『奥飛騨慕情』は、竜鉄也のデビュー・シングル
作詞、作曲、歌の三役を自身が行う
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奥飛騨慕情/竜鉄也【公式】
懐かしい!祖父が良く歌っていました。
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奥飛騨慕情 誕生まで
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竜鉄也は昭和11(1936)年、奈良県生まれ。飛騨高山で父と義母に育てられた。
病気が原因で視力が落ち、26歳のとき光を失った。独学で体得したアコーディオンを抱え、流しの世界に入った。
病気が原因で視力が落ち、26歳のとき光を失った。独学で体得したアコーディオンを抱え、流しの世界に入った。
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この曲は、竜鉄也が1972年に奥飛騨の温泉郷に 行った時に、自然と口ずさむように出てきた旋律に、歌詞も同時に泉のように湧き出てきたと言われています。
歌詞を見直すと、綺麗な奥飛騨の情景が見えてきます。”あゝ 奥飛騨に 雨がふる”で締めくくられていることから、哀愁が漂っていますね。
当初は自家盤で2000枚が発売
1972年発売を開始した曲ですが、当初は鳴かず飛ばずの状態でした。
火事がきっかけで歌手デビュー?
奥飛騨でスナックのママと出会い、駆け落ちする
スナックのママ、美津枝さんによると、竜は極寒の真冬でも流しをしていた。屋外から暖かい店内に入る。髪の毛に凍りついていた雪がとけて額からポタポタ落ちたが、途中で演奏をやめることはなかったという。竜の口癖は「歌は語りだ」。聞く人の魂に届くように魂をこめて歌っていた。
流しに誇りをもって歌う姿に美津枝さんも惚れてしまったのでしょうか。
ママさんは、「他人の妻」であり、子供もいたのですが竜さんと駆け落ちします。
ママさんは、「他人の妻」であり、子供もいたのですが竜さんと駆け落ちします。
郡上八幡で歌謡酒場を開くも火事で全焼
二人で開いた、郡上八幡の居酒屋が火事になって全焼してしまうのです。
途方に暮れる二人に、店の再開を強く求める人達がありました。
この居酒屋を愛した常連達の協力により、再び店が開くようになったのです。
火事で不運でしたが、二人の人柄により、周りの人達が助けてくれたんですね。
この人々の善意が新聞に紹介されたのですが、
同時に、無名の歌手竜鉄也も紹介されたのです。
この記事が、きっかけとなり、
テレビでも、全盲の歌手を陰で支える献身的な妻としても放映されて、
人々の関心を集めました。
そして、44歳の新人歌手のデビューになったわけです。
1981年の『第32回NHK紅白歌合戦』にも自身唯一の出場を果たされました。
そして二人は1985年(昭和60年)に結婚したそうです。
現実にこんな素敵なサクセスストーリーがあるんですね!きっと竜さんの頑張りが人々を惹きつけるのでしょうね。
そして二人は1985年(昭和60年)に結婚したそうです。
現実にこんな素敵なサクセスストーリーがあるんですね!きっと竜さんの頑張りが人々を惹きつけるのでしょうね。
竜 鉄也 / 奥飛騨慕情
デビュー後の奥飛騨慕情です。
素敵な歌声ですね!心に響きます。表情もとても良いです。
素敵な歌声ですね!心に響きます。表情もとても良いです。
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作詞・作曲 竜鉄也
第23回日本レコード大賞・ロングセラー賞
第14回日本有線大賞
1981年度年間2位(オリコン)