1998年、事件から22年後に「驚きももの木20世紀」で特集されました
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ベレンコ中尉亡命事件がもたらした影響
日本のレーダー網の脆弱性が批判され、日本の防衛能力は必要最低限にすら達していないという声が上がった。この事件を契機に日本における防衛論議の流れに変化が生じ、それまでは予算が認められなかった早期警戒機E-2Cの購入もなされた。
一方のソビエト側は、レーダーサイトが敵機、味方機を識別するЯСС(Я - свой)暗号を変更せざるを得なかった。また、当事件の調査のためチュグエフカ空軍基地を訪れた委員会は、現地の生活条件の劣悪さに驚愕し、直ちに5階建ての官舎、学校、幼稚園などを建設することが決定された。この事件は、極東地域を始めとする国境部の空軍基地に駐屯しているパイロットの待遇改善の契機ともなった。
また、この事件によって低高度侵入の有効性と、ルックダウン能力の低い戦闘機の問題点が浮き彫りにされてしまったため、当のMiG-25自身を時代遅れにしてしまうという皮肉な結果を招いた。MiG-25は高高度・高速侵入する敵機の迎撃が主目的で、低高度侵入する敵機への対処能力は空自のF-4EJよりさらに劣るからである。後にソ連は、大幅に改良したMiG-31戦闘機を開発する事になる。
アメリカは、これまでMiG-25を超高速戦闘機として恐れており、それを意識する形もあってかF-15を開発していた。しかし、実際にはMiG-25はそれほどの脅威と呼ぶに値しなかった。特にそれまで耐熱用のチタニウム合金製と考えられていた機体が、実はステンレス鋼板にすぎなかったこと、真空管などを多用した電子機器が当時の水準としては著しく時代遅れなことに驚愕し、対ソ連軍事戦略にも大きな影響を及ぼした。
【1970年代の戦闘機大百科・アメリカ編】子どものころ無邪気に憧れた世界の戦闘機、20世紀を彩った名機から当時の世界空軍の最新鋭にいま再び迫ってみる!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
【1970年代の戦闘機大百科】「世界の戦闘機大百科」などの図鑑、子供の頃に目を輝かせて読みふけった記憶はありませんか?振り返れば1970年代といえば世界が冷戦状態下の緊張にあった時代、各国は防衛力を高めるべく各種の戦闘機を次々に配備していきました。まだ戦争のなんたるかも分からない子供の頃でしたが、戦闘機のカッコよさに無邪気に憧れた人も多いのでは?そんな70年代当時の戦闘機大百科【アメリカ編】をまとめてみました。