【浜田省吾】切なく胸を打つバラードと魂の込められたロックを歌い上げるレジェンド。40周年を迎えてなお愛され続ける彼の歴史とサングラスエピソードを除いて見ましょう
2016年11月26日 更新

【浜田省吾】切なく胸を打つバラードと魂の込められたロックを歌い上げるレジェンド。40周年を迎えてなお愛され続ける彼の歴史とサングラスエピソードを除いて見ましょう

上京、ソロデビュー、結婚、鬱、サングラス。苦悩と成功の間で迷いながらも40年歌い続けてきた男、浜田省吾。彼に憧れ、影響を受けたアーティストは数多くいます。その切ない歌声に隠された彼の葛藤を、名曲とともにまとめていきます。

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浜田省吾

浜田 省吾(はまだ しょうご、1952年12月29日 - )は、広島県竹原市生まれのシンガーソングライター。1975年、愛奴のメンバー(ドラムス・パーカッション)としてプロデビューし、1976年にシングル「路地裏の少年」とアルバム『生まれたところを遠く離れて』でソロデビュー。
浜田 省吾

浜田 省吾

広島県立呉三津田高校(野球部所属)卒業、神奈川大学法学部中退。O型。身長167㎝。
マスコミやファンからハマショーという愛称が使われる事がありますが、これに関して本人は「快く思っていない」と発言していました。しかし近年のコンサートでは自ら「浜省」と言うこともあり「そのように呼ばれることに特に抵抗は無い」と語っていたこともあります。

浜田省吾 『J.Boy (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』

「J.BOY」は、ファンクラブライブ以外の通常ライブでは、必ず歌う曲である

トレードマークのサングラス

トレードマークはサングラスで、人前ではまったく外しません。サングラスをかけだした理由は、自分の好きなボブ・ディランやスティーヴィー・ワンダー、ジョン・レノンらがかけていたのを真似したことがきっかけです。
また、ドラムは目立たないため何とかして自分を売り込もうとした末の苦肉の策でもありました。他に「素顔を覚えられるのが嫌だから」ともインタビューで答えています。
サングラス・ストーリー

サングラス・ストーリー

■時々、サングラスをかけたまま顔を洗ってしまうこともあります。
■東日本大震災で節電となった東京では、世の中が非常に暗いと発言しました。しかしそれは部屋の中でもサングラスをしていたためでした。
■1987年、浜田がサングラスをはずし、妻と歩く姿がFRIDAYに盗撮され掲載されてしまいました。その後憤りを感じた本人は、「I DON'T LIKE "FRIDAY"」という曲を制作しました。
■公式な写真や映像では、サングラスを外して素顔を確認できるものは一切ありません。
■ただし、『浜田省吾事典』には子供の頃の素顔は掲載されています。
■1988年のツアーでは長岡で歌っている途中にサングラスを落としました。その時のMCで「みんなも見るの初めてだろ?」と言い、その時いたファンにとっては大サービスでした。

芸能界にも浜田のファンは多い

ダウンタウンも浜省の大ファンで、2001年に日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で「浜省だらけの野球大会」という企画を放送したことがあります。浜田本人も事務所で観ていたらしく、ファンクラブ会報のインタビューで「面白かったですよ。愛情表現だと受け取りましたけど(笑)」と好意的に受け止めていたそうです。フジテレビ系『ダウンタウンのごっつええ感じ』でも、車のトランクに浜省が入っている「浜省不法所持」といったコントを放送しています。

浜省だらけの野球対決

ON THE ROAD / 浜田省吾 積み込み現行犯!?

1982年1月12日、浜田省吾は日本武道館での初コンサートを開催。当時の浜田の動員力では無謀とまで言われましが、結果は即完売で大成功に終わります。この頃はまだ「風を感じて」の一発屋のようなイメージが強かったですが、武道館の成功によって大きな注目を浴びるように。同年2月25日、そのときの模様を収録したライブ・アルバム『ON THE ROAD』を発売し、初のトップ10入りを記録。これ以降はコンサートツアーのタイトルを「ON THE ROAD」としています。
1980年代のコンサートでは、出待ちにホンジャマカの恵俊彰がいたことがあるそうです。恵は、何か渡さないとと思い、ポケットにあった10円玉を手渡したとか。浜田自身も記憶に残っていると後世語っています。
甲斐バンドの「安奈」のアコーステック・ギターを弾いているのは、たまたまレコーディングに来ていた浜田であると、甲斐よしひろがラジオや取材等で語っています。浜田と甲斐はデビュー時から交友があり、よく新宿ゴールデン街で飲み歩いていたといいます。

アーティスト浜田 省吾の感性

1970年代はレコード会社の意向もあって、「ポップなメロディーメイカー」としての曲作りを迫られます。当時の制作サイドは浜田を都会的でポップなソングライターとして開花させようとしていました。本人は変わらずロック志向だったものの、周りに言われるがまま曲作りを続ける。しかし、やはりセールスには恵まれず、苦悩と挫折の中で精神的にも落ち込んでいくことになります。そしてついには「曲は書けるが詞が全く書けない失語症のような状態」に陥ってしまいます。

浜田省吾 『路地裏の少年 (ON THE ROAD "FILMS")』

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