2018年8月26日 更新
Windows95の発売された1995年とはどんな年だったのか・・・
ウインドウズが世に出て約4半世紀。世は「パソコン使えて当たり前!」ですが当時からアナログなお父さんがどんどん窓際に追いやられ始めた境目の年だったのではないでしょうか。今でこそ皆使えるようになったもののこの当時のCMの「タッチおじさん」がとても笑える気がしなかった世代によっては魔の年だったでしょう。それを反映させたようなとんでもない一年だったのを憶えていますか?
大相撲では若貴時代を迎え、初の兄弟対決が見られた。
九州場所で横綱貴乃花と大関若乃花が12勝同士で優勝決定戦となり、軍配は兄の若乃花に上がった。
NOMO
アメリカ・メジャーリーグ入りした野茂英雄投手が大活躍した。冷ややかな雰囲気の中渡米した彼だったが、一転国民的英雄になっていた。
シーズン通算成績は13勝6敗 236奪三振。トルネード投法と名付けられたその独特なフォームは全米でも刮目され、オールスター・ゲームにも選ばれた。そして新人王を獲得。
余談ながら野茂の試合を見たいが為にNHKと衛星放送の契約を結ぶ人たちが多くなり一気に衛星放送の契約数が700万を超えたと言うことだ。
イチロー
そのころイチローはというと日本での締めくくりの様な大記録を打ち立てていた。成績は傑出したもので、首位打者・打点・盗塁・最多安打・最高出塁率の「5冠」を達成しMVPも二年連続。
震災直後の地元神戸を応援しようと「がんばろう神戸」を合言葉にオリックスは初優勝。地元に希望を与えていた。
11月23日WINDOWS‘95発売!
時代はいよいよインターネット
最近ではアップルなどもよくやっているが、当時はゲームなどのソフトやハードでよくみられる方法で、発売にあたってカウントダウンの派手な演出をした秋葉原の電気店では前夜から行列ができはじめた。世は「パソコン使えて当たり前!」の時代に。
このソフトのもたらした影響は凄まじい変化を起こさせた。そしてYAHOOのモデムの無料配布も手伝い急速にインフラ整備が進められることになる。
そして12月
年の瀬を迎えて
最悪の年
日本漢字能力検定協会がこの年にふさわしいと思われる漢字一文字を公募したところ、一位の「震」以下「乱」「災」「恐」~「狂」と10位以内にポジティブな漢字は一文字もなかった。それほど悪いイメージが強く残ったそんな一年だった。
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