歴代司会者の山口や扇が参議院議員へと転身するきっかけを作った番組であった。
久我美子:1970年4月 - 1970年9月(水曜日)
久我美子:1970年4月 - 1970年9月(水曜日)
久我家(こがけ)は村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む華族の家柄で、東京市牛込に生まれる。
1969年より約1年間、『3時のあなた』の司会を務めるなど、1970年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍する。
久我美子は戦後の復興時期の映画女優として大活躍した
1950年の映画『また逢う日まで』での岡田英次との窓硝子ごしの接吻を演じた(日本の映画界では1960年代のはじめ頃まで接吻のクロースアップはタブーだった)。
1954年、岸恵子・有馬稲子とともに文芸プロダクションにんじんくらぶを結成した。
1961年、俳優と結婚する気はなかったが、平田昭彦からの猛烈な求愛の末に結婚した。
芳村真理:1970年10月 - 1974年5月(水曜日) 元祖カリスマモデル・カリスマ司会者。
『3時のあなた』の司会者「芳村真理」:1970年10月 - 1974年5月(水曜日) カリスマ司会者の元祖。
1950年代後半(昭和30年代前半)において、人気ファッションモデルとして、各デザイナーのショーや「週刊朝日」を始めとする雑誌等の表紙グラビア(カバーガール)を飾るなどの活躍を見せる。このモデル時代に「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)で、初めての司会を担当している。彼女のモデルでの活躍は団令子らと共に「ファニー・フェイス」の代表格として「美人」の固定観念を打破する一助となった。
1968年から1973年にかけ芳村真理(右)はフジテレビ「夜のヒットスタジオ」の司会を務める。
また、そのヘアスタイルやファッションはこの番組の名物となった。出演歌手、特に新人歌手の場合、極度の緊張で臨むことが多かったといわれる「ヒットスタジオ」の中で、その緊張感をほぐす精神的支柱としての役割をも担う事が多かったり、女優・男優を出演させる際には彼女の人脈が重要であった等、「ヒットスタジオ」における彼女の存在感は絶対的なものがあった(後年、石野真子や工藤静香もこの事については述べている)。
その後も、「3時のあなた」(フジテレビ)、「ラブラブショー」(フジテレビ)、「料理天国」(TBS)など斬新な企画を目玉とする番組の司会を担当。
扇千景:1973年5月 - 1974年3月(月曜日・火曜日)と1974年4月- 1977年5月(木曜日・金曜日) 美人すぎる大臣の元祖。
一番右:逸見政孝さん、その隣が扇千景さん
扇千景は映画女優として活躍
宝塚歌劇団在団中の同年10月に宝塚映画『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』で映画デビューを果たす。その他、テレビや映画に出演。1956年『夜霧の女』で春日野八千代の相手役で盲目の少女ジェニイを演じ、新人演劇賞を受賞。
1957年5月31日付で歌舞伎役者の二代目中村扇雀(四代目坂田藤十郎)との結婚のため退団。
1958年に結婚。しばらく芸能活動から遠ざかっていた。しかし、知人の薦めにより日本教育テレビ(現・テレビ朝日)制作の単発テレビドラマ『君はいま何を見つめている』(1959年10月29日放送)に出演。この作品で第14回文部省芸術祭個人奨励賞を受賞し、再デビューする。
芸能界に復帰してからは、映画やテレビドラマなどに多数出演。1965年の連続テレビ小説『たまゆら』(NHK)や1968年の『大奥』(関西テレビ)、『花は散るらん』(東海テレビ)などに出演した。
扇千景は「3時のあなた」の司会を卒業後(1977年)に、政治家に転身。大臣になる。
扇千景は「3時のあなた」の司会役後に、政治家に転身
1977年の参院選に自由民主党総裁・福田赳夫や幹事長・大平正芳などの要請を受け、自民党より参議院議員選挙全国区にタレント候補として初当選。自民党内では当初、福田赳夫→安倍晋太郎→三塚博が率いる清和会に属した。1989年の参院選では次点で落選したが、1993年に山岡賢次が第40回衆議院議員総選挙出馬に伴う自動失職により繰上当選。1994年に同党を離党し、新生党に入党。同年12月10日の新進党結党に参加し1995年第17回参議院議員通常選挙・比例区で再選した。
新進党解党後は、小沢一郎率いる自由党結党に参画。2000年4月、与党連立政権を離脱した小沢と袂を分かち保守党党首となった。
第2次森内閣では建設大臣兼国土庁長官として初入閣、第2次森改造内閣では中央省庁再編に備え上記の両職に加えて運輸大臣、北海道開発庁長官も兼務し、中央省庁再編後は、そのまま国土交通大臣に就任した。
扇千景は初代国土交通大臣を勤めるなど、大臣・党首を歴任するすごい政治家になりました。
3時のあなたの司会業は、超エリートコースなのです。
森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。カリスマ女性司会者。日本を代表する「お母さん女優」。
森光子:1974年4月 - 1988年3月(月曜日・火曜日) 歴代最長司会者。
京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。
田中派に所属、後に宮沢派に転じる。1980年(昭和55年)、1986年(昭和61年)と再選され、環境政務次官・参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・参議院外務委員長・自民党婦人局長などを1992年(平成4年)に引退するまで歴任した。
1993年(平成5年)11月3日、勲二等宝冠章受章。政界引退後は女性のためのアジア平和国民基金の呼びかけ人となり、同基金の副理事長を務めた。