『THEビッグオー』は人間が演じている特撮番組の劇中劇を見せていた可能性
『THEビッグオー』は人間が演じている70年代風の特撮番組の劇中劇を見せていた可能性
ビッグオー(Big-O)の顔はイナズマンやロボット刑事を参考にしている。また、動作音や他のメガデウスのデザインなどは1970年代の特撮テレビ番組『スーパーロボット レッドバロン』に由来している。
via img.discas.net
「パラダイム・シティ」の物語は著者「Angel Rosewater」(エンジェル・ローズウォーター)が脚本した劇中劇に過ぎず、その劇中劇の『メトロポリス』は特撮番組か何かに過ぎないというオチ。
この場合、すべての舞台やロボットも特撮のセット、CG か何か、登場人物は全員ただの人間の役者である。すべての演出は特撮技術で表現されている。
人間の役者が演じている登場人物たちは、番組設定上はアンドロイドであるということになります(全員がアンドロイドであるとは言えない。誰が人間で、誰がアンドロイドかは特定できない)。
THEビッグオーに出てくるロボットは70年代の特撮がオマージュされている造形です。これは劇中劇がもし特撮番組であり、その番組製作スタッフが特撮系だったら、登場するロボットやメカが70年代の特撮系の造形であるというのは、非常に自然なつながりです。
この場合、すべての舞台やロボットも特撮のセット、CG か何か、登場人物は全員ただの人間の役者である。すべての演出は特撮技術で表現されている。
人間の役者が演じている登場人物たちは、番組設定上はアンドロイドであるということになります(全員がアンドロイドであるとは言えない。誰が人間で、誰がアンドロイドかは特定できない)。
THEビッグオーに出てくるロボットは70年代の特撮がオマージュされている造形です。これは劇中劇がもし特撮番組であり、その番組製作スタッフが特撮系だったら、登場するロボットやメカが70年代の特撮系の造形であるというのは、非常に自然なつながりです。
「パラダイム・シティ」を舞台にした『メトロポリス』はアンドロイドの開発と性能をテストするための軍隊プロジェクトやシミュレーション環境の可能性もある
『THEビッグオー』は、オチや結末は別として、SF作品、ロボットアニメとして、面白い作品だと思っています。戦闘シーンも好きでした。
『メトロポリス』という本は、アンドロイドやロボットの開発プロジェクトの極秘情報かもしれない。
「パラダイム・シティ」という特殊な舞台で、様々な役割を持たされた多様なアンドロイドたちの行動や活躍を観察することを通じて、アンドロイドやロボットの性能を実施テストし、さらにアンドロイドの開発を進化させる。
「パラダイム・シティ」はアンドロイドとロボット兵器の開発推進のためのテスト環境もしくはそういう軍隊の閉鎖空間におけるシミュレーション環境かもしれない。
「パラダイム・シティ」=シミュレーション環境。こういう可能性も面白いのではないでしょうか。
『メトロポリス』という本は、アンドロイドやロボットの開発プロジェクトの極秘情報かもしれない。
「パラダイム・シティ」という特殊な舞台で、様々な役割を持たされた多様なアンドロイドたちの行動や活躍を観察することを通じて、アンドロイドやロボットの性能を実施テストし、さらにアンドロイドの開発を進化させる。
「パラダイム・シティ」はアンドロイドとロボット兵器の開発推進のためのテスト環境もしくはそういう軍隊の閉鎖空間におけるシミュレーション環境かもしれない。
「パラダイム・シティ」=シミュレーション環境。こういう可能性も面白いのではないでしょうか。
一番最悪のオチとしては、すべては『メトロポリス』の著者「Angel Rosewater」(エンジェル・ローズウォーター)の妄想劇に過ぎないという可能性もある
登場人物が全員、不誠実な語り手であり、決定的な回答が出ないこの話の場合は、誰かの夢オチや妄想オチも、おおいにありえます。
映像的にも現実、過去の記憶、妄想や夢、劇中劇が混ざりこみ、はっきりとした現実との境目が分かりにくいタイプの作品は、夢オチや妄想劇な可能性も否定できません。
記憶を失われた街といった舞台や人物の設定も謎が多く、内容自体が、もともと、かなり仮想現実的な内容なので、どこまでが妄想や夢で、どこまでが現実か分離しにくいタイプのお話。
一般的には「妄想シーン」の挿入や妄想オチは、たいてい、サイコ系(人格破綻)キャラクターだったり、心理的にかなり追い込まれた不安定な心理状況のキャラクターが現実と妄想や夢の違いが分からなくなるような展開の中で見るものです。
映像的にも現実、過去の記憶、妄想や夢、劇中劇が混ざりこみ、はっきりとした現実との境目が分かりにくいタイプの作品は、夢オチや妄想劇な可能性も否定できません。
記憶を失われた街といった舞台や人物の設定も謎が多く、内容自体が、もともと、かなり仮想現実的な内容なので、どこまでが妄想や夢で、どこまでが現実か分離しにくいタイプのお話。
一般的には「妄想シーン」の挿入や妄想オチは、たいてい、サイコ系(人格破綻)キャラクターだったり、心理的にかなり追い込まれた不安定な心理状況のキャラクターが現実と妄想や夢の違いが分からなくなるような展開の中で見るものです。
『THEビッグオー』の中の「劇中劇」のシーン。
撮影スタジオのセット
劇中劇にさらに劇中劇が挿入されるような多重化がなされると、物語は、現実、夢、妄想、劇中劇がますます入り組み、理解が非常に難しくなります。
『THEビッグオー』は意図的に物語を分かりにくい話にしているわけです。こうしたことは、賛否両論が分れるでしょう。
『THEビッグオー』は意図的に物語を分かりにくい話にしているわけです。こうしたことは、賛否両論が分れるでしょう。
劇中劇であることを示す撮影セット・・・そして「パラダイム・シティ」自体も劇中劇。
地下ではちっぽけなセットを発見し、世界を信じられなくなったエンジェルの心と共にパラダイムシティも崩壊し始め、正体を現す。
『THEビッグオー』という物語(劇中劇)のリセット
物語をリセットすることができる存在であるエンジェルをガイドするゴードン・ローズウォーター
物語の登場人物の中で、多くのことを知っている存在=多くの記憶が与えられている存在と考えられるゴードン。ただゴードンが言っていることも、どこまで信用できるか不明です。
別空間との入り口のような描写=現実世界と劇中劇のクロスオ-バー的なシーン?
このような突然な混乱させる演出が物語を難解にしています。
このような異空間移動シーンが可能な世界観の出現=何でもありな話になってしまうのです。
そうすると製作側から説明がない限り、受け手の解釈は無限でありひとつの正解は導けません。
この作品は、多様な解釈ができるように意図的に造られています。
万人向けのお話ではありません。
このような異空間移動シーンが可能な世界観の出現=何でもありな話になってしまうのです。
そうすると製作側から説明がない限り、受け手の解釈は無限でありひとつの正解は導けません。
この作品は、多様な解釈ができるように意図的に造られています。
万人向けのお話ではありません。