日本音楽界の金字塔!サザンオールスターズの足跡を追う。
2016年6月7日 更新

日本音楽界の金字塔!サザンオールスターズの足跡を追う。

サザンオールスターズを知らない人はいないでしょう。もはや世代すら超越した日本を代表するアーティスト。ネット上に動画が見当たらないのが残念ですが、そんな彼らの足跡だけでもまとめてみたいと思います。

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サザンオールスターズ

サザンオールスターズ(Southern All Stars)

サザンオールスターズ(Southern All Stars)

サザンオールスターズ(Southern All Stars)は、日本のバンド。所属芸能事務所はアミューズ。所属レーベルはビクターTAISHITA(SPEEDSTAR RECORDS)。
略称は「サザン」「SAS」。公式ファンクラブは「サザンオールスターズ応援団」。

こちらは期間限定のライブ映像のようです

サザンオールスターズ - ピースとハイライト 「SUPER SUMMER LIVE 2013 "灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!" 胸熱完全版」 - YouTube

サザンオールスターズ - ピースとハイライト 「SUPER SUMMER LIVE 2013 "灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!" 胸熱完全版」期間限定公開

サザンオールスターズの歩み

数えきれないほどの代表曲

数えきれないほどの代表曲

桑田佳祐ら青山学院大学の学生により1974年頃から断続的に活動が始まり、1978年にデビュー。
主な代表曲は、1970年代では「勝手にシンドバッド」「いとしのエリー」、1980年代では「チャコの海岸物語」「Bye Bye My Love (U are the one)」、1990年代になると「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを 〜‎Summer Heartbreak〜‎」「愛の言霊 〜Spiritual Message‎」の4作品がミリオンセラーを記録。
2000年代には「TSUNAMI」がダブルミリオンセラーかつシングルCD売上歴代1位の大ヒットを記録。他に「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」や「I AM YOUR SINGER」などもヒット。
2010年代では、「ピースとハイライト」がオリコンウィークリーチャートで1位獲得のため、1980年代から2010年代まで4つの年代でチャート1位という記録を持ち、幅広い世代に支持されているロックバンド。
楽曲は一般的には夏をイメージしたロック色の強いものからバラードなどが知られているが、他にもヒップホップ・民族音楽・郷土音楽からテクノ・デジタルロックまで幅広い要素を取り入れた楽曲があり、題材は愛・セックス・郷土愛・ユーモア・社会風刺など多岐にわたり、こうした様々な要素を意欲的に取り入れている。

結成までの推移とアマチュア時代

二転三転の大学時代

二転三転の大学時代

1974年、青山学院大学に入学した桑田佳祐と関口和之は、音楽サークル「AFT」(青山フォークサークルたびだち)で知り合い意気投合。以降AFT内でメンバーを募り、AFT分裂などを経ながら過ごす。
1976年、桑田の望む構成に近いメンバーが揃ったものの、この時桑田は新たなバンド名を思い付けずにいた。4月11日にコンサートが行われるのに伴い、急きょ「サザンオールスターズ」という名前を考え出し、バンド名を「桑田佳祐&サザンオールスターズ」とした。
しかし「桑田佳祐&サザンオールスターズ」は長く続かず、メンバーが頻繁に入れ替わる事態に。
1977年3月に「サザンオールスターズ」として再編。この時のメンバーは桑田、大森、原、松田、天野和平(後にトランザム)。なお、原の著書によれば、この頃に一度だけ「パロディハウス」という名前に変えようとしたが、「ダサい」との理由で即サザンオールスターズに戻したという。

本選では入賞を果たし、桑田がベストボーカル賞を獲得した。

レコード会社は早々にビクターに決まったものの、事務所がなかなか決まらなかった。ビクターのディレクターの高垣健が「女呼んでブギ」のカセット(前述のEastWest '77で披露した曲であり、当時の代表曲的存在)を持って事務所を周りをしていた際、当時新興事務所のアミューズの社長大里洋吉が興味を持ち、練習スタジオを訪問する。この際に「勝手にシンドバッド」を披露し、大里が「この男をテレビに出したら面白い」と考えたことから契約が決まる。

アミューズは原田真二の個人事務所的存在として1977年に設立された会社だったが、大里が解散直前のキャンディーズのプロデュースに専念し事務所の仕事から離れていた時期に、ロック志向を強めていた原田がテレビ的な売り出し方を嫌うようになり、大里が事務所の仕事に復帰した直後に移籍してしまったという。サザンとの出会いはこの事件の2週間後であり、もし原田が移籍してなかったらサザンオールスターズをやる余裕はなかったという。

デビュー初期

1978年、シングル「勝手にシンドバッド」でデビュー

1978年、シングル「勝手にシンドバッド」でデビュー

1978年6月25日にシングル「勝手にシンドバッド」でビクター音楽産業(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)からデビュー。桑田の独特のボーカルや歌詞、ロックバンドのデビュー作なのにサンバという変化球という事も災いし、発売当初は売り上げは低迷。
同年7月末に『夜のヒットスタジオ』に初出演するが、その際には邦楽ミュージシャンにも関わらず歌詞テロップが表示される対応がとられた。なお、メンバーがジョギングシャツ+ジョギングパンツスタイルという当時のミュージシャンには珍しく非常にラフな格好をしていた。

8月末にサザンは人気音楽番組『ザ・ベストテンのスポットライトのコーナーで初出演(新宿ロフトから中継)。この際に桑田の「目立ちたがり屋の芸人です」発言(この発言はのちに「台本によるもの」と明かしている)が飛び出し、この発言で初期サザンの色が決定づけられることになった。

「勝手にシンドバッド」は徐々にチャートが上がり売り上げを伸ばしていった。同年11月9日に「勝手にシンドバッド」が『ザ・ベストテン』10位にランキングされスタジオに登場。同番組のセットでは鏡張りの回転扉の向こうから歌手やバンドのメンバーが登場していたが、彼らが登場する際にはなぜか扉がアルミ箔に変えられており、メンバー一同は桑田を先頭にアルミ箔を蹴破って登場するというものだった。

1979年3月25日、3rdシングル「いとしのエリー」、同年4月5日、2ndアルバム『10ナンバーズ・からっと』を発表し、それまでコミカルなイメージが先行していたサザンだったが一転「本格派の曲も出来る」事を示した。特に「いとしのエリー」は、徐々にヒットしロングセラー化。1979年を代表する曲となった。

1980年には「テレビなどに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」FIVE ROCK SHOWと銘打った計画を開始[。しかし、メディアへの露出が大幅に減ったのが影響し「ヒット」と呼ぶには至らず、アルバムは売れるのにシングルは売れない状況に陥る。

1982年に「チャコの海岸物語」がヒットし、以降順調にバンド活動を進める。1985年には佐野元春から声がかかり「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にも出演した。同年サザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『KAMAKURA』を発売した。同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動もひとつの頂点に達してしまったため一旦活動を休止。桑田はKUWATA BANDとしての活動の後個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。

10周年での活動再開 - 小林武史とのコラボ

デビュー10周年に24thシングル「みんなのうた」を発...

デビュー10周年に24thシングル「みんなのうた」を発売し、サザンの活動を再開

1988年6月25日、デビュー10周年の記念となる日に24thシングル「みんなのうた」を発売し、サザンとしての活動を本格的に再開した。加えてこのシングルから小林武史がアレンジ、プロデュース業を共に行うようになっている。

前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。
この時期から楽曲製作に関して桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた。

1991年には関口が病気療養で休養に入るが、1992年7月21日に30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31stシングル「涙のキッス」を2枚同時発売し、サザン、そしてオリコン初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。「涙のキッス」はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザンでは最高記録となる7週連続オリコン首位を獲得するなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破。

1993年には32ndシングル「エロティカ・セブン」がフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録。そんな中1994年には桑田がソロ活動を再開し、サザンの活動は約1年間休止した。

セルフアレンジ時代へ

小林武史との共同作業が終了

小林武史との共同作業が終了

小林武史がアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。

理由は明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており蜜月の終わりを示唆している。この「危ないヤツ」という表現は人間性を否定しているものではなくアレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したもの。
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