谷津嘉章の熱闘10番勝負!鶴龍との対決・本気のブロディ・五輪コンビ・グッドリッジとの激闘を振り返る
2017年2月6日 更新

谷津嘉章の熱闘10番勝負!鶴龍との対決・本気のブロディ・五輪コンビ・グッドリッジとの激闘を振り返る

谷津嘉章の熱闘を当時の時代背景を交えながらドラマティックに振り返る。ブッチャー&ハンセンの血祭り事件。キレた猪木。ブロディの本気。PRIDEでグッドリッジと激闘。鶴龍との対決や五輪コンビの活躍などもプロレス的感性で語り尽くす。

32,789 view
谷津嘉章は2001年9月24日、PRIDE16でゲイリー・グッドリッジと再戦したが、グッドリッジのフロントチョークでタオル投入による敗北。勝負の世界は厳しい。
しかし谷津ガードと呼ばれる独特のガードは話題になったし、何発顔面や顎にパンチがヒットしても倒れないプロレスラーのタフさなど、見せ場があった。
人生にも格闘技にもタラレバはないが、もしもレスリングの全日本選手権で優勝した30歳頃だったら、違う結果もあったかもしれない。

谷津嘉章がDEEPのスーパーバイザー就任

 (1667226)

2002年、長州力が理想のプロレスを追い求めて新日本プロレスを再び飛び出し、WJプロレスを旗揚げ。谷津嘉章も参戦したが、やはり長州力とは意見が合わず、2003年9月に退団。
全日本プロレスの輝かしい熱闘の歴史に比べると、その後は波乱万丈の人生といえる。
2010年11月30日にプロレスラーを引退。
谷津嘉章は、炭火ホルモン『壱鉄』を出し、商売を始めるが、店を閉めたあと再び格闘技の仕事に就く。
2015年に総合格闘技団体「DEEP」のスーパーアドバイザーに就任。
幻の金メダリスト・谷津嘉章なら、レスリングの指導は的確。そして新日本プロレス、全日本プロレスをはじめ、今までの経験で培ってきたものは、必ず後輩の指導に活かされることだろう。
PRIDEで総合格闘技の実戦経験をしていることも大きい。
谷津嘉章は第三の人生を邁進中だ。
 (1667233)

65 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【プロレスラー入場テーマ曲・80~90年代】まさに花道、プロレスラー達の入場テーマ曲を主なヘビー級レスラーの歴史とともに振り返る。

【プロレスラー入場テーマ曲・80~90年代】まさに花道、プロレスラー達の入場テーマ曲を主なヘビー級レスラーの歴史とともに振り返る。

プロレスを愛する人々にとって贔屓のプロレスラーの入場ほど気持ちが高揚する瞬間はありません。アントニオ猪木、ジャイアント馬場から始まる数々の名レスラー達、その入場時には自らとファンのボルテージが一気に高まる入場テーマ曲を用意して試合に臨んでいました。そんな興奮を味わいたくて会場に足を運んだ人も多いのではないでしょうか。80~90年代の名レスラー達とともに振り返ってみましょう。
青春の握り拳 | 568,522 view
【訃報】“暴走戦士”の異名で日米のプロレス界で活躍した「ロード・ウォリアーズ」のアニマル・ウォリアーさん死去。

【訃報】“暴走戦士”の異名で日米のプロレス界で活躍した「ロード・ウォリアーズ」のアニマル・ウォリアーさん死去。

アメリカ出身の元プロレスラーで、タッグチーム「ザ・ロード・ウォリアーズ」として活躍したアニマル・ウォリアーさんが、9月22日に亡くなっていたことが明らかとなりました。60歳でした。
隣人速報 | 2,189 view
プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その1日本人ヘビー級編

プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その1日本人ヘビー級編

WBCの延長で放送時間がゴールデンから一気に深夜番組となってしまった「プロレス総選挙2017」!!こんな結果だったと言うお知らせとマツド・デラックス的にあたしの独断でそれぞれの部門のベスト10を作ってみたわ!これはひとそれぞれ好きな人が違うから皆ににも投稿してもらいたいわよ!
【訃報】6団体を渡り歩いたプロレスラー・永源遙さんが死去。悪役商会やツバ攻撃が人気だった

【訃報】6団体を渡り歩いたプロレスラー・永源遙さんが死去。悪役商会やツバ攻撃が人気だった

28日、元プロレスラーの永源遙さん(本名同じ)が死去したことが分かった。70歳だった。永源さんは木村政雄に誘われ、66年に大相撲立浪部屋から東京プロレスに入門。その後、東京-日本-新日本-ジャパン-全日本-ノアと主要6団体を渡り歩いた。
【Mr.200%】安生洋二率いるゴールデンカップス結成のきっかけは?

【Mr.200%】安生洋二率いるゴールデンカップス結成のきっかけは?

安生洋二率いるゴールデンカップスは新日本プロレスとの対抗戦で結成されました。そのリーダーであった安生は起伏に満ちた格闘家、レスラー人生を送りました。本記事でデビューから引退までを振り返ってみましょう。
ウラ・ヤマト | 16,736 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト