技術力は高いがマニアックなメーカー
今日ではレガシィが築いたブランド力の上に、レヴォーグやインプレッサなどが人気を集めていますが、レガシィ以前のスバルは非常に地味なメーカーでした。
1958年発売のスバル360で四輪車市場に進出し、1966年発売のスバル1000で普通車の発売にこぎ着けます。そして、1971年に初代レオーネを発売しました。スバル1000と比べ、大衆迎合したと言われましたが、水平対向4気筒エンジン、前輪駆動など、他社と比べると個性的な成り立ちをしていました。
富士重工は、日本空軍を支えた飛行機メーカーがルーツですが、戦後は苦渋の歴史をたどり、自動車メーカーとしては、特に普通車市場では小規模な存在であり続けました。
そんなスバルの方向性を決定づけたのが、1972年にレオーネエステートバンに設定された4WDです。それまで、四輪駆動といえばジープスタイルのものばかりでしたが、レオーネは量産乗用車タイプで初の四輪駆動車となりました。1975年にはセダンにも4WDを設定。1979年発売の2代目レオーネでは、ステーションワゴンやスイングバックと呼ばれる3ドアハッチバックも設定されました。
XTクーペの名で北米から発売
当時、日本では1982年に発売されたホンダ・プレリュード(2代目)がスペシャルティカーとして人気を集めていました。排気量や価格帯が近いアルシオーネでも、開発にあたっては当然意識されたことでしょう。
決め手となる外観デザインは、直線基調のウェッジシェイプ(くさび形)をしていました。当時はフェラーリやランボルギーニといったスーパーカーも直線基調のデザインでしたから当然の流れなのですが、今見るとあまりのとんがり具合に驚いてしまいます。
それでも、ただ流行を追うだけでなく、空気抵抗係数CD値0.29という数値を日本車で初めて達成したあたりは、エンジニアリングを尊重するスバルらしいこだわりです。日本車に空気抵抗という概念を植え付けた最初のクルマ、とも言われています。
【SUBARU|TVCM】『4WDアヴァンギャルド』Alcyone アルシオーネ スバル 30sec
フラッグシップにふさわしいメカニズム
先進的なメカニズムも積極的に採り入れられました。4WD車には電子制御エアスプリングによるエレクトロ・ニューマティック・サスペンション(EPIS)と称したオートレベリング、車高2段階調節、減衰力可変ショックアブソーバー、車高自動切り換え機構が組み込まれた。さらに4WDのAT車では、油圧多板クラッチ方式トランスファー(MP-T)、2WDと4WDの自動切り換えシステムを装備しました。これらの先進技術は、次代のレガシィで高級装備として開花しました。
ヒコーキ屋らしいインテリア
独特な形状のインストルメントパネル、ガングリップ・タイプのシフトレバー、L字型スポークステアリングといったデザインは、ヒコーキ屋のルーツを連想させました。また、各種レバーをボタンスイッチにしてパネルに配置したデザインも先進的でした。
また、VRターボのAT車には、「エレクトロニック・インストルメントパネル」と呼ばれる液晶デジタルメーターも用意されました。まさに、スバルのフラッグシップクーペにふさわしいデザインと装備だったのです。
(再)スバル先進のテクノロジー(初代アルシオーネの紹介など)
スバル初の6気筒・3ナンバー車を追加
メカニズム面では、新開発の電子制御アクティブトルクスプリット4WD(ACT-4)を搭載。電子制御パワーステアリング、電子制御EP-Sサスペンション、専用の大型バンパー、高級シート、高級オーディオが装備されました。
1800ccにおいてもATの4速化、エンジンの電子制御燃料噴射システムの改良などが行われました。
1989年にレガシィが登場し、塗料の一部にレガシィと共通のものが採用されました。スバルのフラッグシップがレガシィに移行し、アルシオーネは全車受注生産となりました。そして1991年9月、2代目となるアルシオーネSVXにモデルチェンジし、6年に及ぶ生産を終了しました。
今のスバルには、アルシオーネ以来の2ドアモデルとしてBRZがラインナップされていますが、アルシオーネに憧れた長年のスバリストの皆さんには、個性が足りなすぎると思っているのではないでしょうか?
かくいう私は、小学校の社会科見学で群馬県太田市のスバルの工場を見学し、アルシオーネ2.7VXの写真が大きく印刷された下敷きを記念にもらい、毎日学校に持っていっていました。アルシオーネは、非常に思い入れがあるクルマです。