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歌わないバンド 「叫ぶ詩人の会」
何が特殊かって云うと、ボーカルがいるのに彼らの音楽には"歌"がなく、"詩の朗読"が歌の代わりとなっていた点です
叫ぶ詩人の会 - YouTube
TV番組の特集
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パンクでアナーキーな演奏をバックに、ドリアンがポエトリー・リーディングを叫ぶという形態で活動する。
94年のデビュー時にはこうした芸風が斬新に受け取られ、一時は社会派グループとしてTVニュースや新聞などのお堅いメディアにも多数出演。
実際、ドリアンの書く詩には「カンボジアの地雷」「海洋汚染」「強制収容所」などをテーマに取り上げたものが多く、硬派なグループとして全国的に認知された。--しかし、宮沢賢治や恋愛などを綴ったナイーヴな内容のものもあり、一概に社会派と決めつけてしまうことはできないディープな魅力をもったグループ。
多くの作品をリリース
主要メンバーはボーカルの「ドリアン助川」(明川哲也)とドラマー「きりばやしひろき」と我童。
主な作品は「虹喰い」「LOVE&PEACE」「恋歌」「青」「ベルリン発プラハ」「花束」「GOKU」など。メンバーはそれぞれにラジオパーソナリティなどもつとめるほか、著書なども数多く出版している。
ドリアン助川が「叫ぶ詩人の会」を結成したきっかけ
演劇に目覚めた高校時代
もともと彼は演劇をやりたかったそうです。
高校時代、学校でデモ行進をしたり、ヤクザと喧嘩して酷い目にあったりするような不良少年でした。
それが、友人に連れられていった舞台を見て、一瞬にして心奪われたそうです。
舞台の熱気、ライブ感、緊張感、セット、証明、生きた芸術、すべてに。
護身用の竹刀を捨て、彼は猛勉強を始めました。
目標は、演劇の歴史のある早稲田大学。早稲田は昔から演劇文化が盛んでした。
朗読 - YouTube
叫ぶ詩人の会 「12月8日」
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大学で劇団を旗揚げ
演劇を志して早稲田大学の門を叩いた助川は学生演劇集団「青」を結成。
演劇ブームの風に乗り、軌道に乗ったかに見えた活動は助川のワンマンのために破綻。塾講師の仕事を得るがアルコールのためにこの職も失い、入り浸っていた新宿ゴールデン街の業界人たちに紹介されるがままに放送作家の世界に足を踏み入れる。
真面目な仕事ぶりで一躍売れっ子となる助川だったが精神的に追い詰められ、八十年代末、アンジーの水戸華之介とともに取材に訪れた東欧での体験がこのバンドを結成させるきっかけとなる。
それはチェコで聴いた市民の歌う「ヘイ・ジュード」であり、アウシュビッツに送られる直前の子供たちが描いた拙い絵であった。それらは表現の原点を助川に教え、同時にそれらに激しく突き動かされる自分の中に残っていた「感じる」という才能に気づかせたのである。
伝説の深夜番組 「金髪先生」
1996年から2年に渡り放送された伝説的深夜番組、「金髪先生」。
教師役のドリアン助川さんが、毎回音楽家たちの背景を含めて紹介し、英語を勉強するという形で放送された番組です。
金髪先生39限目Greenday:Stuck with me 2/3 - YouTube
1997年7月1日放送
人気パンクバンド 「グリーンデイ」の回
人気パンクバンド 「グリーンデイ」の回
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洋楽ロックナンバーを毎週1曲ずつ取り上げて、その中の英文フレーズから英語を学ぶことがテーマのこの番組。
しかし、ただ英文を学んで終わり、の番組ではありません。
そのアーティストの生き方、考え方、育ってきた背景がどのようにその曲に表現されているのか、どういう想いがこめられているのか、という本質の部分をまず抑える。そして想いを馳せる。そのことを踏まえた上で、それらが凝縮された一文を抽出して、曲の真髄を味わうかのように学ぶんですね。
ドリアン助川の冠番組 「正義のラジオジャンベルジャン」
ドリアン助川(現TETSUYA、明川哲也)がパーソナリティを務めたニッポン放送制作の深夜ラジオ番組である。
1995年10月14日から2000年3月18日までの4年6か月間に放送された。
バンド初期のトレードマークは、このモヒカンでした!