あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1973年9月)
2016年7月21日 更新

あの頃洋楽が熱かった~全米トップ40あの年、あの月のベスト10曲(1973年9月)

あの時代、テレビと共にラジオにも夢中だった。テレビでは毎日歌謡番組が放送され、知らないうちに歌が身体に沁みこんでいった頃、ラジオでは洋楽専門の番組が各局に増えていた。その中でひと際洋楽ファンを虜にした番組が「全米トップ40」だ。ここでは、70~80年代のランダムにピックアップした月のチャートのトップ10曲をまとめました。

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第2位 マービン・ゲイ/レッツ・ゲット・イット・オン

Marvin Gaye:Let's Get It On

Marvin Gaye:Let's Get It On

モータウンの異端児という表現は、彼に当てはまるのかどうかわかりませんが、いつも苦悩しているイメージが拭えないのは自分だけではないと思います。この曲は、彼の5年ぶりとなるNo.1ヒットとなります。ちなみにタイトルの「Let's Get It On」とは、アフリカ系アメリカンの間で流行ったスラングで、“let's make love”と同義語になります。ストレートに言うよりは、なかなか粋なのかもしれません。

Marvin Gaye Let s Get It On /マーヴィン・ゲイ - YouTube

マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye, 本名:Marvin Pentz Gay, Jr. 1939年4月2日 - 1984年4月1日)は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.出身のソウル・R&B歌手。モータウンレーベル出身。ソロシンガーとして高い評価を受ける一方で、常に独創的なアイディアを持った先駆的な楽曲を数多...

グランド・ファンク・レイルロード/アメリカン・バンド

Grand Funk:We're An America...

Grand Funk:We're An American Band

「世界一のイモバンド」とか日本で言われたりもしているけど、断然カッコいいとしか言えないグランド・ファンク。このシングルは日本において「グランド・ファンク・レイルロード」名義ですが、1972年クレイグ・フロストが加入して4人編成になった際にレイルロードを取って、グランド・ファンクとなっています。プロデュースはトッド・ラングレン。単純明快な誰にでも分かる、ポップなアメリカン・ロックをかましてくれました。伝説となっている豪雨の後楽園球場、私にはちょっと、いやかなり早すぎて映像も残っていないのが残念極まりないです。

Grand Funk Railroad - We're An American Band song [promo film] - YouTube

なんといっても、このPVが最高にカッコよすぎます。イモバンドと呼ばれたってそんなの極東のザレ言だろ!と言わんばかりの軽快さ。私は今や死語となっているフィルムコンサートで、これを初めて観た時の感動、興奮を忘れられません。
ご愛嬌ですが、グランドファンク愛を感じられる忠実なカバーですね。

日本では・・・1973年9月の歌謡曲ベスト10

【1973年9月】てんとう虫のサンバ/アルバムの穴埋め曲がラジオから大ヒット
1 心の旅/チューリップ 歌謡大賞の新人賞にノミネートされ、テレビにも頻繁に出ていました。姫野さんがアイドル扱いだったですね。

2 草原の輝き/アグネス・チャン 前年♪おっかのう~え~ でデビューしたアグネス・チャンちゃん。40年以上経った今でも、日本語がそれほど上達していません。

3 わたしの彼は左きき/麻丘めぐみ 愛称カコ。彼女の代表曲と言って過言はないでしょうね。小学生のガキんちょたちは、「~左卜全」「~左とん平」とか言っておりました。名曲!

4 てんとう虫のサンバ/チェリッシュ ベスト30歌謡曲の司会をしていた愛川キンキン欽也氏に、松崎さんは「貧乏神」と呼ばれていました。確かに当時の風貌は・・・

5 ちぎれた愛/西城秀樹 「情熱の嵐」の次のシングル。作詞は当時の売れっ子ズズさんこと安井かずみ

6 胸いっぱいの悲しみ/沢田研二 これまたズズさん作詞、ロンドンでレコーディングされた曲。前作「危険なふたり」が爆発的ヒットした為、ちょっと影が薄い存在かも。

7 色づく街/南沙織 シンシアの9枚目シングル。「17才」と共に様々なアーティストにカバーされる代表曲。

8 恋する夏の日/天地真理 絶頂期まりちゃんのものまね定番曲。あのオオカミカットにテニスルックは、ちょっと違和感を感じた人もいた・・・かな?

9 コーヒーショップで/あべ静江 ラジオのDJだった“しーちゃん”のデビュー曲。美貌と美声で男性諸氏のハートを鷲掴み。

10 十五夜の君/小柳ルミ子 まだ清楚だった時代のルミ子嬢。これまたズズさん作詞。3人娘(南沙織、天地真理、小柳ルミ子)の人気絶頂期という時代ですね。

色づく街 南沙織 1991 - YouTube

1991年の紅白歌合戦に、特別枠として出演された37歳のシンシア。歌唱力が落ちておらず、当時のままの可憐さで感動さえいたしました。
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