【寝台列車 鈍行列車 貨物列車に活躍】交流機関車ED75【東日本大震災で被災も】
2017年4月25日 更新

【寝台列車 鈍行列車 貨物列車に活躍】交流機関車ED75【東日本大震災で被災も】

1980年代を中心に、全国の交流電化区間で寝台列車、鈍行列車、そして90年代以降は貨物列車を中心に大活躍した名機関車「ED75」を紹介します。末っ子の1039号機は、東日本大震災で被災し、津波から機関士を守りました。その1039号機を中心にお伝えします。

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ED75とは

1963年に常磐線が平駅(現・いわき駅)まで交流電化開業するのに伴い、それまでのED71形の後継機種として、広汎な運用に供するため汎用性を重視して設計された機関車である。
投入開始以来、当初構想の東北・常磐地区のほか、北海道や九州にも投入され、事実上の標準型として1976年までに総数302両が製造された。特急列車から一般貨物列車まで幅広く運用されたが、1980年代以降はEF81形の運用拡大、夜行客車列車や貨物列車の削減、普通客車列車の電車化・気動車化などによって運用が減少し、JR移行時には初期車を中心に大量の廃車が発生した。その直後、廃車となった一部の車両が日本貨物鉄道(JR貨物)の輸送量増大に対応するため車籍を復活して運用に就いたが、その後はEH500形の増備によって淘汰が進んでいる。
ED75

ED75

出典 裏辺研究所 さまより
ED75

ED75

出典 裏辺研究所 さまより

もっとも活躍したのは東北地方

ED75がもっとも活躍したのは、東北地方です。
東北本線、常磐線などで活躍しました。
重量の重い貨物列車や、速い速度を求められる客車列車などには、「重連」「三重連」などと言って、同じ機関車を2両、3両同時につなげて出力アップを図ったりすることもありました。
ED75の後継である、EH500などは、重連の手間を省くため、2つの機関車を1つにしたような作りになっています。
ED75の後継ぎ EH500

ED75の後継ぎ EH500

出典 裏辺研究所 さまより

現在のED75 定期運用から外れている

運用の変遷・現況
1997年にEF62形が運用を離脱して以降、JRで定期運用を持つ電気機関車としては最も運用開始年が古い形式であるが、1990年代以降、旅客会社では客車列車の廃止、貨物会社でもEH500形の増備により淘汰が進んだ。そして2012年3月17日のダイヤ改正をもって本系列の定期運用が終了した。2016年現在はJR東日本が所持する5両が工事列車等を中心に使用されているだけとなっている。

根強いファンがいる名機 ED75

ED75は、貫通扉を真ん中に配置し、左右対象にフロントガラスがある、非常に整った顔立ちをしています。
左右対称はイケメンの定番ともされていますよね。
また、1990年頃までは、真っ赤な一色塗りで、機関車特有のごっつさから、
「赤べこ」の愛称で親しまれました。(「べこ」とは東北弁で牛のこと)
そのためでしょうか、根強いファンがいます。
ここにご紹介するのは、女性の鉄道ファンの方のブログです。
ED75ファンクラブみたいなブログもありますね。
こちらの管理人さんの写真によると、2016年の時点でED75は、
定期運用はないものの、仙台駅で出番を待っているようですね。
ED75の詳しいデータは、ぜひこちらをご覧ください。

ED79というのは、青函トンネルが開通した時に、トンネル内専用機関車として、ED75から
改造されたマシンで、もともとはED75だったものです。

東日本大震災で被災したED75 1039号機

ここで、ED75のなかから、1両のストーリーを紹介したいと思います。
ED75 1039号機です。

302両製造されたED75の中で、もっとも後で造られた、ED75の末っ子です。
302両なのに、1039号とはいかに?と思われるかと思いますが、他の機関車にもあることですが、同じED75の中でも、バージョンアップが繰り返されています。
なので、1号機からはじまって、バージョンアップがあると、そこからは100番台、さらに200番台というように、番号が飛びます。
なので、ED75の場合は、1000番台が最終でしたので、その1000番台の中でも一番後で造られた、末っ子中の末っ子が、1039号機ということになります。
ED75 1039

ED75 1039

ED75 1039号機の歴史

ED75 1039号機は、1976年11月11日に当時の国鉄によって誕生しました。
最初は青森に配属され、夜行列車、貨物列車として、東北地方で活躍しました。

1987年4月1日の国鉄分割民営化により、JR東日本に所属。

1996年に、JR東日本青森運転所東派出所に配置されます。
しかし、普通列車の全電車化、貨物列車の減少により、第一線から外れ、
徐々に活躍の場を失います。

貨物専用機として第2の人生を

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