昔はノーヘルで良かった!86年に全てのバイクでヘルメット着用が義務化!
2017年12月7日 更新

昔はノーヘルで良かった!86年に全てのバイクでヘルメット着用が義務化!

かつてはヘルメット無しの状態、いわゆる「ノーヘル」での乗車も可能な時代があったのを覚えているだろうか。バイクに乗車する際のヘルメット着用義務は1965年から始まり、1986年には原付も含めた全てのバイク、全ての道路でヘルメット着用が義務化された。

70,293 view

昔はノーヘルで良かった!ノーヘルが良かった!?

バイクでのヘルメット着用は今では当然のことであるが、かつてはヘルメット無しの状態、いわゆる「ノーヘル」での乗車も可能な時代があったのを覚えているだろうか。
今の時代、ノーヘルで公道を走ったら、即白バイがかっ飛んできて違反切符を切られてしまうだろう。

現在もバイクに乗る際にヘルメットをしないという感覚を持っている方は、こちらへどうぞ(笑)

かつてのバイク・ライダーの風景!

かつてのライダーはアクセルとノーヘル全開!

かつてのライダーはアクセルとノーヘル全開!

カミナリ族!ノーヘルライダーも!

カミナリ族!ノーヘルライダーも!

"カミナリ族(カミナリぞく)とは、公道をオートバイで高速走行することを嗜好していた人達を指し、日本の昭和30年代から40年代頃を中心に用いられていた俗称である。
マフラーの芯を抜くなどの改造を施すことから騒音が大きく、その音が雷に似ているとしてこの呼び名がついた。"

wikipediaより引用
70年代後半頃

70年代後半頃

バイクはヤンチャな若者の憧れだった!

ヘルメットの着用義務はいつから?

バイクに乗車する際のヘルメット着用義務は1965年から始まった。

1965年に高速道路でのヘルメット着用努力義務(罰則なし)が規定され、1972年には最高速度規制が40kmを超える道路でのヘルメット着用が義務化(罰則なし)。

しかし、この頃まではヘルメットを被らず走行しても罰則ではなく、注意で済んだ。
当然ながら当時のバイクにはヘルメットホルダーがなかった。今では考えられない。
70年代はポケバイも発売され、若年層でもバイクが憧れの...

70年代はポケバイも発売され、若年層でもバイクが憧れの対象に!

罰則ありの制度は1975年から導入され始める。

まず、1975年に政令指定道路区間で、51cc以上のバイクでヘルメット着用が義務化された。そして、1978年に全ての道路(ただし制限速度が30km/h以下の道路を除く)で51cc以上のバイクのヘルメット着用が義務化。
1986年にはついに原付も含めた全てのバイク、全ての道路でヘルメット着用が義務化された。
1986年製のヘルメット

1986年製のヘルメット

「BELL STAR(ベルスター)Ltd2」

そもそも何故、ヘルメット着用が義務化された?

ヘルメット着用の義務化の背景には、60~70年代にかけてバイク人口が増えたこと、そして、それに伴って若年層のライダーによる事故が増加したことが背景にあるとされている。

また、80年代に入ってからは、「三ない運動」とされる社会運動が積極的に行われていた。
これは高校生によるオートバイ(第1種原動機付自転車を含む)並びに自動車の運転免許証取得や車両購入、運転を禁止するため、「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」というスローガンを掲げた運動のことである。

この「三ない運動」もヘルメットの完全義務化を推進したのではないだろうか。
やはり親は子の安全を想うものであるが、本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者・本田宗一郎さんは生前、「三ない運動」について「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」と語っている。
本田宗一郎さん

本田宗一郎さん

「三ない運動」の運動のきっかけはバイクブームに伴って、社会にバイクに対して否定的なイメージがついたことだった。
増加した交通事故件数や、全国各地で増えた暴走族による危険走行や騒音によって「バイクは危険な乗り物、暴走族の乗り物」といったイメージを植え付けた。

そこで1982年、社団法人全国高等学校PTA連合会により高校生の生命を尊重する観点から、仙台大会にて「オートバイの免許を取らせない」「オートバイに乗せない」「オートバイを買わせない」といった「3つの指針」を掲げた「三ない運動」を推進することが決議された。
バイクは確かに危険と隣り合わせの乗り物である。

バイクは確かに危険と隣り合わせの乗り物である。

また、80年代には交通事故者数の増加から、その状況は「第二次交通戦争」と呼ばれた。
なぜ戦争と名付けられたかは、昭和30年代(1955年~1964年)以降交通事故死者数の水準が、日清戦争での日本側の戦死者(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから「交通戦争」と命名された。

その後、1970年をピークに死者数は減少するが、1980年より再び増加に転じたため、第二次として危機感を持って伝えられた。
30 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • 🤖💛 🏍 2021/11/1 08:07

    追申:1970年代前半忍者隊の女の子(科学忍者隊ガッチャマン)の”g-3”「大月ジュン」もアニメ時代ノーヘルがまかり通る
    時代かつ彼女は「13歳で免許(?)」とかとんでもない設定です

    🚙 2020/1/25 17:15

    デビルマン不動くんも
    ノーヘルで乗り回していた

    すべてのコメントを見る (2)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

旧車を活気づけたい!改造単車ファンとオーナーが専門情報を享受できる旧車系ウェブメディア「i-Q japan」創刊!

旧車を活気づけたい!改造単車ファンとオーナーが専門情報を享受できる旧車系ウェブメディア「i-Q japan」創刊!

「チャンプロード」が2017年1月号をもって長年の歴史に幕を下ろしました。そこで旧車を盛り上げるべく立ち上がったのがウェブメディア「i-Q japan」。暴走族・旧車會の新たなバイブルになること間違いなし!
隣人速報 | 8,438 view
重版決定『復刻版 疾風伝説 特攻の拓』当時の装丁イメージで毎月2冊ずつ刊行を開始!!

重版決定『復刻版 疾風伝説 特攻の拓』当時の装丁イメージで毎月2冊ずつ刊行を開始!!

『復刻版 疾風伝説 特攻の拓』発売即大重版決定!!当時の装丁のイメージで『復刻版』と銘打って今月から毎月2冊ずつ刊行を開始されています。
〝待〟ってたぜェ!この〝瞬間〟をよォ!!ホンダ・モンキーが原付二種「モンキー125」になって帰ってきた!!

〝待〟ってたぜェ!この〝瞬間〟をよォ!!ホンダ・モンキーが原付二種「モンキー125」になって帰ってきた!!

本田技研工業は、昨年惜しまれつつ生産中止となった原付(50cc)「ホンダ・モンキー」を原付二種(125cc)にしたレジャーモデル「モンキー125」を7月12日に発売することを発表しました。
隣人速報 | 3,182 view
80年代ヤンチャな奴らが愛した単車!!HONDA・CBX400F!!

80年代ヤンチャな奴らが愛した単車!!HONDA・CBX400F!!

80年代、普通に走り屋にも人気がありましたが、夜のツーリングクラブ(集会)でも人気が高かった単車、ホンダ・CBX400Fをまとめてみました。
ギャング | 11,266 view
『湘南爆走族』の出演者その後・・・気になりませんか?

『湘南爆走族』の出演者その後・・・気になりませんか?

1987年東映作品の『湘南爆走族』の豪華出演者の今が気になり、色々と調べてみました。
ギャング | 484,546 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト