西川のりお    超尖った若手時代。怒りと嫉妬を糧にパワフルに走り続けるお笑い暴走機関車。
2023年11月25日 更新

西川のりお 超尖った若手時代。怒りと嫉妬を糧にパワフルに走り続けるお笑い暴走機関車。

いくら時代が変わろうと「安心してみられる」なんて、西川のりおにとってはホメ言葉でも何でもない。言語同断の暴走! 気骨ある叫び! ! 針が振り切れる危なっかしさ!!!

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島田紳助 ② ヤングおー!おー! 桂三枝 松本竜助 西川のりお 上方よしお ザ・ぼんち おさむ まさと 川村龍一 三宅裕司 山瀬まみ 海老名泰孝 桂文枝 林家正蔵 モー烈

「ヤングOh!Oh!」は、若手芸人にとって憧れの番組だった。
番組の起こりは、桂三枝。
弟子入り後、1年足らずで深夜ラジオ「歌え!MBSヤングタウン」のパーソナリティに抜擢されると
「ひとりぼっちでいる時のあなたにロマンチックな明かりを灯す、 便所場の電球みたいな桂三枝です」
という独特の語りかけと
「オヨヨ」
「いらっしゃーい」
というギャグでブレイク。
「ヤングOh!Oh!」は、「歌え!MBSヤングタウン」のテレビ版で、合言葉は「若者の電波解放区」
司会は桂三枝と笑福亭仁鶴が行っていたが、すぐに横山やすし・西川きよしも加わり、吉本芸人による大喜利、コント、漫才、トークをメインに、多彩なゲストが登場し、アイドルが歌を歌った。
桂三枝は
「あっち向いてホイ!」
「さわってさわってナンでしょう(箱の中身はなんだろな)」
「たたいて・かぶって・ジャンケンポン」
などのゲームを考案。
吉本にとって「ヤングOh!Oh!」は、新喜劇や劇場中継以外の初めての番組だったが、爆発的な人気を得て、松竹芸能が独占していた上方お笑い勢力図を逆転させた。
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桂三枝、笑福亭仁鶴、横山やすし・西川きよしは「吉本御三家」、桂三枝、笑福亭仁鶴、3ヵ月遅れてで番組レギュラーとなって「嘆きのボイン」を大ヒットさせた月亭可朝は「上方落語若手三羽烏」と呼ばれた。
桂三枝は、落語家としても、また吉本のトップ争いということでも、漫才師のやすきよをライバル視していた。
ある日、西川のりおは楽屋で西川きよしに
「昼飯に僕が何をごちそうしたか三枝君にいうたげて」
といわれ
「重亭のハンバーグをいただきました」
と答えると、西川きよしは目をむきながら
「あそこのハンバーグ、なかなかいい値段するよな」
すると桂三枝が
「重亭のハンバーグなんかでエエのんか?
もっといいもんを食べに行くか?」
といい、吉本の権力闘争に巻き込まれた。
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素人時代、予選を勝ち抜いて、「ヤングタウン」に3週連続で出演したことがある西川のりおは、「ヤングOh!Oh!」に呼ばれて、喜んだ。
しかもてっきり前説だと思っていたが、いってみるといきなり本番に参加させてもらい、
「一生、前座専門で、一生、電波に乗れんヤツもようけおるけどね」
と悦に浸った。
「ヤングOh!Oh!」は、スタジオに客を入れての公開録画番組。
自分が出る放送日、西川のりおは京都花月の近くにあるお好み焼き屋「しんせつ」にいき、店内のテレビで「ヤングOh!Oh!」を鑑賞。
店員が
「のりおさん!
出てるやん!!」
が驚くと、内心うれしくてうれしくて叫びたかったが我慢し、さりげなく
「まあな・・・」
番組の最後に
「大型新人登場!!のりお・よしお、乞ご期待!!」
というスーパーが出て、西川のりおはさら喜んだ。
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こうして彗星のように「ヤングOh!Oh!」にデビューした西川のりお。
明石家さんまに
「兄さん、すごいですね」
といわれると
「まあな。
オレ、「ヤングOh!Oh!」なんか知らなんだ。
お前も出たいか?
こんな番組」
と答え、すごくいい気分に。
3回目の出演で
「オーメン!!」
というギャグが大ウケし、笑いと拍手がドッときて、天にも昇る気持ちになった。
そして明石家さんまに
「兄さん、やりましたなあ。
これでレギュラー決定ですね」
といわれると
「まあな。
今度、紹介したるわ」
といった。
ところが欠員が出て桂三枝の推薦で「ヤングOh!Oh!」に出演した明石家さんまは、プロ野球選手の小林繁の形態模写で大ブレイク。
どこに行っても声をかけられ、サインを求められるさんまをみて、影が薄くなった西川のりおは
「俺のオーメンはどうなったんや」
と嘆いた。
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ザ・ぼんちも「ヤングOh!Oh!」に出ていたが、こちらは最初あまりウケず、カットされて映っているのはエンディングで手を振っているだけの回もあり、西川のりおは
「俺らは打率10割や。
やれば必ずオンエアされる。
お前らは10回のうち3回くらいはオンエアされたかな」
といった。
やがて番組プロデューサーに
「ザ・ドリフターズみたいなんをやれ。
ウケたらコーナーを持たせてやる」
といわれ、西川のりお・上方よしお、B&B、ザ・ぼんち、そして明石家さんまの7人でコントユニットを結成し、前説を担当。
西川のりお、島田洋七、ぼんちおさむの3人が好き勝手に暴れ、吉本の林正之助会長は
「あのバイ菌どもを、はよ降ろせ。
2度と出すな」
と激怒。
それを聞いた7人は、自らユニット名を「ビールス(Virus)7」とし、番組のレギュラーに。
キャラの被る西川のりおと島田洋七は度々殴り合いの大ゲンカをし、20歳そこそこの明石家さんまは、仲裁に入り、2人の機嫌をとるために代わりに殴られ
「初めて大人の汚い世界をみた」
のりお、洋七、おさむの荒くれ者3人と、よしお、洋八、まさとの傍観者3人、合計6人の先輩をコントロールするさんまは、やがて他のコーナーで司会を任されるようになった。
桂文珍は、
「さんま君、今日もアンタが司会?」
「はい、よろしくお願いします」
「フン!
偉ぁなったんやね」
西川のりおは女性にキャーキャーと騒がれる後輩をみて
「俺もやったるわい」
と勇んだが、無理だった。
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「ヤングOh!Oh!」が大人気で放送されている最中、空前の漫才ブームが勃発した。
まず日曜日の21時に放送されていた関西テレビ「花王名人劇場」で「おかしなおかしな漫才同窓会」というコーナーができ、新旧の漫才師が競演。
すると13~16%という異例の高視聴率となり、気をよくした「花王名人劇場」は、「激突!漫才新幹線」で、横山やすし・西川やすし、星セント・ルイス、B&Bという関東と関西の人気漫才師を競演させ、18%超え。
これをみて各局も新しいバラエティー番組を製作し始め、どのチャンネルでも漫才がみられるようになり、フジテレビで「THE MANZAI」が始まると一気にブームとなった。
フジテレビの横澤彪プロデューサー、佐藤義和ディレクターらがつくる「THE MANZAI」は数組が漫才をするというシンプルな内容ながら革新的だった。
フジテレビ第10スタジオに豪華なセットを組み、若い客を入れ、漫才の前にはショートPRムービーが流れ、登場時の出囃子はフランク・シナトラの「When You're Smiling(君微笑めば)」
出演者はベテランではなく若手が中心。
出演順は抽選で決め、楽屋には緊張感が漂い、舞台では真剣勝負が行われた。
ブームを牽引したのは、関東では、星セント・ルイス、ツービート、B&B、関西では、横山やすし・きよし、中田カウス・ボタン、西川のりお・上方よしお、ザ・ぼんち、太平サブロー・シロー、オール阪神・巨人、島田紳助・松本竜介など。
特にザ・ぼんちの人気はすさまじく、夏休みになるといつもは客の年齢層が高めの花月に若者が押し寄せ、ザ・ぼんちが登場すると多数のクラッカーが鳴らして、紙テープが投げた。
そして2人の出番が終わると一斉に席を立って出待ちに走った。
劇場は一気に客が減って、冷め、ザ・ぼんちの後に出演した芸人は苦笑い。
全芸人が、ザ・ぼんちの後に舞台に立つのをイヤがった。
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それまでいまひとつ波に乗れてなかった西川のりお・上方よしおにとって、漫才ブームは大きな転機となった。
西川のりおは、相方をドツいたり、首を絞めたりする「暴走キャラ」、ガラガラ声で「ホーホケキョ」、腰を前後に動かして「ツクツクボーシッ、ツクツクボーシッ」、時代劇「旗本退屈男」をモチーフにした「天下御免の向こう傷、拙者、早乙女主水之介」などギャグでブレイクした。
「僕らは漫才ブームで爆売れしてるときも女の子にキャーキャーはいわれなかった。
ザ・ぼんちとかB&Bとかはいわれてましたけど。
そのときも僕はヒールにみられたかったんです。
のりおはなんちゅうやっちゃと思われてても、そやけど俺は最後まで残ったるぞという気持ちでやってましたから。
マラソンでいうたらね、トップ集団の3着か4着にずっとおる奴。
やらしいやっちゃ、こいつまだへばりついとるわといわれる、そういう奴になりたいんですわ」
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ツービート、若土あきら、オール阪神・巨人、チャンバラトリオらと一緒に山口県、小倉の結婚式場「平安閣」のオープンイベントへ。
ブライダルフェアということでたくさんの若い女性がウエディングドレスを着ていて、彼女たちに話しかけて笑わせ、その後、舞台で漫才を行うのが仕事だった。
その内容に
「悪くないね」
と思った西川のりおは、手八丁口八丁で笑わせた。
そして仕事後、女の子たちと待ち合わせをし、数人の芸人と飲みに行った。
もはや独壇場となった西川のりおは、みんなを笑わすだけ笑わせ、飲めや歌えの大騒ぎ。
(これはひょっとすると・・・)
と手応えを感じていたが、目当てにしていた女性の彼氏が現れ、
(彼氏いるなら先にいえ!)
彼氏に
「俺、今日、客席にいたんですよ」
といわれ、
(知るか!)
さらにステージの様子を説明する彼氏に
「そしたらコイツがね」
とコイツ呼ばわりされてもつくり笑い。
結局、3万円のギャラは飲み代に消えた。
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「他の奴らはうまいことやってるんちゃうか」
と思いながらホテルに戻るとラウンジでビートきよしが女の子といて
「あんまりフラフラしたらダメだよ」
「お父さん、お母さん心配するよ」
と足を組みながら説教しつつ、
「ところで今日は泊まっていいの?」
と口説くのを目撃。
部屋に戻る途中、ビートたけしにバッタリ会って
「どないしたん?
飲みに行かへんかったんか?」
と聞くと
「当たりめえだよ。
行ったってしょうがねえじゃねえか。
でっ、お前らどうだった?
成果はあったの?」
「・・・・」
「ホラッ、その顔!!
ダメだったんだろ。
みんなそういう結果になるんだから。
アホだね、まったく。
オレはもう、ちゃんとスタンバイしてあんだよ。
そろそろ女が部屋に来るってわけ。
ナッ、違うだろ?
お前らと。
さあ部屋でゆっくりTVでも観て、1発やるか!」
意気揚々と部屋に戻っていくたけしに西川のりおは心の中で
(お前なんか死んでまえ)
しかし翌日、
「どやった?」
と聞くと
「シャレなんないよ。
2時半に女が来るっていうからさ。
タンスの中に隠れたり、ベッドの下にもぐったりしてさ・・・・」
「なんで?」
「だって驚かして・・・
笑いも必要だなっ思ったんだ。
どうしたら面白いか考えたわけよ。
気がついたら5時だもん。
まいっちゃうよ。
ホントッ、シャレなんないぜ」
「それでタレ(女性)が来たん?」
「来るわけないだろ。
オレは九州には2度と来ねえぞ」
西川のりおの憂さは一気に晴れ、グッスリ寝れた分、自分の勝ちだと思った。
Just a moment... (2551961)

以前、東京で1度だけ関係を持ち、その後、教えてもらった電話番号にかけたがつながらなかった女性と赤坂のホテルでバッタリ再会。
「偶然やないか。
どないしてたん?」
「私、今日、ここに泊まってるの」
「俺も泊まってるんや。
ちょっとよかったらコーヒーでも行けへん」
「でも人待たせてるから」
「アホいうな。
逃がさへんで」
「絶対逃げへんから。
ほら、キーもあるし」
西川のりおは、その部屋番号を記憶しつつ、
「男と泊まってるんやろ」
「そんなことない。
1人よ」
「それにしてもひどいやないか。
あれから何度も電話したんやで」
「ごめんなさい。
私も連絡しようと思ってたの」
「今日、俺の部屋来てくれる?」
「そんなに焦らなくていいでしょ」
「焦ってるわけやないけど、俺、久しぶりやからな」
しかし彼女はラウンジで人と待ち合わせがあるという。
「男やろ?」
「いえ、ちょっと仕事のお話があるの」
「何の話やねん」
粘る西川のりおに、ついに彼女は部屋に入ってキス。
「行かなくちゃいけないの。
行かせて。
12時半には必ず来るから」
「そんなんいうて、またダマそういうんちゃうやろな」
「どうしたの。
疑り深いわね。
最近、何かあった?」
「アホいえ。
まあエエワわ。
12時半に来てくれるんやな」
時間は23時。
西川のりおは、プロ野球ニュースをみてから風呂に入り、オーデコロンを体にふりかけた。
しかし24時半になっても女性は来ない。
「まあ、時間通りには来んわな」
25時になっても来ないのでフロントに電話すると
「お部屋に入っておられます」
といわれ、直接女性の部屋に電話したが誰も出ない。
「12時半やなくて2時半の聞き間違いかもしれへん」
と自分を勇気づけ、待った。
すると廊下を歩く音が聞こえたので、ドアまでいってのぞき穴に目を当てると向かいの部屋にアベックが入っていった。
それをみてガマンできなくなった西川のりおは、再び女性の部屋に電話。
すると
「もしもし」
といきなり男性が出て、かすかに女性のうめき声も聞こえた。
(してる最中や!)
西川のりおは、あわてて電話を切った。
その後、女性のうめき声が耳に残って寝れず、睡眠不足のため東京の仕事は空回り。
大阪に帰って、
「オレは、また女が信用でけへんようになった」
といって楽屋を笑わせたが、この話を坂田利夫に嫁にバラされ、誰も信用できなくなった。
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