『3時のあなた』(1968年4月1日から1988年4月1日・フジテレビ系列)の歴代司会者
メイン司会者にタレント・女優を起用していたことも影響して、15時台の生放送にも関わらず大物の俳優も数多く出演した。
『3時のあなた』のテーマ曲(1968-1988) - Theme music - YouTube
2代目 1980年代前半から使用。ピアノと男女コーラスをメインとした現代的アレンジ。タイトル・作曲者不明。
「3時のあなた」の生放送が行われた 新宿区河田町のフジテレビ旧本社
岩佐徹(芳村真理・寺島純子のアシスタント役、1973~1977年)
野間脩平(高峰三枝子・森光子・寺島純子のアシスタント役、1968~1971、1978~1988年)
永島信道(山口淑子のアシスタント役、1970~1974年)
須田哲夫(高峰三枝子・森光子・扇千景のアシスタント役、1971~1982年)
逸見政孝(扇千景・司葉子・坪内ミキ子のアシスタント役、1975~1978年)
浪久圭司
松倉悦郎
城ヶ崎祐子
田丸美寿々
野崎昌一(うつみ宮土理のアシスタント役)
川端健嗣(寺島純子のアシスタント役)
牧原俊幸(うつみ宮土理のアシスタント役)
松田朋恵ほか
高峰三枝子:1968年4月 - 1973年5月(月曜日・火曜日) 現フジテレビ会長の日枝久氏が土下座して出演交渉を行った。
『3時のあなた』の初代総合司会は高峰三枝子(月曜日・火曜日)と木元教子(水曜日・木曜日・金曜日)。
テレビ時代に合わせ、1968年(昭和43年)から女優を起用する初めての試みであった「3時のあなた」の司会に就任。高峰の落ち着いた司会ぶりと気さくな人柄が好評で、当初の予定を大幅に延長し、1973年(昭和48年)5月まで5年1ヶ月司会を務める。
「3時のあなた」司会:高峰三枝子 1972年(昭和47年)- 美空ひばり - YouTube
1970年代までは歌ゲストのコーナーが設置されており、森進一、五木ひろし、西城秀樹、山口百恵など、当時のスター歌手の出演も昼の番組ながら多かった。
高峰三枝子は『歌う映画スター』の草分け的存在として活躍
帝国劇場の専務の紹介で松竹に入社し、同年に公開された大船映画『母を尋ねて』で女優としてデビューした。
理知的で気品のある美貌はたちまち人気を集め、翌年には松竹三羽烏と呼ばれた人気二枚目俳優・上原謙、佐野周二、佐分利信を相手にマドンナ役を演じた『婚約三羽烏』が公開されている。
同じ1937年(昭和12年)の年末に公開された浜本広の小説を映画化した『浅草の灯』で演じた浅草オペラの踊り子役で、歌を口ずさむシーンが話題となり、コロムビアがレコード歌手としてスカウト。
翌13年、映画『蛍の光』の主題歌「蛍の光」を桑野通子、高杉早苗と吹き込み、レコードデビュー。続いて映画『宵待草』主題歌の「宵待草」がヒット。これに気を良くした松竹とコロムビアは合同で音楽映画『純情二重奏』を製作し、映画と並び霧島昇と歌った主題歌が大ヒットすると、歌う映画女優としての地位を確立した。
木元教子:1968年4月 - 1969年3月(水曜日・木曜日・金曜日)
木元教子:1968年4月 - 1969年3月(水曜日・木曜日・金曜日) 女性ニュースキャスターの元祖・先駆け的な存在
北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。都立豊島高校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒。
夫はTBSを経て、現在青森テレビ監査役、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式)。実母は、生活評論家の町田貞子。
大学在学中にTBS(当時・ラジオ東京)に嘱託採用アナウンサー(編成局嘱託)として1956年5月に入社(1957年5月社員採用)。1957年4月、5期生アナウンサーとなり、TBS朝の情報・報道番組として、生のニュース番組のはしりとなった「ニュースレーダー」を、時の政治評論家細川隆元とともに出演、話題となる。細川は、今日の木元を育てた一人でもある。
1958年3月、TBSを退社し、フリーとなり、二人の子供を育てながら、フジテレビ「小川宏ショー」(1965年5月 - 1966年11月)、その後、同じくフジテレビ「3時のあなた」(1968年4月 - 1969年3月)の、各初代司会者となった。
その後、フジテレビと契約、初のメイン女性ニュースキャスターとなる。キャスター引退後、評論活動を中心とし、報道番組、社会情報番組等のコメンテーターをはじめ、フリーランスの立場で講演、執筆、シンポジウム等の総合企画・プロデュースを手がけ現在に至る。
木元教子(きもとのりこ)は評論家、ジャーナリストとして活躍しています
内閣府 原子力委員会委員(1998年1月 - 2006年12月)
経済産業省 総合資源エネルギー調査会・委員(1989年1月 - )
文部科学省 中央教育審議会・スポーツ振興特別委員会委員(1998年8月 - )
農林水産省 21世紀村づくり塾 100人委員会委員(1989年10月 - )
ETT『フォーラム・エネルギーを考える』運営企画委員(1990年7月 - )
食の教育推進協議会 共同創設者・実行委員(1993年11月 - )
生活構造改革フォーラム・代表(1994年3月 - )
(財)社会経済生産性本部・評議員(1994年4月 - )
NPO法人『21世紀の食は私達が作る会』代表(2005年12月 - )
山口淑子:1969年4月 - 1970年3月(水曜日・木曜日・金曜日)と1970年4月 - 1974年3月(木曜日・金曜日)
『3時のあなた』の司会者「山口淑子」
日本の敗戦を上海で迎えた彼女は、中国人として祖国を裏切った漢奸の容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国した。
帰国後は、旧姓(当時の本名)・山口淑子の名前で芸能活動を再開し、日本はもとより、アメリカや香港の映画・ショービジネス界で活躍をしたが、1958年(昭和33年)に結婚のため芸能界を退いた。
そして1969年(昭和44年)にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者としてマスメディア界に復帰、1974年(昭和49年)3月まで務めた。
後に1974年(昭和49年)から1992年(平成4年)までの18年間は、参議院議員をも務めた。2006年に日本チャップリン協会(大野裕之会長)の名誉顧問に就いた。
2014年9月7日、心不全のため東京都千代田区一番町の自宅で死去した。満94歳。叙正四位。
月曜日から金曜日の15時台に初めて投入された本格的なワイドショー番組である。この時間帯にワイドショー番組が設置されるに至ったのは、主なターゲットである主婦層にとって、ちょうどこの15時から16時あたりが家事を一休みする時間帯であることを見込んでのものだった。
放送開始当初は、主にゲストを招いてのトーク・歌、主な視聴者層である40代以降の女性に向けてのファッション情報の紹介、地方の風習・伝統の紹介などといった具合で、純粋な主婦向け情報番組としての趣が強い「女性のための女性のワイドショー」だった。
1970年代以降、森光子・寺島純子が司会に参加するようになってからは、前田忠明、東海林のり子、福岡翼ら個性の強いレポーター陣を配してのスキャンダル中心の芸能・凶悪事件レポートが主な内容となった。
1980年代後半に入り、長らく主な視聴者層となっていた主婦層の生活習慣の変化(パートタイマーの増加など)や、ワイドショー番組そのものに対してより高い情報性が求められるようになり、旧来の「主婦向けワイドショー」の色彩を色濃く残していた(あくまでも最後まで女優・女性タレントによる司会というスタイルに拘っていたことの弊害でもあった)本番組の趣旨も次第に時代に適応し辛くなったためか、次第に視聴率が低下した。
出典 3時のあなた - Wikipedia