アコースティックサウンドで心に響く懐かしいソングを奏でるフォークデュオの『ふきのとう』
2016年3月31日 更新

アコースティックサウンドで心に響く懐かしいソングを奏でるフォークデュオの『ふきのとう』

1970年代に活躍した北海道出身の二人組のフォークグループです。雨や風など色々なものをアコースティックなどの楽器で表現していた凄いバンドです。

7,426 view

ふきのとう

『ふきのとう 』

『ふきのとう 』

山木康世と細坪基佳によるフォークデュオ。
活動期間 1972年結成し、1992年に解散。
ふきのとうは、北海道出身のフォークデュオで1970年代に活躍した二人組グループで、アコースティックサウンドで二人の優しいハーモニーが魅力的なバンドでした。

バンド結成

細坪基佳は1971年10月に大学のフォークソング研究会に入部し、バンドごと練習をする事になりました。
まだ、僕はどのグループにも入っていないわけですから、どうしようかと戸惑っていると、ジローズの「愛とあなたのために」を演奏しているグループがいたんです。「この曲なら、僕も一緒に歌える」と思い、そのグループの元へ駆け寄り、ハーモニーに参加しました。でも、何度歌っても上手くいかず、困り果てていると、ひとりの部員が近づいて来て「オレと歌ってみよう」といってくれたんです。一緒に歌ってみると、完璧にハーモニーが重なるんです。2、3度歌っていると、いつの間にか他の部員が歌うのを止めて、みんな、僕らの歌に耳を傾けているんです。それが、2歳年上の山木康世との出会いでした」
1982年に細坪基佳と山木康世の二人は、友達と4人でバンド『マッド・スライド・スリム』を組みますが暫くして解散します。その後二人はユニットを組みました。当時のユニット名は『メロディー』。そしてアマチュア音楽コンテストに出場しました。またNHK札幌放送局のテレビ番組に出演し、バンド改名した事で『ふきのとう』と名乗ります。

デビューするまでのエピソード

1973年のある日、彼らが出演していた札幌市内のライブハウスに、偶然立ち寄ったレコード会社のスタッフとの出会いが、「ふきのとう」の音楽人生を変えることになるのでした。
「コンテストに度々出場、入賞も果たし、「ふきのとう」の名前は北海道では少しずつ知られる存在になっていきました。コンテストで頻繁に歌っていた「夕暮れの街」の評価も、自分たちの周りでは高かったし。でも、この時は、僕らは、音楽では、生活できないと思っていたので、プロデビューするつもりは全くありませんでした。ある日、ライブハウスにやってきたエレックレコードのスタッフからプロデビューの誘いを受けるまでは」。
プロデビューするつもりが全く無かった「ふきのとう」のふたりは、エレックレコードからの誘いを一度は断ります。しかし、その数か月後、再びそのレコード会社のスタッフが、北海道を訪れて、再び「ふきのとう」にプロデビューの話を持ち掛けます。「2度目に会った時、その人はエレックレコードを辞め、新しい事務所を立ち上げる準備をしていました。今度は、「CBSソニーが、ふたりの東京での生活の準備もするから、プロデビューしないか」と言ってきたんです」。
一度は断ったプロデビューの話ですが、度重なる誘いに、「ふきのとう」のふたりは悩んだあげく、今度は応じることにします。「僕は大学卒業が迫り、就職の事を考えないといけない時期でした。山木さんは大学を卒業して就職した直後でした。元々プロデビューする考えは全く無かったふたりでしたが、生活の準備をしてくれるなら、3年ぐらいは、社会経験を積む意味でも、やってみようと考え、プロデビューの誘いを受けることにしたんです」。1974年3月、プロデビューを決めた「ふきのとう」のふたりは、デモテープ作りのために上京します。

デビュー後のバンド経歴

1974年9月21日にデビューシングル『白い冬』を発表。

1974年9月21日にデビューシングル『白い冬』を発表。

セールスチャート最高位14位、約18万5000枚を売上ました。
B面の「夕暮れの街」は、デビュー前にヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト北海道大会で入賞した際の曲です。

フォーク・J-POP 白い冬 ふきのとう - YouTube

白い冬の音源です。
1978年には年間250本のコンサートを行っていたようです。そしてふきのとうの活動中にヒットした曲の中で5曲を下記の動画で紹介します。

風来坊 - YouTube

1977年7月21日にシングル『風来坊』を発売

ふきのとう/流星ワルツ (1977年) - YouTube

1977年12月21日にシングル『流星ワルツ』を発売

ふきのとう/思い出通り雨 (1978年) ♪再生第1位 - YouTube

1978年9月21日にシングル『思い出通り雨』を発売

ふきのとう/春雷 『LIVE 風をあつめて』(1980年)  ♪再生第3位 - YouTube

1979年2月25日にシングル『春雷』を発売

やさしさとして思い出として - YouTube

1980年1月21日にシングル『やさしさとして想い出として』を発売
1981年、ふきのとうのプライベートレーベル「Silv...

1981年、ふきのとうのプライベートレーベル「Silverland」(シルバーランド)を設立。その第1弾として、同年の5月21日にシングル「メロディー」を発売。

ふきのとう/メロディー (1981年) - YouTube

メロディーの音源です。
41 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

フォークデュオ『雅夢(がむ)』のデビュー曲「愛はかげろう」は、中森明菜がカバーするほど有名になった!!

フォークデュオ『雅夢(がむ)』のデビュー曲「愛はかげろう」は、中森明菜がカバーするほど有名になった!!

雅夢は、三浦和人と中川敏一が大学在学中に結成した2人組のフォークデュオグループです。デビューシングルの『愛はかげろう』は、雅夢の中で最もヒットした曲であり、カバーもされています。
星ゾラ | 6,132 view
【訃報】ギタリストの白田“RUDEE”一秀さん死去。80年代のジャパメタブームをけん引

【訃報】ギタリストの白田“RUDEE”一秀さん死去。80年代のジャパメタブームをけん引

日本のジャパメタ、ハードロックシーンで活躍したギタリスト・白田“RUDEE”一秀さんが29日、脳出血のため亡くなっていたことが明らかとなりました。60歳でした。
隣人速報 | 500 view
【訃報】“エレキの神様”として知られたギタリスト・寺内タケシさん死去。

【訃報】“エレキの神様”として知られたギタリスト・寺内タケシさん死去。

日本におけるエレキギターの第一人者で、「エレキの神様」「テリー」の愛称で親しまれたギタリスト・寺内タケシさんが18日、器質性肺炎のため神奈川県横浜市内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。82歳でした。
隣人速報 | 559 view
【訃報】日本初のフュージョンバンド「PRISM」などで活躍したギタリスト・和田アキラさん死去。

【訃報】日本初のフュージョンバンド「PRISM」などで活躍したギタリスト・和田アキラさん死去。

フュージョンバンド「PRISM(プリズム)」などで活躍したギタリスト・和田アキラさんが28日、敗血症による多臓器不全のため神奈川県内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。64歳でした。
隣人速報 | 2,477 view
ジブリの音楽、どれが1番好き?懐かしの思い出が蘇る80~90年代の名曲!

ジブリの音楽、どれが1番好き?懐かしの思い出が蘇る80~90年代の名曲!

小さい頃から見ているジブリ映画。大人になって再放送で何回見ても、飽きることがない不思議な魅力がありますよね。聞くだけで懐かしいあの頃を思い出す、80~90年代のジブリ曲を振り返ります。
snomama | 697 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト