○○女子、○○ガール…時代を問わず存在する女たちの群れ
いつの時代も存在する、何かに夢中になる女子。彼女たちは、世間から一括りにカテゴライズされ、その特性・嗜好を鑑みたうえで、言い得て妙な名前を一つ授けられます。1990年に流行語となった「オヤジギャル」然り、2014年に小保方さんの登場で人口に膾炙するようになった「リケジョ」、他にも、森ガール、山ガール、歴ジョ、鉄子など、枚挙に暇がありません。
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「アンノン族」も、そんな一世を風靡した女たちの一分類。簡単に説明すると、雑誌『an・an(アンアン)』『non-no(ノンノ)』片手に、日本各地を旅する女子のことを指します。
女子たちのファッション・ライフスタイルに大きな影響を与えた、『an・an(アンアン)』と『non-no(ノンノ)』
雑誌『an・an(アンアン)』が、マガジンハウス(旧・平凡出版)から創刊されたのは1970年のこと。対して『non-no(ノンノ)』は、集英社から1年遅れの1971年に創刊されました。どちらも女性向けファッション雑誌の草分け的存在であり、一説によるとクリスマスをカップルで過ごすという今では当たり前となった文化も、80年代の『an・an』の特集記事から生まれたということで、その影響力の大きさたるや計り知れません。
この『an・an(アンアン)』と『non-no(ノンノ)』は、創刊期である1970年代、20代女子へ新しいライフスタイルを提唱すべく、さまざまな特集記事を組んでいました。ファッションはもちろん、グルメ、カルチャー、そして旅…。大きなカラー写真を用いてビジュアルにも凝った構成にしていたため、瞬く間に女性たちのハートをキャッチしていったのです。
この『an・an(アンアン)』と『non-no(ノンノ)』は、創刊期である1970年代、20代女子へ新しいライフスタイルを提唱すべく、さまざまな特集記事を組んでいました。ファッションはもちろん、グルメ、カルチャー、そして旅…。大きなカラー写真を用いてビジュアルにも凝った構成にしていたため、瞬く間に女性たちのハートをキャッチしていったのです。
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かつて女の一人旅は、変に思われることも多かった
中でも注目を集めたのは「旅」について。今となっては考えられませんが、70年代以前まで女性の一人旅というのは、ひじょうに珍しいものでした。仮に女一人で宿に泊まろうものなら「何かのっぴきならないワケがあるのでは?」と疑われて、宿主から入室拒否されることもあったのだとか。ホテルはおろか、漫画喫茶でさえ、女性専用の施設が当たり前のように存在する現代からしたら考えられないというものです。
1960年代後半に現れた「カニ族」が「アンノン族」の原型に?
この古き因習に変化の兆しが見られたのは、1960年代後半。横長の大型リュックサックを背負った姿で低予算の旅行に出かける若者たち通称「カニ族」が登場し始めたことにより、若い世代の貧乏旅行が一つのカルチャーとして定着し始めたのです。
大学生を中心として巻き起こったこのムーブメントは、当然ながら、若い女性にも波及。この流れを受けて、女子の一人旅、あるいは、少人数の旅行をよりカジュアルに、より洗練されたものにすべく、特集を組んでいたのが『an・an』であり、『non-no』だったというわけです。
大学生を中心として巻き起こったこのムーブメントは、当然ながら、若い女性にも波及。この流れを受けて、女子の一人旅、あるいは、少人数の旅行をよりカジュアルに、より洗練されたものにすべく、特集を組んでいたのが『an・an』であり、『non-no』だったというわけです。
NHK|ニッポンのポ >> 俗語辞典 >> 北を目指して横歩き「カニ族」
1971年(昭和46年)札幌市の中心街を歩く「カニ族」たち 写真:共同通信社大きなリュックで横歩き「カニ族」。日帰りバスツアーでカニ食べ放題に行く人たち、というわけではありません。でも「カニ」はあの、海や川にいるカニ。「カニ族」とはいったい何なのか…? こ
NHKでも特集された「カニ族」
京都、軽井沢、清里高原などが人気だった
「アンノン族」の中心とされた世代は、18・19歳頃の大学生から20代中頃社会人まで。彼女たちが旅の主目的にしたのは、おいしい料理と美しい景観、歴史的建造物などです。
具体的な場所でいうと、京都の大原や嵯峨野、軽井沢、飛騨高山、輪島、清里高原が人気に。特に清里は、アンノン族が大挙して押し寄せて1970年代~1980年代に一大ブームとなり、ペンションやタレントショップ、ファンシー調のカフェなどが乱立。明らかに、若い女性層向けの街へとつくりかえられたのでした。
こうした清里などの成功を受けて各地方自治体は、アンノン族の獲得こそ、地域活性化につながるとして、次々と若い女性観光客を呼び込むための取り組みを実践。大分県の温泉地・由布院などは、成人男性向けの歓楽街を排除し、若い女性が安心して訪れられるクリーンな街づくりに着手したりもしました。
具体的な場所でいうと、京都の大原や嵯峨野、軽井沢、飛騨高山、輪島、清里高原が人気に。特に清里は、アンノン族が大挙して押し寄せて1970年代~1980年代に一大ブームとなり、ペンションやタレントショップ、ファンシー調のカフェなどが乱立。明らかに、若い女性層向けの街へとつくりかえられたのでした。
こうした清里などの成功を受けて各地方自治体は、アンノン族の獲得こそ、地域活性化につながるとして、次々と若い女性観光客を呼び込むための取り組みを実践。大分県の温泉地・由布院などは、成人男性向けの歓楽街を排除し、若い女性が安心して訪れられるクリーンな街づくりに着手したりもしました。
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さだまさしの歌の歌詞にも出てきた「アンノン族」
こうしたアンノン族の流行を、歌手のさだまさしは1977年にリリースした自作曲『絵はがき坂』で次のように歌っています。
同じ様にジーンズ着て アンアン・ノンノ抱えた
若いお嬢さん達が今 シャッターを切った
この歌詞、「同じ様にジーンズ着て」=「量産型女子」、「若いお嬢さん達が今 シャッターを切った」=「SNS映え狙いの写真撮影」と変換することもでき、40年も昔のことなのに、今と寸分変わらぬ若い女子たちの価値観を垣間見ることができます。
そんな今や、50~60代のシニア世代となったかつてのアンノン族が、自分の娘よりも下の世代にあたるイマドキ女子たちの奇抜なファッションや、インスタ映えに躍起になっている姿に白い目を向けていたりするのだから、消費社会とは不思議なものです。
そんな今や、50~60代のシニア世代となったかつてのアンノン族が、自分の娘よりも下の世代にあたるイマドキ女子たちの奇抜なファッションや、インスタ映えに躍起になっている姿に白い目を向けていたりするのだから、消費社会とは不思議なものです。