テニス全米オープン決勝で“大坂なおみ”に破れた『セリーナ・ウィリアムズ』の半端ない凄さ!!
2018年9月13日 更新

テニス全米オープン決勝で“大坂なおみ”に破れた『セリーナ・ウィリアムズ』の半端ない凄さ!!

9月8日(日本時間9日早朝)テニス・全米オープンの女子シングルス決勝戦で大坂なおみと対戦し惜しくも敗れてしまった、あえての『セリーナ・ウィリアムズ』選手に注目してみました。色々と調べてみると物凄い選手というのが分かりました。

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セリーナ・ウィリアムズ プロフィール

セリーナ・ウィリアムズ

セリーナ・ウィリアムズ

フルネーム Serena Jameka Williams
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・ミシガン州サギノー
居住地 同・フロリダ州
パームピーチガーデン
生年月日 1981年9月26日(36歳)
身長 175cm
体重 70kg
利き手 右
バックハンド 両手打ち
デビュー年 1995年

デビューから3年で

1995年にツアーデビューしたセリーナ選手、僅か3年の1998年にはシングルスに先立ち、ウィンブルドンと全米オープンの混合ダブルス部門においてマックス・ミルヌイ選手(ベラルーシ)と組み、2大会連続優勝を遂げています。

さらに1999年2月末の「パリ・インドア選手権」と「エバート・カップ」で女子ツアーのシングルス2大会連続優勝を飾り、続く「リプトン国際選手権」で姉ビーナスとの“姉妹対決の決勝”に敗れたが、「16連勝」を挙げて世界の舞台に名乗りを上げた(プロ初優勝のパリ・インドア決勝では地元フランスのアメリ・モレスモ選手を破り、エバート・カップ決勝では12歳年上のシュテフィ・グラフ選手を破っている)快挙。
マックス・ミルヌイ

マックス・ミルヌイ

4大大会 全米オープンでの優勝

マルチナ・ヒンギス

マルチナ・ヒンギス

1999年の全米オープンで、「17歳11ヶ月」の若さで4大大会初優勝を達成しました。
決勝での相手のマルチナ・ヒンギス選手を破り、1958年全米選手権のアリシア・ギブソン選手(1927年 - 2003年)以来2人目の黒人女性チャンピオンとなった(ギブソン選手は1957年と1958年の全米選手権で大会連覇を達成した人物である)。

2002年の全仏オープンから2003年の全豪オープン

セリーナ・ウィリアムズ

セリーナ・ウィリアムズ

2002年の全仏オープンから2003年の全豪オープンまで「4大会連続」で姉妹対決の決勝を実現させ、妹のセリーナ選手が4連勝を果たしています。
因みにテニス4大大会の4連勝はシュテフィ・グラフ選手以来6人目の偉業達成。

体調不良

セリーナ・ウィリアムズ

セリーナ・ウィリアムズ

2003年全仏オープンの準決勝でジュスティーヌ・エナン・アーデン選手に敗れて連勝記録が止まってしまった。
続くウィンブルドン選手権でもう1度姉妹対決の決勝を戦い、この時も妹のセリーナ選手が勝利したものの、その後姉妹2人ともに体調を崩し、2003年度テニス・ツアーの後半戦を欠場してしまいました。
ジュスティーヌ・エナン・アーデン

ジュスティーヌ・エナン・アーデン

体調不良・怪我・そして復帰

セリーナ選手は2004年のウィンブルドン選手権決勝で17歳のマリア・シャラポワ選手に敗れ、大会3連覇を逃した。
しかし2005年の全豪オープン決勝でリンゼイ・ダベンポート選手を破り、2年ぶり2度目の優勝を果たす。
2006年は故障のため試合出場が少なかったが、2007年の全豪オープンでは世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がった。
決勝で(3年前のウィンブルドン決勝で敗れた)マリア・シャラポワ選手を破り、3度目の全豪優勝を達成。
これでセリーナ選手の4大大会シングルス優勝は「8勝」となった。
全豪オープンの女子シングルスでノーシードから優勝した選手は、1978年の優勝者クリス・オニール選手(オーストラリア)以来である。
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