ハリウッド映画全盛期を支えた男優列伝【ヘンリー・フォンダ編】
2020年3月18日 更新

ハリウッド映画全盛期を支えた男優列伝【ヘンリー・フォンダ編】

前回の「ハリウッド映画全盛期を支えた男優列伝【ゲーリー・クーパー編】」の続編だが、そろそろネタ切れの感が濃厚となって来たような・・・??。それでも私の記憶を振り絞って”記録を残す”ということに主眼をおいて書いてます!!。さあ、今回もハリウッド男優について話を進めましょうか??

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荒野の決闘 [Blu-ray]

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『荒野の決闘』(こうやのけっとう、My Darling Clementine)は1946年の米国映画。ジョン・フォード監督による西部劇映画の古典的な作品である。主演はヘンリー・フォンダ。”OK牧場”の銃撃戦を題材としている。詩情溢れる西部劇の傑作として名高い。

監督 ジョン・フォード
脚本 ウィンストン・ミラー
   サミュエル・G・エンゲル
原作 スチュアート・N・レイク
  『WYATT EARP FRONTIER MARSHAL』
製作 サミュエル・G・エンゲル
出演者 ヘンリー・フォンダ
    リンダ・ダーネル

ちなみに、ジョン・フォード監督作品の西部劇映画の中でも『駅馬車』と並んで、最高傑作と評されている。『駅馬車』が動の西部劇なら、『荒野の決闘』は静の西部劇との声もある。

My Darling Clementine (1946) Final Scene

メキシコからカリフォルニアへ牛を運んでいた途中、アリゾナのトゥームストンへ立ち寄るワイアット・アープとその兄弟。だが、留守をまかせていた末弟は何者かに殺され、牛も盗まれてしまった。クラントン一家がその犯人であると踏んだワイアットは、保安官となってトゥームストンに留まる事を決意する。町では賭博師ドク・ホリデイと知り合い、次第に友情を深めていく一方、ドクを追ってやって来たクレメンタインという名の美しい婦人に一目惚れするワイアット。やがて、ドクの愛人チワワが、殺された末弟のペンダントを持っていた事が発覚。それは、クラントンの息子に貰った事が判明する・・・。
無法の荒野に生きるワイアット・アープにとって、クレメンタインのような東部の淑女を目にしたのは、生まれて初めてだったのかもしれず、片や、東部から無法の荒野に流れてきたドク・ホリディにとって、チワワは、ひょっとすると初めて出会った西部の女なのかもしれない。西部の男と東部の女に、東部の男と西部の女の組合せ。同じ監督の『駅馬車』 (1939 年) では決して相容れないものとして描かれていた はずなのが、この映画では 「東部」 との和解なのだろうか?リンゴ・キッドも荒野へと去って行った訳ですが、その意味合いが非常に対照的です。
『荒野の決闘』の開始部分

『荒野の決闘』の開始部分

ワイアット・アープを演じたヘンリー・フォンダは、『怒りの葡萄』 (1940 年) でも「静かな怒り」を見事に演じていたが、この映画では、それ以上に複雑な感情を、ちょっとした仕草や表情で実に雄弁に表現していて、これが名優というものかと感服する。

その3.『12人の怒れる男』(1957年)

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『十二人の怒れる男』(じゅうににんのいかれるおとこ、12 Angry Men)は、1957年製作の米国映画で、原作はレジナルド・ローズ。
「法廷もの」に分類されるサスペンスドラマ・サスペンス映画で、密室劇の金字塔として高く評価されている。ほとんどの出来事がたった一つの部屋を中心に繰り広げられており、「物語は脚本が面白ければ場所など関係ない」という説を体現する作品として引き合いに出されることも多い。

監督 シドニー・ルメット
脚本 レジナルド・ローズ
製作 レジナルド・ローズ
   ヘンリー・フォンダ
出演者 ヘンリー・フォンダ
    リー・J・コッブ
    エド・ベグリー

制作費は約35万ドル(当時の日本円で約1億2600万円)という超低予算、撮影日数はわずか2週間ほどの短期間で製作された。

12 angry men great scene

17歳の少年が起こした殺人事件に関する陪審員の討論が始まったが、誰が見ても有罪と思えたその状況下で、ひとりの陪審員が無罪を主張した事から物語は動き始める・・・。時には感情的に、時には論理的に展開される討論が、次第に無罪判決への流れに変わっていくスリルが、12人の点描と共に丹念に描かれていく。脚本のローズと共に製作を担当したH・フォンダをはじめ役者陣の充実ぶりも良く、特に最後まで有罪を主張するリー・J・コッブが強い印象を残す。今までの密室から一転、裁判所前で皆が別れていくラスト・シーンの解放感も快い。
日本で裁判員制度が始まった現在こそ、より多くの人に観ていただきたい作品であると感じる。決して他国の話ではなく、正に日本でも誰もが裁判員に選任される時代になり、そのための恰好の事前
研修ビデオになりうる作品ではないか??。
『十二人の怒れる男』の一場面

『十二人の怒れる男』の一場面

本作品における陪審員にヘンリー・フォンダが入っていたことで、最終的な結論が大きく左右されていたように、日本でも裁判員にどのような人が入るかによって結果が大きく左右されることもあり得るのだろう。
「疑わしきは罰せず」という裁判上の基本原則からすると、本作品は妥当な論理展開にはなるが、素人感情からすると、やはり本当のところ、それでいいのかなという疑念を抱かざるをえない。

その4.『黄昏』(1981年)【最後】

『黄昏』(1981年) [DVD]

『黄昏』(1981年) [DVD]

『黄昏』(たそがれ、原題: On Golden Pond)は、1981年製作の米国映画。湖畔の別荘を舞台に、人生の黄昏を迎えた老夫婦とその娘、彼女の結婚相手の連れ子の心の交流を描く。

監督 マーク・ライデル
脚本 アーネスト・トンプソン
製作 ブルース・ギルバード
製作総指揮 マーティン・スターガー
出演者 キャサリン・ヘプバーン
    ヘンリー・フォンダ
    ジェーン・フォンダ

On Golden Pond(黄昏)-Dave Grusin

ニューイングランドの別荘でバカンスを過ごしている一組の老夫婦のもとに、彼らの娘がやってきた。父親は愛情の示し方がわからず、それが故に、父娘の仲は疎遠になっていた。だが、娘のつれてきた孫を通じて、彼の娘への愛情は形に現れていく。
ジェーン・フォンダが不仲だった実父ヘンリーのために用意した作品で、スクリーンの裏側でも映画同様の葛藤が行われていた。念願かない、父と娘の絆は現実でも虚構でも復活し、ヘンリーはオスカーを受けて5ヵ月後に永眠。映画を観る事の素晴らしさが、フィルム上のものだけでない事を痛感させられる名編である。ぜひ1度は”観る価値あり”の映画の中の1本である。
『黄昏』の一場面

『黄昏』の一場面

80歳の誕生日を迎えるフォンダとキャサリーン・ヘップバーンの老夫婦の支えあう愛情が暖かい。長年心の行き違いを見せていた父ヘンリー・フォンダと娘ジェーン・フォンダの父娘の葛藤と、それが次第に解けていく心地よさを感じずにはいられない。
老境や死にかかわる言葉が、さりげなくちりばめられていて、美しい画面と、深い人生への哀歓・・・。
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