西本聖と言えば、あの足を極端に上げた独特なフォームから繰り出されるシュートが絶品でした。
巨人時代の師・長嶋茂雄との関係や永遠のライバル・江川卓との競い合い等をご紹介します。
徹底的に自分を鍛え、逆境に強い人物でした。
いわば職人気質の投手であり、肝っ玉の据わった投手でもありました。
巨人時代の師・長嶋茂雄との関係や永遠のライバル・江川卓との競い合い等をご紹介します。
徹底的に自分を鍛え、逆境に強い人物でした。
いわば職人気質の投手であり、肝っ玉の据わった投手でもありました。
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天下一品のシュート
足を大きく上げるダイナミックなフォームと、切れの鋭いシュートが特徴の投手であった。
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当時監督だった長嶋は西本のシュートを初めて見た時、「このシュートは天下一品のシュートだ。これだけで勝てる」と絶賛した。西本のシュートは球速より、変化量と切れ味を重視しており、カミソリシュートと呼ばれた平松政次とは対照的である。
落合との名勝負
1987年4月に後楽園球場で行われた中日ドラゴンズとの開幕戦。
開幕投手として先発出場し、ロッテオリオンズから移籍してきたばかりの4番・落合博満との対戦で、西本は全打席全球シュートを投げ、1本だけはセンター前にヒットを打たれたものの4打数1安打と封じ込め、自身も完封勝利を収めた。
開幕投手として先発出場し、ロッテオリオンズから移籍してきたばかりの4番・落合博満との対戦で、西本は全打席全球シュートを投げ、1本だけはセンター前にヒットを打たれたものの4打数1安打と封じ込め、自身も完封勝利を収めた。
「パ・リーグで三冠王だといってもここはセ・リーグ、パ・リーグとは違う」というセ・リーグの投手としてのプライドがあったからだといわれている。また『全球シュート』は研究に研究を重ねてたどり着いたのではなく、当日のマウンドで落合と向かい合ったときにひらめいたという。
西本vs落合 全球シュートで落合を封じる - YouTube
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長嶋茂雄との師弟関係
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西本は1974年にドラフト外で、松山商業高校から巨人に入団。
長嶋監督1年目でした。
その長嶋監督と西本の関係において、いかにも昔のプロ野球らしいエピソードが、1979年8月の試合後に起きました。
長嶋監督1年目でした。
その長嶋監督と西本の関係において、いかにも昔のプロ野球らしいエピソードが、1979年8月の試合後に起きました。
8月の広島戦で、ふがいないピッチングをし、宿舎のホテルの一室で、角三男投手と共に、長嶋監督から20発におよぶ往復ビンタを受けるという実話が残っています。
現在だったら、間違いなく暴力事件として問題になっていると思いますが、この時の長嶋監督の涙ながらの「愛のムチ」が後の自分の成長につながったと本人は自著で語っています。
西本聖・引退試合での長嶋茂雄
1994年のシーズン終了後に発起人である定岡正二により、巨人軍の選手にとって、非常に思い出深い多摩川グラウンドでの引退試合が催されました。
いよいよあと一人となった時に相手の定岡“監督”が、平光清球審に告げた。「代打、ナガシマ」。
この試合の始球式を行ったのは巨人・長嶋茂雄監督だったが、まさか試合に出場するとは…。ファンへの、そして西本への最高のプレゼント。ただでさえ泣きそうだった西本の目が潤んでいたのは、冷たい北風のせいだけではなかった。
突然の出番にセーターにスラックス姿の長嶋監督。昔と同じようにやや前かがみになった打撃フォームで初球の真っ直ぐをたたいた。当たりはボテボテの三塁ゴロ。巨人・桑田真澄“三塁手”のダッシュは、遠慮がち。革靴のまま現役時代さながらに全力疾走するミスター。内野安打となり、観衆もベンチも大盛り上がりだった。
ライバル・江川卓と競ったエースの座
江川選手とともに巨人軍投手陣のニ本柱として活躍
(昭和)55年から6年連続2ケタ白星を上げ、54年から7年連続ダイヤモンドグラブ賞を受賞
ドラフト外史上、3人目の100勝達成。