昔はノーヘルで良かった!ノーヘルが良かった!?
今の時代、ノーヘルで公道を走ったら、即白バイがかっ飛んできて違反切符を切られてしまうだろう。
現在もバイクに乗る際にヘルメットをしないという感覚を持っている方は、こちらへどうぞ(笑)
マンガ【特攻の拓】登場人物の単車(バイク)まとめ - Middle Edge(ミドルエッジ)
かつてのバイク・ライダーの風景!
ヘルメットの着用義務はいつから?
1965年に高速道路でのヘルメット着用努力義務(罰則なし)が規定され、1972年には最高速度規制が40kmを超える道路でのヘルメット着用が義務化(罰則なし)。
しかし、この頃まではヘルメットを被らず走行しても罰則ではなく、注意で済んだ。
当然ながら当時のバイクにはヘルメットホルダーがなかった。今では考えられない。
まず、1975年に政令指定道路区間で、51cc以上のバイクでヘルメット着用が義務化された。そして、1978年に全ての道路(ただし制限速度が30km/h以下の道路を除く)で51cc以上のバイクのヘルメット着用が義務化。
1986年にはついに原付も含めた全てのバイク、全ての道路でヘルメット着用が義務化された。
そもそも何故、ヘルメット着用が義務化された?
また、80年代に入ってからは、「三ない運動」とされる社会運動が積極的に行われていた。
これは高校生によるオートバイ(第1種原動機付自転車を含む)並びに自動車の運転免許証取得や車両購入、運転を禁止するため、「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」というスローガンを掲げた運動のことである。
この「三ない運動」もヘルメットの完全義務化を推進したのではないだろうか。
やはり親は子の安全を想うものであるが、本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者・本田宗一郎さんは生前、「三ない運動」について「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」と語っている。
増加した交通事故件数や、全国各地で増えた暴走族による危険走行や騒音によって「バイクは危険な乗り物、暴走族の乗り物」といったイメージを植え付けた。
そこで1982年、社団法人全国高等学校PTA連合会により高校生の生命を尊重する観点から、仙台大会にて「オートバイの免許を取らせない」「オートバイに乗せない」「オートバイを買わせない」といった「3つの指針」を掲げた「三ない運動」を推進することが決議された。
なぜ戦争と名付けられたかは、昭和30年代(1955年~1964年)以降交通事故死者数の水準が、日清戦争での日本側の戦死者(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから「交通戦争」と命名された。
その後、1970年をピークに死者数は減少するが、1980年より再び増加に転じたため、第二次として危機感を持って伝えられた。
マフラーの芯を抜くなどの改造を施すことから騒音が大きく、その音が雷に似ているとしてこの呼び名がついた。"
wikipediaより引用