PCエンジン
元々、ファミコン初期のサードパーティーとしてノウハウを築いたハドソンの構想
via sa2hara.com
1983年のファミコン登場から4年。
8BITゲーム機はまさにファミコン一強だった時代に、ファミコンへの最初のソフト供給会社だったハドソンがNECと組んで挑んだのが「PCエンジン」でした。
商品名のPCからは、当時8BITパソコンの雄であったNECのイメージが伝わってきます。
87年当時、申し分のないスペックを引っ提げて登場したPCエンジンは、ファミコンに慣れ親しんだ子供たちの目に鮮やかに飛び込んできました。
8BITゲーム機はまさにファミコン一強だった時代に、ファミコンへの最初のソフト供給会社だったハドソンがNECと組んで挑んだのが「PCエンジン」でした。
商品名のPCからは、当時8BITパソコンの雄であったNECのイメージが伝わってきます。
87年当時、申し分のないスペックを引っ提げて登場したPCエンジンは、ファミコンに慣れ親しんだ子供たちの目に鮮やかに飛び込んできました。
ほぼゲーム機と化していたPC9801VM以降シリーズ! - Middle Edge(ミドルエッジ)
1985年に発売されたNECのパソコン『PC9801VM』。価格は295.000円(モニターなし)という凄い値段のパソコンでしたが、対応ゲームソフト(アダルト含む)が大量に発売され大ヒット。ほぼゲーム専用機して使用していた人も多かったのでは…。
「Huカード」という点もファミコンと違って目を惹きました
PCエンジン CM - YouTube
via www.youtube.com
ファミコン陣営と戦い、次なる16BITの戦いにも挑むことになったPCエンジン
任天堂のファミリーコンピュータが発売から4年経過し、その市場を受け継ぐポストファミコンとして開発、市場に投入され、ファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合。後にスーパーファミコンやメガドライブと競合した。
NECグループとしてはコンシューマ初参入ハードで、ハードウェアとソフトウェアの開発はハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)が担当していた。
発売当時としては常識を覆す高速・高性能であり、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた。
コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売され、光学ドライブ・CD-ROM・マルチタップなどの機器はライバル機種や次世代機でも採用されており進歩的な設計であった。 同時にゲームとアニメが融合した文化を作り上げたゲーム機である。これは次世代機PC-FXの設計思想の土台にもなっている。
NECグループとしてはコンシューマ初参入ハードで、ハードウェアとソフトウェアの開発はハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)が担当していた。
発売当時としては常識を覆す高速・高性能であり、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた。
コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売され、光学ドライブ・CD-ROM・マルチタップなどの機器はライバル機種や次世代機でも採用されており進歩的な設計であった。 同時にゲームとアニメが融合した文化を作り上げたゲーム機である。これは次世代機PC-FXの設計思想の土台にもなっている。
16BIT時代まで、セガとは長くライバル関係となりました
【メガドライブ】ファミコンの後継ポジションを狙った熾烈なゲーム機戦争、セガは16BITメガドライブを引っ提げてファミコンやPCエンジンに戦いを挑みました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ファミコンが世を席巻した1980年代、そのファミコンの後継ポジションを狙った「第4世代」と呼ばれるゲーム機戦争がありました。NECホームエレクトロニクスが仕掛けた1987年のPCエンジンを筆頭に、1988年のセガ「メガドライブ」、第4世代を制した任天堂のスーパーファミコン(1990年)、ネオジオ(SNK、1990年)。なかでもハード戦争に本気で立ち向かったセガの意欲作「メガドライブ」を語ることなく第4世代は語れないでしょう。
開発経緯と優れた設計思想
ハドソンが開発を企画
1985年にハドソンで「プログラマーにとって、もっとゲームが作りやすいハードができないか」というコンセプトでPCエンジンの開発が企画され、チップ開発が始まった。PCエンジンのハード開発企画はシャープやソニーに持ち込んだが折り合わず、NECホームエレクトロニクスと共同開発する事となった。
ポストファミリーコンピュータとして作られたPCエンジンは、以下の特徴がある。
ゲームソフトにHuCARDというICカード型のROMカートリッジを採用した。後に、そのコンパクトな形状を活かしたPCエンジンGTという携帯型ゲーム機も開発された。
PCエンジン本体をコア(核)とし、様々な周辺機器を拡充していく「コア構想」を展開した。
家庭用ゲーム機としては世界初となる光学ドライブを搭載し、CD-ROMをゲームソフトとして採用した。
本体と同時発売のマルチタップを用いることで、最大5人までの同時プレイを可能にした。
ポストファミリーコンピュータとして作られたPCエンジンは、以下の特徴がある。
ゲームソフトにHuCARDというICカード型のROMカートリッジを採用した。後に、そのコンパクトな形状を活かしたPCエンジンGTという携帯型ゲーム機も開発された。
PCエンジン本体をコア(核)とし、様々な周辺機器を拡充していく「コア構想」を展開した。
家庭用ゲーム機としては世界初となる光学ドライブを搭載し、CD-ROMをゲームソフトとして採用した。
本体と同時発売のマルチタップを用いることで、最大5人までの同時プレイを可能にした。
ファミコン最初のサードパーティーだったハドソンは、ファミコンで十分な利益と経験を積んだことでしょう
初作でいきなりミリオンヒットを達成した「ロードランナー」はじめ、ハドソンはファミコンで次々に大ヒット作品をリリースしていきました。
【ファミコン】任天堂、ナムコ、コナミ、バンダイ、カプコン、エニックス、スクウェア…錚々たるゲームメーカーたちのファミコンゲーム参入第一弾を振り返る。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1980年代ファミコン黄金期、様々なゲームメーカーがファミコンソフト市場に参入しました。参入第一弾はどの会社にとっても勝負作だったはず。しかし、かの名作スーパーマリオやドラクエ、FFも第一弾からは生まれていません。そこで各社のファミコン第一弾がどんな作品だったかまとめてみました。当時表現力の貧弱だったファミコン、魅力を伝えようと工夫されたパッケージデザインにも注目です。
コア構想とは
8BIT機戦争から16BIT機戦争まで、PCエンジンが長く戦える根拠となったコア構想
PCエンジンの大きな特徴でした
PCエンジンは「コア構想」という拡張思想を持ち、パーソナルコンピュータのようにコア(核)の役割を持たせ、様々な周辺機器を接続することでゲーム以外にも対応させる。
いわば周辺機器のエンジンに見立たものであり「PCエンジン」の命名はここが由来。周辺機器による拡張が前提であり、本体にはゲーム機として最小限の機能しか無い。多人数での同時プレイにはマルチタップを必要とし、ゲームデータのバックアップには外部記憶ユニットを用いる。
一部機種を除いた本体の後部には拡張バスが標準装備されており、周辺機器の接続は主にこれを使う。多くの周辺機器が発売されたが、拡張バスを用いる機器は排他仕様であり、ハードの組み合わせによっては接続・使用できない商品があるといった問題点もあった。
構想の要であった拡張バスは、CD-ROM2本体により占有されるか一体化されたDuoの登場により消滅した。その後の周辺機器の接続には残ったHuCARDスロットやコントローラーポートを用いた。
いわば周辺機器のエンジンに見立たものであり「PCエンジン」の命名はここが由来。周辺機器による拡張が前提であり、本体にはゲーム機として最小限の機能しか無い。多人数での同時プレイにはマルチタップを必要とし、ゲームデータのバックアップには外部記憶ユニットを用いる。
一部機種を除いた本体の後部には拡張バスが標準装備されており、周辺機器の接続は主にこれを使う。多くの周辺機器が発売されたが、拡張バスを用いる機器は排他仕様であり、ハードの組み合わせによっては接続・使用できない商品があるといった問題点もあった。
構想の要であった拡張バスは、CD-ROM2本体により占有されるか一体化されたDuoの登場により消滅した。その後の周辺機器の接続には残ったHuCARDスロットやコントローラーポートを用いた。
via www.tea4two.jp
当時のメーカー希望小売価格は24,800円。