女優でありながら”反戦闘士”としてブラックリストに載せられたジェーン・フォンダに纏わるよもやま話【前編】
2018年9月6日 更新

女優でありながら”反戦闘士”としてブラックリストに載せられたジェーン・フォンダに纏わるよもやま話【前編】

ジェーン・フォンダを記事にしようとすると、どうしても書かなければならないのが、1950年代はファッションモデル、1960年代は女優へ転身し、1970年代は反戦運動の闘士、80年代はエアロビの女王。90年代に一度引退し、21世紀になってまた、女優へと復帰という目まぐるしい程の人生のターニング・ポイントだ。実に波乱万丈ではないか!?

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ジェーン・フォンダってだれ?と言っている諸君へ!!

2015年、カンヌ映画祭でのジェーン・フォンダ

2015年、カンヌ映画祭でのジェーン・フォンダ

ジェーン・フォンダ(Jane Fonda, 本名:Jayne Seymour Fonda, 1937年12月21日 - )は、米国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の女優、作家、政治活動家、エアロビ・トレーナー。
これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している。
父は『怒りの葡萄』や『戦争と平和』などの映画に出演した俳優のヘンリー・フォンダ、弟も『イージー・ライダー』で一躍スターダムに躍り出たピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも『アサシン 暗・殺・者』に主演した女優である。

ジェーンの父の家系は、1500年代にイタリアからオランダに移住、1600年代にオランダからアメリカに移民してきたという。また、母は父であるヘンリー・フォンダの二人目の妻でフランシス・シーモア・ブロカウと言い、カナダ生まれで社交界の有名人であった。母は父のヘンリーと結婚前に、ニューヨークの裕福な弁護士と死別し間もない1936年に結婚し、翌年にジェーンがニューヨークで生まれた。

ジェーンの子供時代はつらかった!!

1943年、父のヘンリー・フォンダと

1943年、父のヘンリー・フォンダと

1950年、ジェーンが12歳の時、母親がニューヨークのビーコンにあるクレイグハウス精神病院で治療を受けている間に自殺をしてしまった。当時父のヘンリーは子供達を動揺させないために、母親が心臓発作で亡くなったと教えていたが、間もなくして、ある雑誌に母親が喉をカミソリで切ったという記事を読んでしまう。また、その3ヵ月後に後妻のスーザン・ブランチャード(以前から交際していたオスカー・ハマースタイン2世を継父に持つ舞台関係者)を迎えた父に反発し、以降その関係は時代を追うごとに悪化の一途を辿っていった。
ジェーンはあるインタビューで「私は子供のころ、両親の所有物のようだった。そのトラウマを乗り越えるのに70年以上かかってしまったわ。親から愛されたいのなら、親が納得する格好やスタイルをして、体重も親が納得するものでなければならないなんて、親は娘に絶対に思わせてはいけないのよ(ジェーンは何十年もの間、過食症に苦しんでいたそうだ!!)」と語ったという。
1959年7月のヴォーグ表紙

1959年7月のヴォーグ表紙

ニューヨーク州ポキプシーに本部を置くヴェッサー女子大(卒業生にはメリル・ストリーブがいる)へ入学するが、中途退学し画家を目指してパリへ留学。帰国後、次第に女優を志すようになり、1959年、モデルとして「ヴォーグ」誌のカバー・ガールを2度も飾るなどしながら、ニューヨークのアクターズ・スタジオで演技を学ぶ。父に反発しながらも、やっぱり「蛙の子は蛙」なのか!?ゲロ!!

1950年代は「モデル」として活躍したんですよ!!

ジェーン・フォンダ 往年の大女優 若いときだけ  とっても素敵な画像集

若い頃は相当のいい線を行っていた女優だったんですよ!!

Tall Story - Trailer

1950年代後半より舞台に立ち初め、1960年に『のっぽ物語』でついに映画デビュー。

バスケットの選手と彼の恋人の学生生活をコミカルに描いた青春ドラマ。映画『サイコ』前夜のアンソニー・パーキンスが爽やかな主人公を演じている。

1964年、父の影を嫌い、映画『危険がいっぱい』の出演を期にフランスへ!!

ハリウッドでのパターン化された役どころを嫌い、父の影響力から逃れるために、フランスから『危険がいっぱい』への出演依頼をあったのを機会にアメリカを脱出。
危険がいっぱい【ブルーレイ版】 [Blu-ray]

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『危険がいっぱい』(きけんがいっぱい、Les félins)は1964年のフランスの犯罪映画。米国の作家デイ・キーン(フランス語版)の1954年の小説『喜びの家(原題:Joy House)』を原作としている。

監督 ルネ・クレマン
脚本 ルネ・クレマン
   パスカル・ジャルダン
   チャールズ・ウィリアムズ
原作 デイ・キーン『喜びの家』
製作 ジャック・バール
出演者 アラン・ドロン
    ジェーン・フォンダ
    ローラ・オルブライト

Les Felins - René Clément - Alain Delon - Jane Fonda

主人公のいかさまギャンブラーが、ギャングの情婦に手を出して、組織から追われる身となる。辛くも脱した彼は、情夫と共謀して夫を殺した未亡人の屋敷にかくまわれた。しかし、その未亡人の姪に慕われ、屋敷の一室に幽閉されてしまう。アラン・ドロン主演の、コミカルなタッチのサスペンス劇。
監督があの「太陽がいっぱい(1960)」のルネ・クレマンだが、その雰囲気はまったくなくコミカル調だ。未亡人のバーバラ(ローラ・オルブライト)とマルク(アラン・ドロン)が、良い仲になるのだが情夫ヴァンサン(アンドレ・オウマンスキー)と上手くいっていないわけでもなく、ちょっと説明不足な所がある。メリンダ(ジェーン・フォンダ)が、横恋慕的にマルクを我が物とする為に話が進むのだが、フランス人はこういう話が好きなのか?

美しい蝶に脱皮しセックスシンボルへ!!

共演したアラン・ドロンの紹介で出会った映画監督ロジェ・ヴァディムの『輪舞』に出演した後、ヴァディムと8月に結婚。
女優づくりの名手といわれるヴァディムにより、美しい蝶に脱皮しセックスシンボルとなってゆくが、結婚生活では彼の性的嗜好にプライドを傷つけられたそうだ。(所謂、変態だ!!)。
この頃を象徴する映画としては、やはり『バーバレラ』だろう。
ブロマイド写真★映画『バーバレラ』ジェーン・フォンダ/...

ブロマイド写真★映画『バーバレラ』ジェーン・フォンダ/毛皮に寝転ぶ/アップ

ジェーンにもこんな時があったんですね!?
バーバレラ(1967年) [DVD]

バーバレラ(1967年) [DVD]

バーバレラ(Barbarella)は、1962年にジャン=クロード・フォレ(Jean-Claude Forest)によって作られたフランスのSFコミックおよび、主人公の女性キャラクターの名前。

監督 ロジェ・ヴァディム
脚本 ジャン=クロード・フォレ
   クロード・ブリュレ、など
原作 ジャン=クロード・フォレ
製作 ディノ・デ・ラウレンティス
出演者 ジェーン・フォンダ
    ジョン・フィリップ・ロー
    アニタ・パレンバーグ
    ミロ・オーシャ

Jane Fonda Barbarella Ordinary World

バカンスを楽しむバーバレラに無粋な地球の大統領からのTV電話。“宇宙破壊光線”を発明したデュラン=デュラン博士をふんづかまえなさい--との指令に、急遽、進路を変えた宇宙船は磁気嵐に襲われ、とある惑星に不時着。脱出したバーバレラは双子のブロンドの美少女に捕われ、美しい人形のセックス・マシーンの拷問を受け、その金属の牙にかかろうという、その時、逞しい髭面のマーク・ハンドに救けられる。しかし、彼が見返りに要求したのは、古式ゆかしいスタイルでの愛の交渉。

Sand [HD version] - B.Cotton (Barbarella, 1968)

この西暦4万年の世界では性交は、錠剤を飲み互いの手と手を合わせてするのだが、実際、古いやり方を試みてみるとこれが気持ちよくて、バーバレラ、後ろ髪引かれる思いでその場を去った。3千フィート地底のソゴの町へ向かうと、暴君・黒の女王の圧政に苦しむ町は今しも革命の炎が上がる間際。バーバレラは、女王に盲目にされ飛ぶ力も奪われた天使パイガーをお供に博士を探すが、陰険な宰相の罠に落ち鳥かごの鳥に・・・。
タイトルバックの無重力ストリップが一番の見せ場でジェーン・フォンダがすっごく綺麗だ。
SF漫画だが、作りはチープで本当にバカな映画。でもそのエロティシズムは人工美の極致だ!!。
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