全国でのコンサートはどこも盛況であったが、「春雷」以降、ヒットには恵まれず、山木と細坪の間には亀裂が入り始める。背景には、楽曲・歌唱力双方で力をつけてきた細坪と、あくまで自分の曲を細坪が歌うことがふきのとうのスタイルである、とこだわった山木との考えの違いが大きくなっていったということがあった。
細坪は、アレンジ面で外部から第三者を招き、ふきのとうをより進化させたいという考えが強くなってきたため、細坪・山木双方の曲が両A面シングルとなるなど、関係修復は次第に難しくなり、グループ結成18年目で解散を決意するに至る。
沖縄で人気がありました。
1977~78年 風来坊・流星ワルツ・影法師 の頃だと思いますがこの年の沖縄におけるレコード売上、コンサート動員、有線放送・ラジオのリクエスト全てに関して、あのピンク・レディーを押さえて!(笑)ふきのとうがNo.1を記録したんだそうです。
ふきのとう/ここは沖縄 (1978年) - YouTube
ツイッターでは、バンドについて懐かしむ声もありました。
今日は「エヴァー・ラスト/ふきのとう」を聞いています。ラストライブ盤ではなく、全曲アコースティックのセルカバー盤の方。演奏もアレンジも、もちろん最高の名盤だと思うの
— snow (@snow_mama) January 19, 2014
自分が一番好きだったグループふきのとう pic.twitter.com/MGGCiBvRik
— しなっぺ (@caminta3618) August 16, 2015
色んなグループが色んな事情で再結成してるけど、無理だとわかりつつもBOOWYとふきのとうの再結成を切望する
— 岸本元 (@bowwowolf) December 31, 2015
解散後にバンドについて山木康世が語る
「年間150本とか200本近く全国をコンサートで回ってて、おカネを使う暇がなく、たまる一方だった。札幌にマンションを買ったのが、一番大きな買い物。札幌に行ったときの宿に使ってます」