2023年1月31日 更新
【訃報】シーナ&ロケッツのギタリスト・鮎川誠さん死去。「ユー・メイ・ドリーム」「憲法第22条の歌」など
ロックバンド・シーナ&ロケッツのギタリスト兼ボーカルとして活躍した鮎川誠(あゆかわ まこと)さんが29日、すい臓がんのため亡くなっていたことが明らかとなりました。74歳でした。
【訃報】シーナ&ロケッツのギタリスト・鮎川誠さん死去。
ロックバンド・シーナ&ロケッツのギタリスト兼ボーカルとして活躍した鮎川誠(あゆかわ まこと)さんが29日、すい臓がんのため亡くなっていたことが明らかとなりました。74歳でした。
第一報はこちらです!
鮎川さんは1948年5月2日、福岡県久留米市出身。小学生の頃からロックに親しみ、大学卒業後の1974年には、福島県で開催された「ワンステップフェスティバル」でジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドと共演。そして1978年に妻・シーナさんとともに上京し、「シーナ&ロケッツ」を結成。1979年発表の2枚目のシングル「ユー・メイ・ドリーム」のヒットによりブレイクを果たし、博多を中心に盛り上がりを見せていた「めんたいロック」の代表格と呼ばれていました。また、YMOのアルバムやライブツアーに参加。テクノ界隈でも注目を集めました。そんな鮎川さんですが、昨年5月にすい臓がんが発覚。医師から余命5ヶ月と宣告されていましたが、闘病生活の傍ら音楽活動を継続し、亡くなる直前までライブ活動やアルバム制作に取り組んでいました。
昨年行われた新宿ロフトでのライブ。
2015年には、鮎川誠さんの妻・シーナさんが死去。
突然の訃報が伝えられた鮎川さんですが、2015年2月14日には妻のシーナさんが子宮頸がんのため61歳で死去。このたびの鮎川さんの訃報と合わせ、ファンからは「シーナさんと天国で合流されて、セッションに勤しんでいられるといいな」「天国でシーナさんとラブラブに」といったコメントが続々と寄せられていました。
シーナさんと高橋幸宏さんの2ショット。
「シーナ&ロケッツ」とは?
このたびの鮎川さんの訃報で、再び注目を集めているシーナ&ロケッツ。1978年に結成され、翌1979年にはYMOの所属するアルファレコードよりアルバム「真空パック」を発表。同年12月発売の2枚目のシングル「ユー・メイ・ドリーム」がJAL「マイ・ハート・キャンペーン」CMソングに起用され、一気に知名度が上昇しました。
懐かしのJALのCMはこちら!
JAL My heart EUROPE CM 1980年
80年代には、YMOの国内初ツアーに参加し、3枚目のアルバム「チャンネル・グー」にYMOが全面参加するなど、YMOとの蜜月関係を続けていたシーナ&ロケッツ。90年代に入ると「職業選択の自由・アハハン~♪」で有名なサリダのCMで「憲法第22条の歌」を披露し、話題となりました。その他にも、ネット黎明期の1996年に日本のバンド初となるホームページを開設し、その奮闘ぶりを記した「DOS/Vブルース」を刊行するなどしています。
【なつかCM】Salida サリダ 学生援護会「職業選択の自由♪シナロケ」/ 高橋幸宏
21世紀に入ってからも、ライブやアルバム制作などの活動を続けたシーナ&ロケッツ。結成から現在に至るまで活動休止期間が無い稀有なバンドとして、鮎川さんのすい臓がんが発覚してからもライブを継続していました。70年代から2020年代まで、ロックバンドとして群を抜いた活動歴を誇るシーナ&ロケッツ。その音楽は、これからも語り継がれていくことは間違いないでしょう。鮎川さんのご冥福をお祈り申し上げます。
シーナ&ロケッツの音楽を振り返りたくなった方はこちらで!
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