2020年2月29日 更新
「2時間ドラマの女王」と言えば、片平なぎさ。5大基幹局全ての2時間ミステリードラマ枠で主役を演じました。
近年各局から2時間ドラマ枠がなくなり寂しい思いをしている方は多いのではないでしょうか?2時間ドラマと言えば、片平なぎさを抜きにしては考えられません。何といっても5大基幹局全ての2時間ミステリードラマ枠で主役を演じるという快挙を成し遂げたのですからね。
片平なぎさ
誰が何と言おうと、片平なぎさは美人である!美しい。しかもテレビで見る限りにおいてではありますが、なんか、とても良い人。そんな印象。私見ではありますが、それは間違いない!強く、強く、そう思うんですよ。
そんな片平なぎさは、1959年東京生まれです。
15歳でデビューして、60歳を過ぎても第一線で活躍しているというのは凄いことです。しかし、それは納得。嫌味がないというか、気取りがないというか、彼女は好感度バツグンですもんね。
そんな片平なぎさのデビューは1975年。アイドル歌手として「純愛」という曲で華々しく登場しました。
3枚目のシングル「美しい契り」で、同年の第17回日本レコード大賞新人賞を獲得。
アイドル歌手としての成功を約束されたかのように思えましたが、本人は歌がキライだったそうで役者の道を志すようになります。
この選択が良かった。この選択が後に「2時間ドラマの女王」と呼ばれることになり、女優として独自の地位を築くことになるんですよ。
スチュワーデス物語
片平なぎさの女優としてのデビューは、歌手と同じく1975年。映画「青い山脈」でした。所属していたホリプロが山口百恵二世として期待していたというだけのことはあって相手役は三浦友和。いや、何もそこまで、と思わなくもありませんが、まぁ、それだけホリプロも力を入れていたんですね。
歌手としては3年で見切りをつけ、彼女は女優に専念していくことになります。そして1983年、片平なぎさは女優としての存在感を示します。そうです。「スチュワーデス物語」です。
スチュワーデス物語 新藤真理子 片平なぎさ 風間杜夫
テレビドラマ「スチュワーデス物語」での片平なぎさの存在感は圧倒的でした。どうしちゃたの?と誰もがその変貌ぶりに驚いたものです。
もっとも主役の堀ちえみ、風間杜夫をはじめ出演者全員が尋常ではありませんでしたけどね。狂気。いや、凶器か。ドラマ自体が危険でした。「スチュワーデス物語」は大きな話題となり、これによって女優としての片平なぎさも世間一般に認知されることになりました。
日本テレビ系
70年代後半から2時間ドラマが作られるようになり、80年代に入ると各局こぞって制作するようになります。気が付けば、そう、まさしく気が付けば、その中心に片平なぎさがいたんですよね。
単発ものですが1982年には日本テレビ系の「木曜ゴールデンドラマ」において「殺意の家」で早くも2時間ドラマの主演を演じています。
しかし、まぁ、日本テレビ系の2時間ドラマと言えば、それはもう「火曜サスペンス劇場」でしょう。そこで片平なぎさは「小京都ミステリー」というシリーズものに主演し、女優としての地位を不動のものにしました。
小京都ミステリー #20 肥後人吉殺人事件
相手役は「2時間ドラマの帝王」の異名をとる船越英一郎。押しの強い演技の船越英一郎と自然体と言うか、軽い感じの片平なぎさ。このコンビが人気となって、1989年1月24日~2001年10月9日まで全30作品が作られました。
フジテレビ系
「小京都ミステリー」シリーズと並んで片平なぎさの代表作となる2時間ドラマは、1992年から始まったフジテレビの「山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ」でしょうね。
このシリーズは、第1作が「金曜ドラマシアター」、第2作から第20作「金曜エンタテイメント」、第21作から第33作「金曜プレステージ」、第34作「赤と黒のゲキジョー」、そして第35作から第37作までが「金曜プレミアム」と、フジテレビの2時間ドラマ枠を渡り歩いているというレジェンド・ドラマです。
-
すべてのコメントを見る (3)
コメントを書く
※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。
生年月日:1959年7月12日
出生地:東京都品川区
身長:167 cm
血液型:O型
配偶者:独身(未婚)