【訃報】元日本代表監督のイビチャ・オシムさん死去。90年W杯ではユーゴスラビアをベスト8へ導いた名将
2022年5月2日 更新

【訃報】元日本代表監督のイビチャ・オシムさん死去。90年W杯ではユーゴスラビアをベスト8へ導いた名将

サッカー日本代表の元監督で、1990年にはW杯でユーゴスラビアをベスト8へ導いた名将としても知られるイビチャ・オシムさんが、5月1日に亡くなっていたことが明らかとなりました。80歳でした。

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【訃報】サッカー日本代表元監督、イビチャ・オシムさん死去。

サッカー日本代表の元監督で、1990年にはW杯でユーゴスラビアをベスト8へ導いた名将としても知られるイビチャ・オシムさんが、5月1日に亡くなっていたことが明らかとなりました。80歳でした。

第一報はこちらです!

オシムさんは1941年、ユーゴスラビア(現:ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身。FWとしてフランスなどのチームで活躍し、1978年の現役引退後は指導者へと転向。1986年にユーゴスラビア代表監督に就任し、1990年のFIFAワールドカップイタリア大会ではユーゴスラビアをベスト8に導きました。その手腕を買われ、2003年には市原(現:ジェフユナイテッド千葉)の監督に就任、2005年にはナビスコ杯優勝を果たしました。そして2006年には日本代表監督に就任したものの、2007年に脳梗塞を発症。その影響で同監督を退任し、以降は指導者の立場から遠ざかっていました。

1990年W杯ベスト8での対アルゼンチン戦!!

ミドル世代にとって印象深いであろう、1990年6月30日にイタリア・フィレンツェで行われたW杯準々決勝の「アルゼンチン vs ユーゴスラビア」戦。ディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチンと、“欧州のブラジル”と呼ばれ、ドラガン・ストイコビッチ率いるユーゴスラビアの世紀の対決は一進一退の攻防となり、延長でも決着が着かずPK戦へともつれ込みました。PK戦においても、ストイコビッチがバーに当てて外してしまうと、マラドーナもGKに阻まれて失敗するなど、こちらも一歩も譲らぬ状況に。しかしながら、最終的には5-4でかろうじてアルゼンチンが勝利を収めました。試合終了後には、マラドーナがストイコビッチを慰めるなど、全力で戦い切った両者の間には友情が芽生えていた模様です。

当時の試合の模様はこちら!

【妖精vs神】1990WC 準々決勝 ユーゴスラビア vs アルゼンチン

哲学的な「オシム語録」の数々!!

アルゼンチンと互角に戦った名将・オシムさんですが、“オシム語録”と呼ばれる哲学的な発言を多数遺しています。ここでは、その中からいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。

「オシム語録」の一例!!

「肉離れ?ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出すときに肉離れしますか?準備が足りないのです。私は現役のとき1度もしたことはない」
via 2003年4月、ジェフユナイテッド市原監督時代に、故障者が続出したことに際して。
「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は選手に『走って、走って、走れ』と言っている」
via 2003年4月、「オシムイズム」について質問された際の発言。
「どこで何が起こるか分からない。人生はいつも危険と隣り合わせだ。サッカーも同じ」
via 2005年5月、試合前ミーティングの際の発言。
「2つの車を同時に運転することはできない」
via 2006年6月、日本代表と千葉の兼任監督についての発言。
「物事を客観視すればいい話ができる。自分たちの能力以上のものを期待して盛り上がると、失望することになる」
via 2006年、W杯ドイツ大会で日本の1次リーグ敗退を嘆く風潮に際して。
こちらがオシム語録の一例になります。「2つの車を同時に運転することはできない」「自分たちの能力以上のものを期待して盛り上がると、失望する」をはじめ、サッカーの世界のみならず、我々の人生全般に通用する発言を数多く残しており、彼の発言をまとめた著書も刊行されています。サッカーの枠に留まらず、我々の記憶に残る功績を遺したオシムさん。これからも語り継がれていく存在であることは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。

「オシム語録」を徹底的に振り返りたくなった方はこちらで!

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