鮮明!ロサンゼルスオリンピック名場面を振り返る!
開会式で空からジェット噴射を積んだロケットマンが降りてきたシーンが衝撃的だったロサンゼルスオリンピック。私自身も、小学生で海の家でオリンピックを見ていたのを鮮明に覚えているくらいです。日本人選手を始め、多くの感動シーンを生んだロサンゼルスオリンピックの名場面をプレイバックしてみましょう。
ロサンゼルスオリンピックは、アメリカ合衆国のロサンゼルスで行われた第23回夏季オリンピックである。期間は1984年7月28日から8月12日まで。
また夏季オリンピックでは、同ロサンゼルス大会より入賞枠が6位から8位までと、規定の変更により拡大された。
この大会は1セントも税金を使わずに行われた。スタジアムも1932年に開催された大会時のものを使っている。それまでの大会は、スタジアムの建設や環境整備などで開催都市が多額の費用を負担し赤字続きで大きなダメージを残したこともあり、1984年大会の開催都市立候補はロサンゼルス市だけ、とオリンピック開催は不人気だった。最終的にはこの大会は、およそ400億円の黒字で終了かつ成功し、その全額がアメリカの青少年の振興とスポーツのために寄付された。この大会の成功が、その後の五輪に影響を与える商業主義の発端となった。
1984 Los Angeles Olympic Games - Opening Ceremony - YouTube
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山下泰裕 柔道男子無差別級 金メダル
国民栄誉賞も獲得した山下泰裕選手だが、意外にもオリンピック出場はこの大会だけ。しかも、試合中に軸足である右足が肉離れになるという致命的状況の中、相手に悟られまいと必死に戦う姿にサムライスピリッツを感じた。また、決勝の相手であるラシュワンは、右足が故障している事を分かっていて、あえて右を攻めなかったスポーツマンシップの神髄のような名試合を演じた。
山下 泰裕(やました やすひろ、1957年6月1日 - )は、日本の柔道家(八段)。
熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)出身。東海大学卒業。同大学大学院体育学研究科修士課程修了、東海大学大学院体育学研究科博士課程修了、体育学博士。東海大学体育学部教授(1996年 -)、体育学部学部長(2009年4月 - )、副学長(2011年10月 - )。
エジプトのモハメド・ラシュワンとの決勝戦前、山下の頭には『金メダルを取り表彰台の中央で観客に満面の笑顔で応える山下』と『タオルを被って号泣してうつむく山下』の両方のイメージが交互に浮かんだ。師匠の佐藤は「投げられても一本取られなければいい、寝技に持ち込んで勝つ方法もある」と冷静にアドバイスする。一方山下も、同じ控え室で気合を入れて調整をしている試合直前のラシュワンに対し、意図してにっこり微笑みかけた。目が合い、笑顔で応じたラシュワンの緊張が解けた様を見て、山下は勝機を感じていた。
ラシュワンのコーチは「初めの一分間は我慢して攻めないように」とラシュワンに指示したが、ラシュワンはそのアドバイスを忘れたかのように強気で攻め始める。冷静な山下はラシュワンの攻めに無意識に反応、ラシュワンが体勢を崩した瞬間を捉えて押さえ込みに持っていき、横四方固め。一本を伝えるブザーが鳴った瞬間、山下は畳に両手を力強く突いて立ち上がり、涙でくしゃくしゃになった表情を隠そうともせずに喜びを表現した。この表情は繰り返し放送され、山下の決して平坦ではなかった道のりを示す名場面となっている。全て一本勝ちでの金メダルである。
表彰台の中央に上ろうとする山下に、ラシュワンは山下の足を気遣って手を差し伸べ、友情の証として世界から評価された。またラシュワンも、山下の右足を狙わなかったという主旨の発言をした事から、そのフェアプレーの精神を称えられた技をかけなかったというのは事実ではない」「右払い腰を仕掛けようとした時、ラシュワンは右足に技を仕掛けている」「相手の弱い所に自分の強い所をぶつけてこそ本当の勝負師。自分も、得意技が相手が痛めた所を攻めるような技であれば、遠慮なくそこを攻める」と語っている。
山下泰裕 (84`ロサンゼルス五輪) - YouTube
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カール・ルイス 陸上競技男子100m、200m、4×100mリレー、走幅跳 金メダル
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アメリカのカール・ルイスが100メートルや200メートルだけでなく、走り幅跳びでも金メダルとなり、まさに無双状態だった。地元アメリカの開催だっただけにカール・ルイスが押しも押されぬスーパースターにのし上がった。
フレデリック・カールトン・ルイス(Frederick Carlton "Carl" Lewis, 1961年7月1日 - )は、アメリカ合衆国の男子元陸上競技選手。
身長188cm・体重88kgの体躯を駆って、国際陸上競技連盟の世界順位に初めて載った1979年から1996年のオリンピック終了までに、10のオリンピックメダル(うち9つが金メダル)と10の世界選手権メダル(うち8つが金メダル)を獲得した。
1984年のロサンゼルスオリンピックで、100m、200m、走幅跳、男子4×100メートルリレーの4種目にエントリーし、全種目で金メダルを獲得した。これは1936年のジェシー・オーエンスの偉業に並ぶものであった。
カール・ルイス 四冠 (84‘ロサンゼルス五輪) - YouTube
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森末慎二 体操男子鉄棒 金メダル
今では水回りのトラブルの時の人!?となっている森末だが、今と同じくらい日本体操陣全盛期。自身の名が付いた大技「モリスエ」を武器に、鉄棒で金メダル、跳馬で銀メダルを獲得した。
森末 慎二(もりすえ しんじ、1957年5月22日 - )は、日本の元体操競技選手。タレント。落語家。体操選手としての現役時代、森末 真佐男(-まさお)と改名していた時期がある。岡山県岡山市出身。関西高等学校、日本体育大学卒業。佐藤企画所属。森末企画代表取締役。
日本体操協会の理事で、九州共立大学の特別客員教授。同大学で体操部を定期的に指導。2002年に西日本学生選手権で団体・個人とも優勝に導いた(体育学部のない地方大学としては全国初)。
984年のロサンゼルスオリンピックでの体操において、種目別・鉄棒決勝で10点満点(規定演技、自由演技もあわせると3回の鉄棒演技すべてで10点)を出し金メダルを、また跳馬では銀メダルを獲得した。体操団体では銅メダルで、1つの大会での金、銀、銅の3つのメダルを持っている。また平行棒におけるオリジナル技モリスエ(後方棒上かかえ込み二回宙返り腕支持:難度D)の名でも知られる(鉄棒にも同名の技がある)。
ロサンゼルスオリンピックでは、極度のあがり症による緊張から眠れなくなったため、桂枝雀の落語カセットテープを聞いていた。
森末慎二 鉄棒 (84‘ロサンゼルス五輪) - YouTube
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