作られた”伝説のセックスシンボル”マリリン・モンローに関するよもやま話
2018年6月22日 更新

作られた”伝説のセックスシンボル”マリリン・モンローに関するよもやま話

皆さんはマリリン・モンローという女優をご存知でしょうか?多分、写真や映画を見て名前だけは知っているという方が殆どではないかと思うし、私がもしも大学時代に米国留学(遊学)してなければ、私も皆さんと同レベルだったでしょう。

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いまもなお世界の男性を魅了し続けるマリリン・モンロー!!

マリリンモンロー ノーリターン

私は”マリリン・モンロー”と言うと、直ぐに頭の中で『マリリン・モンロー・ノー・リターン』という野坂昭如氏のとんでもない歌が蘇ってきた。”この世はもうじきおしまいだ”というフレーズが頭の隅を過ぎって行く。ところで、この歌とマリリン・モンローは直接関係ないのだが、なぜか、この歌が蘇ってきた。この歌を聴きながらマリリン・モンローのことを思い出そうとして、画像などを眺めているとなんとも言えない哀切な感情を抱いてしまうのは私だけであろうか!?。

本田美奈子. - 1986年のマリリン

この歌も頭を過ぎっている!!

マリリン・モンローとは??

映画『ナイアガラ』(1953年)出演時のマリリン・モンロー

映画『ナイアガラ』(1953年)出演時のマリリン・モンロー

マリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国の女優、モデルである。”金髪”、”左側の上唇近くの頬のほくろ”、”ふくよかな唇”、”少し哀愁を帯びた笑顔(モンロー・スマイル)”、”空ろなため息”、”ちょっぴり太った体型にメロン並のオッパイ”、”お尻をアヒルのように左右に動かしながら歩く(モンロー・ウォーク)姿、等等、全ての世代の男たちを虜にする要素が全て備わった彼女は、1950年代で最も人気のあるセックスシンボルの1人であり、セクシャリティに対する時代の態度を象徴していた。
マリリン・モンローの出生証明書

マリリン・モンローの出生証明書

ロサンゼルスで生まれ育ったマリリンは、彼女の母親が大手映画製作会社のRKOでフィルムカッターの仕事をしていたのだが、精神病を患ってしまい、幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごした。その後、性的虐待及びネグレクト(児童虐待)で支配された養家へ連続して送られ、そのことに起因してか、吃音症を患うようになってしまったそうだ。
生後6ヶ月頃のマリリン

生後6ヶ月頃のマリリン

それは当時の大統領の政策で、里親にはいくらかの補助金が支給されたため、金目当てで子供を引き取る家もあったとされ、モンローもいくつもの家をたらい回しにされたり、今で言うなら児童虐待も受けていたのだろう。

所謂、『モンロー・スマイル』という言葉がある。この言葉は、親の愛情に恵まれていない子供ほど、周囲の大人に気に入られようとして魅力的な笑顔を振りまく傾向があることを示す心理学用語である。『モンロー・スマイル』というのは、ちょっと悲しいスマイルなんですね!!。
マリリン・モンローは、チャーミングだが何処か憂いを持った笑顔で多くの人々を魅了したが、その笑顔は不遇な子供時代に周囲の大人たちの歓心を買うため自然と身に付いたものだと言われているのだ。今や、天才子役全盛時代となったが、オーディションなどで笑顔の印象的な子役を選んでみると、両親の離婚など家庭に複雑な事情を抱えている子供が多いそうで、マリリンにちなんでこの名が付けられたそうだ。
マリリンが19歳の頃に雑誌『YANK』に掲載されたもの

マリリンが19歳の頃に雑誌『YANK』に掲載されたもの

マリリン・モンローは1942年6月19日、16歳で近所に住む20歳の青年、ジム・ドハティ(James Dougherty)と一度目の結婚をする。今考えれば、誰もが早すぎと思うが、当時の米国も言わずと知れた男性優先社会で、しかも家庭が崩壊している不安定な女性が、生きて行くのには、やはり結婚の道しかなかったのかもしれない。マリリンの始めての夫ジムはロッキード航空機製造会社に整備工として勤務していたが、その後海軍に徴兵され輸送船団に乗り組むことになった。独りになったマリリンは航空機部品工場レイディオ・プレーン社に就職し、自活の道を歩き始めて、1944年にたまたま第1映画部隊の写真家に紹介され、幸運にも雑誌モデルとしてキャリアに成功して行く。この写真が陸軍の機関誌『ヤンク』に掲載されたことを機にハリウッドへの道をたどることになる。マリリンの始めての夫はこのような妻の仕事に理解を示さず、わずか4年で離婚してしまう。
マリリンのその写真ネガを見せられた商業写真家のポッター・ヒューズにマリリンは雑誌のカバーガールになることをすすめられると、工場を辞めてハリウッドのモデルクラブ「ブルーブックス・モデルズ・エージェンシー」の専属モデルに応募した(勿論、ポッター・ヒューズの強力な後押しがあればこそだが・・・)。ここでモデルの基礎教程をみっちり仕込まれる。やがて新進の写真家アンドレ・ド・ディーンズと知り合い、モデルとしての才能を開花させる。この年、二人で長い撮影旅行に出かけている。ド・ディーンズはその後、髪をゴールデン・ブロンドに染めたセクシーなピンナップが売りものの雑誌に写真が掲載されるようになる。

マリリンの本当の髪の毛の色は??

マリリンの本当と髪の毛の色は、茶色に近い色で、あの美しいブロンドの髪は染めたものだったのだ。「プレイボーイ」誌にその見事な裸体を載せた際にも、勿論アンダーヘアーの方も茶色でしたが、抜かりなく、金髪に染められていた。自分で、茶色のアンダーヘアーを漂泊していて、薬剤でヤケドしたこともあったそうだ。そのため、有名なシャネルの5番に加えて、裸のまま股間に氷をはさんで寝たというエピソードも残っている。

ちなみに、私もお湯で股間を火傷したことがあるが、それはそれはデリケートな部分の火傷は痛いことこの上なかった。まさに生き地獄の様でした!!。
悩ましい!!マリリン!

悩ましい!!マリリン!

マリリンは1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』という映画に端役で初出演するが、あまりぱっとせず、コロムビア映画に移籍し、『コーラスのレディたち』で準主役となる。コロムビア映画とはその映画一本のみで終わってしまったために、その後は再びヌードモデルなどをしながら演技の勉強をし、エージェント(交渉代理業者)を探し続けた。生活が苦しく家賃や車の月賦が払えなかったためにカレンダーのヌードモデルになったり、1953年には『PLAYBOY』誌創刊号で表紙を飾った。

さあ、皆さん!!お待ちかねの写真だ!!

Playboy International Speci...

Playboy International Specials - First Edition Reprint

これはPlayboy創刊号の復刻版だ。 刊行60年の歴史のスタートとなった創刊号はマリリン・モンローが表紙。1953年9月に発行された『PLAYBOY』。マリリンの魅力のおかげか、数週間で売り切れとなり、同誌の名前は一躍世界中で有名になってしまった。私は米国で、この『PLAYBOY』のマリリン・モンロー写真を見たことがあるが、中味には、もっと”エグ”い物も沢山あり、ご紹介したいところだが、あいにく日本では「風営法」が厳しく、これが精一杯だろう!!。
でも、ネットで検索したら、ありますね!!。是貸しでも見たい方は検索してみたら??。
1951年にエージェントのジョニー・ハイドの尽力で『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総て』に出演、注目される。以後、数本の映画に脇役で出演し、1952年の『ノックは無用』で準主役。1953年『ナイアガラ』では不倫相手と夫の殺害を計画する悪女を主演し、腰を振って歩く仕草(モンロー・ウォーク)で世の男性の注目を集める。続く『紳士は金髪がお好き』(1953)、『百万長者と結婚する方法』(1953)や『七年目の浮気』(1955)が大ヒットして一躍トップスターとなった。

出演作の紹介

マリリンモンローのナイアガラ最終部分

モンローウォークが見れます!!

悪女のモンローもなかなか良くて、個人的にはこの路線も磨いてほしかった。今こんな話をしても・・・であるが、勿論純粋無垢な魅力を否定する気はないが、童顔とのギャップでセクシーさが一層映える気がした。

南佳孝/モンロー・ウォークMonroe Walk

私はモンロー・ウォークというと、この曲が頭の中に流れてきた!!

紳士は金髪がお好き (字幕版)

金髪のローレライ(モンロー)は“金”、黒髪のドロシー(ラッセル)は“男”が目的だ。だがフランスへ向かう客船の中で紳士から貰った髪飾りが、パリについた二人を騒動に巻き込む事になった・・・。とにかく、モンロー&ラッセルに尽きる。甘えん坊で頼りなくちょっとオツムの弱い感じがするモンローと、鉄火肌で野性味溢れるラッセルの、全くタイプの異なるセクシーさが良い。ミュージカルとしては歌曲シーンに今一つ優れているものが感じられないが、それもこれも二人の魅力でカバーされていると言ってよいだろう。
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