そして、その後、、虚実のあわい
当時のサンデーの読者は、とり氏のハイセンスが理解できなかったのかも知れません。
とり信仰の筆者はそうも思います、、
チャンピオン時代も自作の台詞を「わかりづらい」などと勝手に変えられた(後に単行本収録の際元の台詞に戻したそう)とか、
眼鏡をかけた主人公を設定しただけでずいぶん抵抗があったとか、
チャンピオンの保守性だか、まだまだベテランのキャリアではなかったとり氏への扱いだか、
そういったことがあったそうですが、
それから少し時代を経ても、少なくともサンデーではまだまだ読者は保守的だったということでしょうか。少年誌を離れていた5年間、その先鋭性にさらに磨きをかけていたとり作品、少年誌には受け入れ難かったのでしょうか。少年誌云々ではなく、それはたんに各漫画誌の読者のカラーの違い、棲み分けかもしれませんが、、
先述のとりスターシステムも、とり氏の漫画と世界に対する姿勢と資質をも表現していて、それもその可笑しみの一部なんだと思うのですが、サンデー読者にしてみれば「そんなんわけわからんわ」ということでしかなかったかも知れませんしね、、
とり信仰の筆者はそうも思います、、
チャンピオン時代も自作の台詞を「わかりづらい」などと勝手に変えられた(後に単行本収録の際元の台詞に戻したそう)とか、
眼鏡をかけた主人公を設定しただけでずいぶん抵抗があったとか、
チャンピオンの保守性だか、まだまだベテランのキャリアではなかったとり氏への扱いだか、
そういったことがあったそうですが、
それから少し時代を経ても、少なくともサンデーではまだまだ読者は保守的だったということでしょうか。少年誌を離れていた5年間、その先鋭性にさらに磨きをかけていたとり作品、少年誌には受け入れ難かったのでしょうか。少年誌云々ではなく、それはたんに各漫画誌の読者のカラーの違い、棲み分けかもしれませんが、、
先述のとりスターシステムも、とり氏の漫画と世界に対する姿勢と資質をも表現していて、それもその可笑しみの一部なんだと思うのですが、サンデー読者にしてみれば「そんなんわけわからんわ」ということでしかなかったかも知れませんしね、、
ところが、
最終話が掲載され連載が終了したのは89年の47号でしたが、そのわずか1ヶ月後52号に短篇「てりぶる少年団の逆襲」が掲載されます。
東京を脅かす怪物の出現に対抗するために、天本博士とてりぶる少年団の助けが必要とされますが、政府の要請で探偵(?)が彼らを捜すも誰一人行方が知れず、、という、続編怪獣映画のていのハナシですが、もちろん相変わらずの展開とオチとなっていきます。ここでは連載打ち切りや終了、再びの登場となったことなどに関するメタな言及やギャグはありません。
さらに翌年90年12号、今度は4人がてりぶる少年忍者として登場する忍者漫画(?)短篇「てりぶる少年伝」が掲載されます。今度はラストで「もし続編ができたら」という台詞があり、〈果たして彼らのこのあとの活躍を、また、機械船の威力を読者諸君は見ることができるのか!?それは作者にもわからない。わからないったらわからない。なにはともあれ「てりぶる少年伝」ひとまず一巻の終わりでございます…〉というナレーションで終わります。
東京を脅かす怪物の出現に対抗するために、天本博士とてりぶる少年団の助けが必要とされますが、政府の要請で探偵(?)が彼らを捜すも誰一人行方が知れず、、という、続編怪獣映画のていのハナシですが、もちろん相変わらずの展開とオチとなっていきます。ここでは連載打ち切りや終了、再びの登場となったことなどに関するメタな言及やギャグはありません。
さらに翌年90年12号、今度は4人がてりぶる少年忍者として登場する忍者漫画(?)短篇「てりぶる少年伝」が掲載されます。今度はラストで「もし続編ができたら」という台詞があり、〈果たして彼らのこのあとの活躍を、また、機械船の威力を読者諸君は見ることができるのか!?それは作者にもわからない。わからないったらわからない。なにはともあれ「てりぶる少年伝」ひとまず一巻の終わりでございます…〉というナレーションで終わります。
果たして真相は、、?
これはたんに、連載を打ち切られた漫画家に、その後2回、読み切り短篇のハナシが来ただけなのでしょうか、、?
2編とも連載時と変わらぬ調子で、連載を打ち切りにした読者アンケートに媚びた様子はまったくありません。
ところで、てりぶる本編は「ねの章」で始まり「いのししの章」で終わります。打ち切りなのに、きれいに十二支そろって終了?各話のタイトルに十二支がふられるというスタイル、連載当時もそうだったのか、筆者には思い出せませぬ。12回で終了したから後から単行本化時に十二支をふったのか?たんなる偶然か?
単行本には逆襲、少年伝までが収録されて一冊(一冊だけなのに第1巻「1」の表記があるのは、冒頭でご紹介の通りです^^;)になっていますが、単行本化のために連載後2回の短篇の機会を設けただけなのか、、
まさか、最初から全12回が決まっていて、打ち切りのこともネタにするために、、!いやそんな、、(((( ;゚Д゚)))
今回調べてみても、この真相に関わる記述は見つけることができませんでした。
謎は謎のまま、、
しかしいずれにしても、この機会に「てりぶる少年団」あるいはとり・みき作品にふれていただくなり、読み直していただければと、
とり・みき信仰の筆者としては願う次第ですm(_ _)m
で、また。とり作品が少年誌に載るようなことがあっても面白いなーヽ(‘ ∇‘ )ノ
2編とも連載時と変わらぬ調子で、連載を打ち切りにした読者アンケートに媚びた様子はまったくありません。
ところで、てりぶる本編は「ねの章」で始まり「いのししの章」で終わります。打ち切りなのに、きれいに十二支そろって終了?各話のタイトルに十二支がふられるというスタイル、連載当時もそうだったのか、筆者には思い出せませぬ。12回で終了したから後から単行本化時に十二支をふったのか?たんなる偶然か?
単行本には逆襲、少年伝までが収録されて一冊(一冊だけなのに第1巻「1」の表記があるのは、冒頭でご紹介の通りです^^;)になっていますが、単行本化のために連載後2回の短篇の機会を設けただけなのか、、
まさか、最初から全12回が決まっていて、打ち切りのこともネタにするために、、!いやそんな、、(((( ;゚Д゚)))
今回調べてみても、この真相に関わる記述は見つけることができませんでした。
謎は謎のまま、、
しかしいずれにしても、この機会に「てりぶる少年団」あるいはとり・みき作品にふれていただくなり、読み直していただければと、
とり・みき信仰の筆者としては願う次第ですm(_ _)m
で、また。とり作品が少年誌に載るようなことがあっても面白いなーヽ(‘ ∇‘ )ノ