2001年12月1日、JR東日本からJR貨物へ譲渡され、貨物専用機として、1039号機は
第2の人生をはじめます。
青森から仙台に住居を移し、度重なる故障の修繕にも耐え、貨物のけん引に精を出す日々でした。
第2の人生をはじめます。
青森から仙台に住居を移し、度重なる故障の修繕にも耐え、貨物のけん引に精を出す日々でした。
1回目の戦線離脱と、奇跡の復帰
ED75 1039号機は2010年、1回目のお払い箱通知を受け、車庫に放置されます。
ED75の末っ子の運命もここまでと思われました。
しかし、「2011年3月2日」、現役で動ける機関車が不足したことにより、ピカピカに整備され、
なんと現役復帰を果たします。
ED75の末っ子の運命もここまでと思われました。
しかし、「2011年3月2日」、現役で動ける機関車が不足したことにより、ピカピカに整備され、
なんと現役復帰を果たします。
復活したED75機関車最終号機(1039号機)@岩沼駅
2011年3月8日にyoutubeに投稿された、熱心なファンが撮影した動画です。
via www.youtube.com
2011年3月11日、この日も1039号機は働いていた。
2011年3月11日、復帰して数日後も、1039号機は元気に働いていました。
この日は常磐線を走る勤務。
常磐線は、海の近くを走る路線です。
そして、東日本大震災が発生。
この日は常磐線を走る勤務。
常磐線は、海の近くを走る路線です。
そして、東日本大震災が発生。
津波に飲み込まれながらも、運転手を守る
緊急停止していた1039号機に、大津波が押し寄せます。
1039号機の後ろにいた貨物は、すべて海に流されました。
しかし1039号機は、70トン近い重量があったためか、半分くらいまで海水につかりながらも、流されることなくとどまり、機関士を守りました。
復帰してわずか9日後のことでした。
1039号機は、結局その後、放置されざるを得ず、レールも流され移送もできずに、現地で解体されたそうです。
あまりにもドラマチックな幕引きでした。
この1039号機のけなげな活躍は、多くの人の感動を呼び、
多くの方が、放置中の1039号機を見に訪れました。
涙を流した方も、いたことでしょう。
今回は、その中から動画をひとつ紹介して、1039号機の頑張りを大いに讃えたいと思います。
ありがとう。1039号機。
1039号機の後ろにいた貨物は、すべて海に流されました。
しかし1039号機は、70トン近い重量があったためか、半分くらいまで海水につかりながらも、流されることなくとどまり、機関士を守りました。
復帰してわずか9日後のことでした。
1039号機は、結局その後、放置されざるを得ず、レールも流され移送もできずに、現地で解体されたそうです。
あまりにもドラマチックな幕引きでした。
この1039号機のけなげな活躍は、多くの人の感動を呼び、
多くの方が、放置中の1039号機を見に訪れました。
涙を流した方も、いたことでしょう。
今回は、その中から動画をひとつ紹介して、1039号機の頑張りを大いに讃えたいと思います。
ありがとう。1039号機。
【トレイい話】津波に耐えた機関車 | 鉄道王|レイルキング
東日本大震災から5年が経ちました。日本史上、最大・最悪とも言える災害は、鉄道にも多くの爪痕を残しました。おそらくみなさんが記憶されているいろいろなエピソードがあると思います。そんな中、私がこの目で見て、記憶に残っているエピソードをお話します。 それは『津波から運転士を守った機関車』のお話です。
こちらのブログを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
惜別 ED75 1039号機
涙なしでは見られません。
via www.youtube.com