赤ヘルの精密機械!【北別府学】の凄さは針の穴も通すコントロールだった!!
2016年11月25日 更新

赤ヘルの精密機械!【北別府学】の凄さは針の穴も通すコントロールだった!!

古葉監督時代のエースを担った北別府学。常勝時代の赤ヘルを引っ張ってきたエースの武器は、すさまじいコントロールだった。カープが誇る名投手の一人、赤ヘルの精密機械の現役時代と、今を語る。

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「赤ヘルの精密機械」と呼ばれ、沢村賞も2度獲得する名投手北別府学

北別府 学(きたべっぷ まなぶ)

北別府 学(きたべっぷ まなぶ)

1957年7月12日生まれ
身長181cm、体重85kg
右投げ右打ち
ポジション:投手

広島カープ黄金期のエースとして、球界にその名を知らしめたスター選手である。
「赤ヘルの精密機械」として2回も沢村賞を獲得する名投手で、古葉監督を、広島東洋カープを大いに盛り上げた一人。

北別府学の獲得タイトル・主な記録と表彰

最多勝:2回 (1982年、1986年)
最優秀防御率:1回 (1986年)
最高勝率:3回 (1985年、1986年、1991年) ※当時連盟表彰なし

MVP:1回 (1986年)
沢村賞:2回 (1982年、1986年)
最優秀投手:2回 (1982年、1986年)
ベストナイン:2回 (1982年、1986年)
ゴールデングラブ賞:1回 (1986年)
月間MVP:3回 (1982年5月、1986年9月、1992年4月)
野球殿堂入り(競技者表彰:2012年)

200勝:1992年7月16日、対中日ドラゴンズ15回戦(ナゴヤ球場)、先発登板で8回1失点 ※史上22人目

北別府学のプレースタイルはこれだ!

球界を代表する【精密機械】

球界を代表する【精密機械】

直球の球威がすごくあるわけではなく、変化球のキレ味が素晴らしいわけでもない。その短所を十分すぎるほど補えるだけの制球力が、北別府学にはあった。
1980年代の広島東洋カープは、山根、小林誠、大野、川口など堂々たるメンバーがいることから投手王国と呼ばれていた。その投手王国の主軸を担う北別府は、直球こそ、MAXで144km/h程度しか届かず、滅多には投げることはなかった。しかし、変化球が、スライダー、カーブ、シュート、スライダーと4種類あり、特にスライダーを内と外と、使い分ける投球術が素晴らしく上手かった。
あの名打者、ブーマー・ウェルズを完全に抑えれるのも針の穴を通すコンロトールがあったからだと思います。

北別府VSブーマー 1984年日本シリーズ 広島市民球場 - YouTube

このシリーズブーマーは、完全に広島投手陣の内角攻めに抑えられてしまいました
出典 youtu.be
コントロールの素晴らしさを語るに、ホームベースに置いた3個の空き缶を、わずか3球ですべて倒したり、引退後の広島コーチ時代にも、現役投手ですら、なかなか成し遂げれなかった筋肉番付という番組のストラックアウトに挑戦し、すべてパネルを倒すパーフェクトを成し遂げるほどのコントロールに絶対的な自信を持った選手だった。

北別府学の生い立ちからプロ入りまでのはなし・・・。

宮崎県立都城農業高等学校で1年生からエースとして活躍。2年上に江川卓(作新学院)がおり、打席で彼の剛速球に驚愕した。3年時、春季九州大会1回戦の伝習館(福岡)戦で完全試合を達成。しかし全国高等学校野球選手権大会には出場できなかった。1975年のドラフト会議にて1位指名され広島東洋カープに入団した[1]。甲子園には出場していないため、この時はまだ全国的には無名の存在で、広島スカウト陣以外には日本ハムファイターズ監督に就任したばかりだった大沢啓二が目をつけているだけだった[1]。大沢は関係者から得た情報を基に北別府の指名を検討していたが、フロントやスカウト陣の反応は薄く、結局獲得は見送られてしまったという[1]。大沢は後に、「無名の選手だったから獲得しようと思えば簡単にできた。指名できなかったのが心残りだ」と語っている。
同期には山根和夫、長内孝、小林誠二らがおり、後のカープの主力選手が揃っている(山根は1977年入団)。

広島東洋カープに入団し、プロに入ってから引退まで。

1年目の新人から、1軍で投げ、初勝利も1年目からあげる。2年目には、先発ローテ入り、3年目には、初の二けた勝利と、めきめきと力を付ける出世街道を走った選手である。


1988年まで、11年連続二けた勝利を達成し、そのうち、1982年には20勝を達成し、沢村賞も獲っている。

精密機械と言われる制球力はプロになってから身につけたもので、周りにいる投手のスピードに圧倒され、スピードでは叶わない。ならば、コントロールを磨こうと努力した賜物らしい。

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1992年には、200勝投手を達成し、広島カープで初めての1億円プレイヤーになるまでの選手になったが、その後は、徐々に成績も残せず、1994年にセ・リーグで一番の本塁打を浴びる金田正一の記録を上回る380を記録したこの年に、現役を退いた。

引退後の精密機械は今、どうしてる?

引退後は広島ホームテレビ・テレビ朝日野球解説者に就任し、その後2001年から2004年まで広島の投手コーチを務めた。2005年より再び広島ホームテレビ解説者を務めている。2005年から2007年まではデイリースポーツ野球評論家も兼任。2007年9月、自身の野球人生を綴った自伝「それでも逃げない」(グラフ社刊、友野康治との共著)を出版、この中で、娘が医学生であることを明かしている。2010年からは沢村賞の選考委員を務める。趣味は家庭菜園。 妻は、元ミス日本である。
往年の対決!!掛布VS北別府

往年の対決!!掛布VS北別府

広島vs阪神19回戦の始球式で、往年の真剣勝負が行われた。結果は、北別府が緊張したのか、四球の結果となった。

タレント活動に、解説と多忙な日々を過ごす北別府学!

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