まるきん まるび
1984年の『金魂巻(キンコンカン)』は、1980年代の代表的職業(コピーライター、イラストレーター、ミュージシャンなど“横文字職業”)にある人々のライフスタイルを鋭く観察したもの。行動がすべてプラス方向に向かい高収入を得られる金持ち「○金」(まるきん)、行動がすべて裏目に出ていつまでも底辺にいる=貧乏な「○ビ」(まるび)」を対比させ、その典型像を図解し、「一億総中流」と言われた当時、同じ職業の中に存在する階層差・所得格差を戯画化した。
くれない族
くれない族の反乱②.wmv
くれない族とは「~してくれない」とよく口にする人やそういった思考の強い人を意味する。くれない族は1984年、TBSテレビで放送された田村正和、大原麗子主演のドラマ『くれない族の反乱』から生まれた言葉である。
それにしても大原麗子さんはほんとにお綺麗でしたねぇ! びっくりしました!
オシンドローム
超人気番組だったNHKの連続テレビ小説『おしん』に因んだ新語。凄まじい苦労の連続を必死に耐え、それでも明るさを失わず他人に優しい主人公「おしん」の姿は、戦後を働き抜き、豊かさを手に入れた日本人の心情に“良質の日本人”像として共感の嵐を巻き起こした。その状況を、全国民の感情が同一にシンドローム化しているとして、『タイム』誌上で「おしんドローム」と表現。
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象徴する有名人
植村直己
1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。3日後の2月16日小型飛行機がマッキンリーに行ったところ、植村と思われる人物が手を振っているのが確認されたが、天候が悪く、視界も悪かったので救出することができずに見失ってしまった。ただし、最終キャンプとして使っていた雪洞に大量の装備が残されていたことから、誤認である可能性が高いと考えられている。その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行われたが発見されることはなく、植村が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、雪洞に残された植村の装備が遺品として発見されるに留まった。
山に生きた植村直己の生涯は、最後は山で終わりました。
この年4月19日に国民栄誉賞を受賞されています。納得ですね。
焦り、絶望、奮起し、そして成し遂げた前人未到の単独冒険紀行「植村直己物語」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
長谷川一夫
戦前から戦後にかけて、二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた[2]。歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。
没後にはなりますが、俳優としては初の国民栄誉賞を受賞されています。