松田聖子~1979年 -
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”山口百恵”さんが引退すると入れ替わるようにデビューし、ヒット曲を連発。デビュー半年後には「ポスト山口百恵」の筆頭とされていました。
でも、その路線、生き方、全てが百恵さんとは真逆だったように思います。
「脱アイドル」を目指しヒット曲を飛ばす中、実像の幸せを選んだ”山口百恵”
「アイドルの原点」に戻り、髪型までもが世の中に与えた影響は大きく、幾つになっても「ぶりっこ」を貫き通す”松田聖子”
「ぶりっこ」といっても聖子さんの場合 ただ可愛いだけではなく歌唱力もずば抜けていたので、向かう所に敵なしといった感じでしたね。
1980年4月1日リリースの「裸足の季節」で歌手デビュー。
でも実は聖子さん、歌手より女優としてのデビューが先なんですよね。
「一刻も早く歌手になりたい」という聖子さんの強い思いがご両親に届き、九州の高校から堀越高校に転校し夏休みに上京。その年の11月に始まるドラマ「おだいじに」のオーディションに合格し女優デビューが決まりました。
そのドラマの出演中に洗顔料「エクボ」のCMモデルのオーディションを受けたのですが、エクボができないため採用されず。声が認められてCM曲として「裸足の季節」を歌う事に。
少しでもタイミングが遅れていたら、今の聖子さんはなかったかもしれませんね。
2曲目の「青い珊瑚礁」が大ヒットし、世の中は「聖子ちゃんブーム」に沸きました。
伸びのある透き通った歌声で快進撃は続きます。
でも、その路線、生き方、全てが百恵さんとは真逆だったように思います。
「脱アイドル」を目指しヒット曲を飛ばす中、実像の幸せを選んだ”山口百恵”
「アイドルの原点」に戻り、髪型までもが世の中に与えた影響は大きく、幾つになっても「ぶりっこ」を貫き通す”松田聖子”
「ぶりっこ」といっても聖子さんの場合 ただ可愛いだけではなく歌唱力もずば抜けていたので、向かう所に敵なしといった感じでしたね。
1980年4月1日リリースの「裸足の季節」で歌手デビュー。
でも実は聖子さん、歌手より女優としてのデビューが先なんですよね。
「一刻も早く歌手になりたい」という聖子さんの強い思いがご両親に届き、九州の高校から堀越高校に転校し夏休みに上京。その年の11月に始まるドラマ「おだいじに」のオーディションに合格し女優デビューが決まりました。
そのドラマの出演中に洗顔料「エクボ」のCMモデルのオーディションを受けたのですが、エクボができないため採用されず。声が認められてCM曲として「裸足の季節」を歌う事に。
少しでもタイミングが遅れていたら、今の聖子さんはなかったかもしれませんね。
2曲目の「青い珊瑚礁」が大ヒットし、世の中は「聖子ちゃんブーム」に沸きました。
伸びのある透き通った歌声で快進撃は続きます。
松田聖子 夜ヒットにおける7年の変遷〔初登場:裸足の季節~65回目:天使のウィンクまで〕(1987年11月4日)
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いまなお聖子のコンサートに足を運んでいる女装家のミッツ・マングローブ(41才)は、そういった肩書を増やしたり、消したり、軌道修正をし続ける人が多い芸能界で、聖子こそ「先駆者」と指摘する。
「芸能人の場合、わが身が商品ですから、飽きられてしまわないよう、随所随所でニュース性を際立たせることが必要になりますよね。たとえば結婚、出産、離婚、子育て、子供のデビュー、再婚、闘病、復帰、政界進出…など、今はたくさんフックがあります。
聖子さんは、アイドルに母親という肩書をプラスさせ、両立させた最初の人なんじゃないでしょうか。年齢を重ねて女性としてのスタンスが変わることはもちろん、私生活のスキャンダルでさえも、最終的に自分の糧にしてきた。松田聖子の売りとなったんです。すごい“ビジネスマン”ですよ」
昭和から平成、令和へと時代は変わっても永遠のアイドルとして走り続ける聖子さんの根源は、このブレない生き方ですね。
時には非難にさらされながらも言い訳することなく、ただ歌い続ける強さ。
百恵さんとは対照的な生き方ですが、多くの女性が勇気をもらいました。
時には非難にさらされながらも言い訳することなく、ただ歌い続ける強さ。
百恵さんとは対照的な生き方ですが、多くの女性が勇気をもらいました。
赤いスイートピー - 松田聖子
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松田聖子 - あなたに逢いたくて~Missing You~(Seiko Matsuda Concert Tour 2019 "Seiko's Singles Collection" より)
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カラオケでこの2曲は外せませんね。
中森明菜~1982年 - 1989年 1990年 - 2010年 2014年 - 2017年~
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聖子ちゃんブームの中 1982年5月1日リリースの「スローモーション」でデビュー。
当時のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」
キラキラしたアイドル達が多い中、明菜さんは少し違っていましたよね。
「花の82年組」と呼ばれたアイドル黄金期に明菜さんは異彩を放っていました。
明菜さんデビューのきっかけ、オーディション番組「スター誕生!」で初めて明菜さんを見た音楽プロデューサーによると、
当時のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」
キラキラしたアイドル達が多い中、明菜さんは少し違っていましたよね。
「花の82年組」と呼ばれたアイドル黄金期に明菜さんは異彩を放っていました。
明菜さんデビューのきっかけ、オーディション番組「スター誕生!」で初めて明菜さんを見た音楽プロデューサーによると、
「明菜さんを初めて見たとき、光と影をはらんだ奥深い魅力があるなと感じました。1970年代のアイドルであるキャンディーズや山口百恵さん、南沙織さんらは、1980年前後に、解散や引退をしてしまった。代わって1980年に松田聖子さんがデビュー。圧倒的な歌唱力とスター性で、“聖子一強時代”を築きました。そこに登場したのが明菜さん。彼女は百恵さんに近い“陰”の要素を持っているだけでなく、努力家で歌もうまかった。幼さと大人の雰囲気を同居させた楽曲を立て続けに発表して成功をおさめました」
デビュー曲「スローモーション」は、「全日本有線放送大賞」など多くの賞を獲得し「聖子一強時代」に新風を巻き起こしました。
中森明菜 スローモーション
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アイドルの王道を一心に進む「聖子」さんと、アイドルでありながらアーティストよりな「明菜」さん。
この頃 メディアはこぞって2人の不仲説を取り上げていましたが、ご本人達には「不仲」という意識はなかったようですし、明菜さんにとって聖子さんは大好きなアイドルだったようでTV番組で物真似を披露されたこともありました。
この頃 メディアはこぞって2人の不仲説を取り上げていましたが、ご本人達には「不仲」という意識はなかったようですし、明菜さんにとって聖子さんは大好きなアイドルだったようでTV番組で物真似を披露されたこともありました。
全盛期の聖子さんと中森は、テレビ局で顔を合わせても表面上、笑顔で会話するだけという感じだったと思います。のちに大人になってからは互いを認め合い、楽曲をカバーし合ったりしていますが、それは二人が成熟してからの話です。中森はあまり聖子さんを意識していませんでしたし、聖子さんのほうは利口だから、共演すれば笑顔で接していたというところだったと思います。
陰があるアイドルとして”山口百恵”さんと比較される事もありましたが、明菜さん曰く
「百恵さんは横浜生まれの横須賀育ち。もうそれだけで私と違うでしょう。私、大森生まれの清瀬育ちだもんね。雰囲気が違いすぎるでしょう」
明菜さんは誰とも比べず、ある意味他者には無関心に自分だけの世界観を作り上げようとされていたのかなと感じます。
「百恵さんは横浜生まれの横須賀育ち。もうそれだけで私と違うでしょう。私、大森生まれの清瀬育ちだもんね。雰囲気が違いすぎるでしょう」
明菜さんは誰とも比べず、ある意味他者には無関心に自分だけの世界観を作り上げようとされていたのかなと感じます。
中森明菜・DESIRE (レコ大 1986.12.31)kitiusa
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生年月日:1962年3月10日
出身地:福岡県久留米市荒木町