全米トップ40 American Top40 とは?
音楽チャートを40位から1位まで週ごとに紹介するカウントダウン番組。
アメリカではこの番組の影響もあって、チャート40位以内が、その楽曲が売れたか否かの境界線の一つにもなっている。
アメリカの音楽チャートであるビルボードを世界的に有名にした番組でもあるが、現在のAT40は、ビルボードではなくラジオ&レコーズのチャートをベースに、番組独自に集計したランキングを紹介している。
1970年に放送開始。
1972年10月14日から1986年9月27日までラジオ関東(現ラジオ日本)で、『全米トップ40』というタイトルで放送(ラジオ関西でも遅れネット)。DJは音楽評論家の湯川れい子と同局アナウンサーの坂井隆夫。
全米トップ40と言えば、まずラジオ関東で土曜日の午後10時から3時間の生放送で放送していた時代が特に印象深いです。その後、日曜日午前0時からに時間変更したりしましたが熱狂的なファンの支持が強く研究会まで作られ、70~80年代の日本におけるポピュラーミュージック最盛期とも言える時代と共に幅広いリスナーに聞かれていました。毎回、あの年、あの月のトップ10曲を振り返ったまとめです。今回は1973年9月ある週のチャートから。
1973年9月のある週のトップ10
刑事コロンボの「うちのカミさんがね・・・」が流行し、ドリフの「ちょっとだけヨ」に涙を流しながら笑い転げ、石油ショックでトイレット・ペーパーや洗剤の買占めに翻弄された1973年。ノストラダムスの大予言がベストセラーとなり、1999年には自分は何歳になってる?と遠い未来を見つめていたけど風の如くあっとゆー間に過ぎ去って今は21世紀。アメリカでは、米軍が南ヴェトナムから完全撤退したものの、戦闘はまだ続くといった状況。それでもヒットチャートは、絶大なる人気ジャンルであるカントリーやソウルミュージックが賑わせていた。そんな9月のトップ10をまとめました。
第10位 オールマン・ブラザーズ・バンド/ランブリン・マン
The Allman Brothers Band:Ramblin' Man
デュアン・オールマン亡き後、今までのブルース調とは違う明るいサザンロック、カントリー調のこの曲がチャートイン。最高位2位を記録しました。デュアンと共にリードギターであった、ディッキー・ベッツがサウンドに合ったヴォーカルを聞かせてくれます。
オールマン・ブラザーズのオリジナルメンバーであり、この歌を作ったディッキー・ベッツは、自分の息子にデュアンと名付けるほどデュアン・オールマンを敬愛していたと言います。しかし弟のグレッグとは仲が険悪で、解散、脱退を繰り返し、再結成後も2000年には脱退してしまいます。このサザンロック調は、オールマンというよりも、ベッツのカラーだったんでしょう。
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音楽ライター記事「ディッキー・ベッツ・インタビュー/ サザン・ロックの巨匠が語るギター人脈」 | 音楽ジャーナリスト&ライターの眼 ~今週の音楽記事から~ | ヤマハ株式会社
ヤマハ株式会社が運営する、音楽に関連した書き下ろし記事を集めたウェブサイトです。この記事は山崎智之による「ディッキー・ベッツ・インタビュー/ サザン・ロックの巨匠が語るギター人脈」です。
2013年に来日した、ディッキー・ベッツのインタビュー記事です。
第9位 B.W.スティーブンソン/マイ・マリア
B.W.Stevenson:My Maria
アメリカのカントリーシンガーで、同名アルバムからシングルカットされました。このアルバムには、ジム・ゴードン、ラリー・カールトン、ジョー・オズボーンなど有名スタジオミュージシャンが参加しております。この曲でもジム・ゴードンのドラムが冴え渡ります。最高位9位
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B.W. STEVENSON-"MY MARIA"(VINYL + LYRICS) - YouTube
同じアルバムに収録されてい「シャンバラ」という曲は、スリー・ドッグ・ナイトに取り上げられています。「マイ・マリア」も「シャンバラ」もスワンプで有名なダニエル・ムーアの作です。
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アイズレー・ブラザーズ/ソウル・レイディ・No.1
The Isley Brothers:That Lady (Part1)
1950年代に結成され、’60年代には無名時代のジミ・ヘンドリックスがツアーメンバーとして参加していたというアイズレー・ブラザーズ。元々R&Bグループでしたが、6人編成になってソウルフルなファンクも取り上げるようになりました。この曲はアルバム「3+3」からのシングルカット、最高位6位。
ISLEY BROTHERS-WHO'S THAT LADY,LIVE 1974.mp4 - YouTube
この曲はライヴでこそ彼らの凄さが分かると思います。ジミ・ヘンドリックスの影響を感じさせる、アーニー・アイズレーの超絶ギターを感じてみて下さい。
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第7位 ドーン/嘆きのジプシー・ローズ
Dawn Featuring Tony Orlando:Say Has Anybody Seen My Sweet Gypsy Rose
シングルヒット出すたんびに、本国アメリカでは名義が変わっていたんですが、日本ではしばらくずっと「ドーン」でありました。どー(ン)でもいいっちゃ、いいハナシですが。トニー・オーランドとバックコーラスのテルマ&ジョイスのトリオ編成でした。最高位3位。
TONY ORLANDO and DAWN - My sweet gypsy rose - 1973 - YouTube
類型的といえばそれまでですが、それもその筈彼らの最も有名なヒット曲「幸せの黄色いリボン」と同じ、アーウィン・レヴィンとラッセル・ブラウンの作です。
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「幸せの黄色いハンカチ」のモチーフにもなった、ドーン最大のヒット曲
歌詞には元ネタがある。口頭伝承により内容に違いがあるが、概ね以下のような話である。刑務所を出所した男が故郷に帰ろうとしていた。男は出所前に手紙を出し「もし、自分の帰りが望まれるなら、木の幹に白いリボンを結んでおいてほしい」と頼んでいた。男は汽車に乗って故郷の近くまで来るが、勇気がなくて、車中で知り合った男に木を見てもらう。木の幹にはたくさんのリボンが結ばれていた。
ジャーナリストで小説家のピート・ハミルは、この曲の歌詞は、上記の伝承を元に自分が1971年に執筆したコラム「Going Home」に基づいたものだとして提訴した。ハミルのコラムは、出所して妻の元へ帰る男がバスの中からオークの木に結ばれた黄色いハンカチを見るというもので、1972年にはテレビドラマになっている。被告側の調査で、ハミル以前にもこの伝承をまとめた文献があることが示され、訴訟は取り下げられた。
任侠一筋だった健さんが、初めて路線変更した大ヒット映画は、ドーンの「幸せの黄色いリボン」が大きく関係していました。またこんな経緯があったのです。