記録

盗塁王:3回 (1979年、1980年、1985年)
ベストナイン:5回 (1978年 - 1980年、1983年、1986年)
月間MVP:1回 (1979年7月)
日本シリーズMVP:1回 (1979年)
日本シリーズ打撃賞:1回 (1979年)
日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1984年)
日本シリーズ3試合連続盗塁(1984年) ※シリーズ記録
33試合連続安打(1979年6月6日 - 7月31日) ※日本記録
通算初回先頭打者本塁打34本(表13本、裏21本) ※歴代3位
セ・リーグ通算初回先頭打者本塁打32本(表12本、裏20本) ※歴代2位

オールスターゲーム出場:6回 (1979年、1980年、1983年 - 1986年)

高橋慶彦のプレースタイル

俊足・好打の『理想の一番打者』

俊足・好打の『理想の一番打者』

スイッチヒッターとして打率3割を5度、20本塁打以上を4度記録し、33試合連続安打という日本記録まで樹立した『理想の一番打者』と言われている。
また、盗塁王を3度獲得した俊足は福本豊の後継者とまで謳われたほどである。
積極的に次の塁を狙うため盗塁死も多く、通算477盗塁は歴代5位の記録だが通算206盗塁死は福本豊の299に次いで歴代2位であり、広島・阪神時代に記録した通算202盗塁死はセ・リーグ記録である。
また、1983年には70盗塁を記録するものの、28盗塁死を喫しており、これがシーズン盗塁死のセ・リーグ記録となっている。
また、この年は読売ジャイアンツの松本匡史が76盗塁を記録して盗塁王を獲得しており、70盗塁は盗塁王を逃した記録としては、現在に至るまで最多記録である。

広島に臨時コーチで来た山内一弘のレベルスイングを1983年に取り入れ本塁打を20本台へと増加させるが、一方で打率が下降し三振も増加した。
これに関してはフォーム改造・本塁打増との因果関係も囁かれ(高橋本人は否定)、チームメイトの衣笠祥雄は安打だけを狙っていたら3000本安打を達成していたかもしれないと後年語っている。

高橋慶彦の生い立ちとプロ入りまで

1957年、北海道芦別市にあった旧三井鉱山の炭坑街で生まれた。
父・慶喜は宮城県鳴子町出身で、実業団のクロスカントリースキー選手であった。
現役時代は全日本スキー選手権大会で入賞歴もある。
慶喜の芝浦工業大学スキー部監督就任に伴い、4歳の時に、東京都清瀬市に移り住んだ。

1974年、城西高等学校のエース・4番として、3年時の第56回全国高等学校野球選手権大会に東東京代表として出場した。
この際に披露した走塁が、広島東洋カープのスカウト・木庭教の目に留まることとなった。
同年のプロ野球ドラフト会議で広島から3位指名を受け、入団。

広島カープでプロ入り後、猛特訓でスイッチヒッターに

高校時代はエースで4番の高橋だったが入団後間もなく打者に転向、ジョー・ルーツ監督の指令でスイッチヒッターとなるべく山本一義打撃コーチと共に猛特訓を開始。

朝から晩までバットを振り続け、食事時や寝る時もバットを手離さず、これで体を壊さないのが不思議なほどだと言われていた。
身長176cmとプロ野球選手としては決して恵まれた体格ではなかったが、この並外れた練習量とウエイトトレーニングで実力をつけ、1978年からレギュラーに定着。
1970年代後半から1980年代の赤ヘル黄金時代に、1番打者として活躍した。

ジョー・ルーツの後を継いだ古葉竹識監督の下、「赤ヘル機動力野球の申し子」として3度の盗塁王を獲得。
1979年には33試合連続安打の日本記録を打ち立てると、同年の日本シリーズでは全7試合で安打し、打率.444を記録、MVPに輝いた。

広島カープ 高橋慶彦伝説 元祖カープ女子をメロメロにした男 - YouTube

甘いマスクで元祖カープ女子をメロメロにした高橋慶彦

広島カープにおいて数少ない全国区の知名度を持った選手で小説家・村上龍が高橋をモデルに書いた『走れ!タカハシ』はベストセラーとなっている。

Amazon.co.jp: 走れ,タカハシ! (講談社文庫): 村上 龍: 本

ヨシヒコが走るとき、何かが始まり何かが終わる。「ファーストベースにヘッドスライディングしてもそれが様になる日本でも珍しいプロ野球選手」と著者が激讃する広島カープ高橋慶彦遊撃手の輝ける肉体を軸に、野球を楽しむ普通の人々を配した軽快な短篇集。時代を駆け抜ける爽やかな風とともに贈ります。
甘いマスクで女性人気も高く、歌手としてシングルレコードを4枚も出している。

君の声が聞こえる/青春の1ページ(1980年発売)
うわさのセクシークイーン/ハッピーナイスデイ(1981年発売)
僕の世界へ/君の声がきこえる(1982年発売)
鏡の中のメモリー/想い出は風のように(1982年発売)

ビクトリー(1984年4月1日発売。メインボーカルは細川たかし、高橋は原辰徳・岡田彰布・宇野勝・遠藤一彦・荒木大輔と共にコーラス参加。
高橋慶彦/鏡の中のメモリー

高橋慶彦/鏡の中のメモリー

高橋慶彦の人柄について

キレる高橋慶彦 マイクが偶然拾った球場内音声

人なつっこく明るい性格で、交友範囲が広かった。
ビートたけしや浜田省吾など、仕事で広島に訪れる有名人を「今日飲みましょう」と誘い、広島の歓楽街・流川で飲み歩く姿が度々目撃されていた。
昼は真っ赤なポルシェを乗り回し、遊び人としても有名で、叶和貴子など芸能人との噂も多かった。
そのため「夜も盗塁王」などと揶揄されたこともある。

その一方で、スイッチヒッター転向のエピソードにもうかがえるように「練習の虫」と名づけられるほどの努力家でもあり、足を故障したときもバッターボックスに椅子を置きそれに座ってフリーバッティングをしていたり、付き合っている女性のマンションにバットを持ち込んで夜中に素振りを繰り返していたとの伝説がある。

若手の頃から首脳陣や先輩にも臆することしなく堂々と意見をぶつけていた。
後年現役時代を振り返り、「自分は減らず口ばかり叩いてきたから、ベテランになれば出されるのは覚悟していた」と語っている。
江夏から若い時の自分に性格が似ていると言われたことがあり、「生意気で目上の人にも臆さずものを言うから(トレードに)出されたけど、なんでもハイハイ言うてる性格ならお互いプロでここまで活躍できてないのじゃないか」と言われたときはなるほどと納得したという。

従兄弟として、俳優で歌手の高橋良明と歌手・高橋知秀の兄弟がいる。
しかしながら、高橋良明はバイク事故のために16歳で死亡、また高橋知秀も後年の交通事故によって芸能活動から退いている。
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