1994年の暮れから1995年の6月まで、祈祷師の女E宅にて「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人を、Eの娘Fと信者の男Gと同じく信者の男Hが中心となって『悪魔払い』や『御用』と称して殴る蹴るなどの暴行を加え、4名を殺害、2名を傷害致死、1名に重傷を負わせた。
同年7月5日、重傷を負った女性信者Iの入院をきっかけに、警察がE宅を家宅捜査したところ、信者6名の腐乱遺体を発見、4人を逮捕した。後に被害者であるIも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕された。
この事件による死亡者は、逮捕されたGの妻、男性信者J、Jの妻、Jの娘、男性信者K、女性信者Nの6名。
名古屋満願寺事件
都市博中止問題
青島幸男新都知事vs都議会
幻の世界都市博のマスコットキャラクターです。東京都知事に就任した青島幸男氏が世界都市博の中止を決断して、鈴木俊一前都知事が「サ○ンを撒かれたようだ」とコメントして大問題になりました。#東京都知事 #世界都市博 #東京都知事選挙 pic.twitter.com/J9YZ4UGZP6
— うさぎいぬ@ファイターズオワタ😭👻 (@koganana3486) July 18, 2016
バブル崩壊によりオフィス需要拡大の思惑が外れ、また徐々に賃料が上昇する新土地利用方式の評判も悪かったことから、1992年頃より進出内定企業の契約辞退が相次ぐことになる。このような背景のもと、青島幸男が1995年4月9日の東京都知事選挙に立候補し、世界都市博の中止、臨海副都心開発の見直し、乱脈経営(二信組事件)で経営危機となっていた東京協和・安全信用組合の非救済を公約にした。青島は約170万票を獲得し、鈴木知事の後継で都市博開催を公約にした石原信雄(約123万5千票)に大差で勝利した。都市博を中止せよという世論が青島の大量票獲得に貢献したといえる。
5月23日、東京都議会・本会議において100対23の大差で「都市博開催決議」が可決された事を受けて悩む新都知事、しかし遂に5月31日都知事は都市博中止を発表した。これは都議会と正面対決を示すもので、当時の多くの政治家たちが持っていた期待を真っ向から打ち破るものだった。
中止決定の余波として
金銭的影響
開発戦略の練り直し
前売入場券の払い戻し
などが挙げられるがどれも中止の正当性を否定できるものでは無かった。
開催が予定されていた当時はバブル崩壊が進行しつつあり、仮に博覧会を実施した場合、どの程度経済的な効果があったかどうかは不明である。当時既に、第一次公募企業の進出中止や延期が相次いでおり、中止の妥当性はゆるぎないものであった。
しかし、都市博を中止した張本人である青島が臨海開発のためのイベント開催の必要性に言及したこともあり、世界都市博中止は失敗だったのではないか、と批判された。
マルコポーロ騒動
世界中を敵に回した文藝春秋
発端は、文藝春秋が発行していた雑誌『マルコポーロ』の1995年2月号に掲載された記事「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった。」であった。記事は国立病院に勤務する西岡昌紀が、アウシュヴィッツとマイダネクに観光に訪れた際に撮影などを行ったのち1989年頃から収集した英文図書に基づき執筆したもので、掲載にあたっての題名は『マルコポーロ』編集部が決めたものであった。
当然イスラエル政府やユダヤ人団体から猛烈な抗議に会い、結局、花田紀凱編集長の解任及び廃刊を決定。2/14には田中健五社長が辞任して幕を引いた。
※画像はイメージです