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村田兆治(1989年)
投手 | 球団 | 達成年 | 勝敗 | 防御率 |
---|---|---|---|---|
村田兆治 | ロッテオリオンズ | 1989 | 7勝9敗 | 2.50 |
1989年は、東京オリオンズ時代から在籍する村田兆治の22年目のシーズンで、40歳目前ながら、最優秀防御率のタイトルを獲得します。ベテランらしからぬ投球を見せ、マサカリ投法も健在。5月には、通算200勝を達成しています。
登板した22試合はすべて先発。しかもそのうち、16試合は完投、3試合で完封勝利を挙げています。しかし、村田が完投した試合の戦績は、6勝7敗3分。しかもそのうち、4試合が延長戦で2敗2分と報われない結果に終わっています。その結果、最終成績は防御率2.50に対し、7勝9敗とまさかの負け越し。実際、ロッテのこの年の戦績は、48勝74敗8分と最下位に終わっています。
翌1990年は40歳代でに二桁勝利をあげるも、23年間の現役生活に幕を下ろしました。
登板した22試合はすべて先発。しかもそのうち、16試合は完投、3試合で完封勝利を挙げています。しかし、村田が完投した試合の戦績は、6勝7敗3分。しかもそのうち、4試合が延長戦で2敗2分と報われない結果に終わっています。その結果、最終成績は防御率2.50に対し、7勝9敗とまさかの負け越し。実際、ロッテのこの年の戦績は、48勝74敗8分と最下位に終わっています。
翌1990年は40歳代でに二桁勝利をあげるも、23年間の現役生活に幕を下ろしました。
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ネイサン・ミンチー(2001年)
投手 | 球団 | 達成年 | 勝敗 | 防御率 |
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ネイサン・ミンチー | 千葉ロッテマリーンズ | 2001 | 12勝14敗 | 3.26 |
ネイサン・ミンチーが最優秀防御率のタイトルを獲得したのは、広島東洋カープから移籍した初年の2001年のこと。規定投球回数ギリギリで達成する投手も多い中、ミンチーはすべて先発登板で200回以上投げてタイトルを獲得しました。
フルイニング投げて自責点2〜3点で負けた試合も多く、中でも、8月19日の西武戦は9回3安打自責点0で負け投手になっています。その結果、30試合に先発登板し、5試合完投するものの、12勝14敗の負け越し。防御率3.26は、セパ両リーグ合わせて歴代2番目に悪い数字です。
2002〜2003年も先発で二桁勝利を挙げ、チームの躍進に貢献しています。
フルイニング投げて自責点2〜3点で負けた試合も多く、中でも、8月19日の西武戦は9回3安打自責点0で負け投手になっています。その結果、30試合に先発登板し、5試合完投するものの、12勝14敗の負け越し。防御率3.26は、セパ両リーグ合わせて歴代2番目に悪い数字です。
2002〜2003年も先発で二桁勝利を挙げ、チームの躍進に貢献しています。
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金田政彦(2002年)
投手 | 球団 | 達成年 | 勝敗 | 防御率 |
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金田政彦 | オリックス・ブルーウェーブ | 2002 | 4勝9敗 | 2.50 |
金田政彦は、1993年オリックスに入団。1999年に初めて規定投球回に達し、初の二桁勝利を記録します。以降はローテーションの一角を担うようになり、2001年には開幕投手を務めています。
2002年も先発として活躍しますが、この年は打線が不調。7回1失点、7回2失点など好投して先発の役割を果たすも、勝利を逃すことたびたびでした。
チームは、50勝87敗3分の最下位。リーグ2位のチーム防御率3.59に対し、チーム打率は.235でリーグ最下位です。金田は、23試合すべて先発で登板し、140 2/3回を投げて、防御率2.50を記録しますが、4勝9敗の負け越し。史上最も少ない勝利数で、最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
2002年も先発として活躍しますが、この年は打線が不調。7回1失点、7回2失点など好投して先発の役割を果たすも、勝利を逃すことたびたびでした。
チームは、50勝87敗3分の最下位。リーグ2位のチーム防御率3.59に対し、チーム打率は.235でリーグ最下位です。金田は、23試合すべて先発で登板し、140 2/3回を投げて、防御率2.50を記録しますが、4勝9敗の負け越し。史上最も少ない勝利数で、最優秀防御率のタイトルを獲得しました。
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