テレビが遊園地になる。美術館になる。図書館になる。
これが、1982年8月20日にトミー(現:タカラトミー)が発売したマイコン『ぴゅう太』のキャッチコピーです。実に子供心を揺さぶる、秀逸で粋な文句ではありませんか。
80年代、パソコンは「マイコン」と呼ばれていました
そもそもマイコンとは何か?ここから説明せねばなりません。マイコンとはマイクロコンピュータの略であり、CPUとしてマイクロプロセッサを搭載したコンピュータのこと。しかし、ITリテラシーの一般的水準が現代と比べ物にならぬほど低かった80年代当時において、CPUだとかマイクロプロセッサだとか、そんな小難しい知識を前提にこの「マイコン」をとらえている人などほとんどおらず、さしずめ今でいう「パソコン」と同義の感覚で認識されていたといって差し支えないでしょう。要するに「マイコン」とは、30数年前における「パソコン」の呼称なのです。
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タカラのゲームパソコンM5、コモドールのマックスマシーンなど、ゲーム機能付きホビーパソコンが流行っていた
そのマイコンの中でも『ぴゅう太』は、80年代に流行していた「ホビーパソコン」のカテゴリーに分類されます。ホビーパソコンとは読んで字のごとしで、趣味・娯楽用パソコンのこと。まぁ、当時から既にPCを嗜好品として所有していた人もいたでしょうが、何せ、一台30万円ほどもする超がつくほどの高級品だったため、よほどのマニアか富裕層でないと、安易に手が出せませんでした。
この通常PCに比べて、ホビーパソコンは低性能な分廉価。さらに、NECのPC-6001やタカラのゲームパソコンM5、コモドールのマックスマシーンなど、ゲーム機能が搭載されたモデルが次々とリリースされ、一定の市民権を得ていました。この流れに便乗するかたちで『ぴゅう太』は登場したというわけです。
この通常PCに比べて、ホビーパソコンは低性能な分廉価。さらに、NECのPC-6001やタカラのゲームパソコンM5、コモドールのマックスマシーンなど、ゲーム機能が搭載されたモデルが次々とリリースされ、一定の市民権を得ていました。この流れに便乗するかたちで『ぴゅう太』は登場したというわけです。
自分だけのオリジナルゲームがつくれた!
そんなマイコンおよびホビーパソコン『ぴゅう太』最大の特徴といえば、自分だけのオリジナルゲームをつくれること。グラフィックソフト「G-GRAPHIC」で絵を描き、プログラミング言語として採用された日本語BASIC(G-BASIC)を駆使してその絵を動かせたため、本格的なパソコンの英語版BASIC言語を使用するのに比べて、アクションゲームを容易に制作できたのです。
ゲーム制作ソフトの元祖といえば、ご存じ『RPGツクールシリーズ』。同シリーズ第1作目の発売が1990年ということを考えると、1982年発売のぴゅう太が、いかに画期的だったか分かるというものです。ちなみに、専用のカートリッジソフトを購入すれば、ふつうのゲームもプレイできました。
ゲーム制作ソフトの元祖といえば、ご存じ『RPGツクールシリーズ』。同シリーズ第1作目の発売が1990年ということを考えると、1982年発売のぴゅう太が、いかに画期的だったか分かるというものです。ちなみに、専用のカートリッジソフトを購入すれば、ふつうのゲームもプレイできました。
スクランブル ぴゅう太
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定価59,800円と高額な商品だった
そんなわけで、来るべき21世紀が一足飛びでやってきたかのようなアイテム『ぴゅう太』の登場に心踊らされた多くの少年たちは、1982年のクリスマス、サンタクロースという名の親御さんへこの近未来マシンをおねだりしました。しかし、願いが叶うはずもありません。安価なホビーパソコンとはいえ、『ぴゅう太』の定価は、59800円。あきらかに子供向け製品としてリリースしたにもかかわらず、かなり強気な価格設定だったのです。これでは、年明けにお年玉+貯金をすべて叩いても買えなさそうです。
が、それでもニーズはあったようで、1982年発売開始から4ヶ月で4万台を出荷し、ホビーパソコンではシェア1位を獲得。1983年にはアメリカへの進出も決まるなど、『ぴゅう太』と販売元トミーの未来は、ひじょうに明るいものでした。
が、それでもニーズはあったようで、1982年発売開始から4ヶ月で4万台を出荷し、ホビーパソコンではシェア1位を獲得。1983年にはアメリカへの進出も決まるなど、『ぴゅう太』と販売元トミーの未来は、ひじょうに明るいものでした。
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1983年、ファミリーコンピュータの出現で劣勢を強いられる
風向きが変わったのは、1983年7月15日。任天堂からファミリーコンピュータが発売されたのです。タカラも、同年同月に、キーボードとパソコンの機能を省いたゲームとお絵かきに特化した新機種『ぴゅう太Jr.』を発売。定価19,800円と、初代ぴゅう太の半値以下で売り出し、ファミコンを迎え撃つ構えを示していました。
しかし、もともとソフトに関しては充実していた反面、コントローラーの操作性の悪さが指摘されていたぴゅう太およびぴゅう太Jr.は、洗練された操作性を誇るこの任天堂の秘密兵器を前に、劣勢を強いられます。
しかし、もともとソフトに関しては充実していた反面、コントローラーの操作性の悪さが指摘されていたぴゅう太およびぴゅう太Jr.は、洗練された操作性を誇るこの任天堂の秘密兵器を前に、劣勢を強いられます。
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さらに追い討ちをかけたのが、初心者でも簡単に操作できるとして、大きな評判を呼んだパソコンの共通規格「MSX」の登場。ゲーム機としても、そして、パソコンとしても上位互換の新機種・新規格が出現したことにより、ぴゅう太への需要は一気に低下。1985年2月には生産を中止し、いつしか市場から姿を消してしまったのでした。
(こじへい)
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