【小久保裕紀】ホークス・ジャイアンツの主将から、ジャパンの監督へ
2016年11月25日 更新

【小久保裕紀】ホークス・ジャイアンツの主将から、ジャパンの監督へ

ダイエーのリーダーだった小久保は突然の無償トレードで巨人に移籍するが、巨人でもリーダーシップを発揮。他球団から来た選手としては異例の巨人の主将となる。その後ダイエーに復帰し、引退後は「日本代表監督」を務めている小久保選手の球歴を振り返る。

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待望視されていた小久保選手の復帰

待望視されていた小久保選手の復帰

ホークス復帰後、小久保選手は怪我や持病の首痛の痛みと戦いながら、主力打者として活躍。
人格的にも若手選手から慕われる「真のキャプテン」として存在感を増していきます。
松中選手と

松中選手と

チームは、クライマックスシリーズを突破できない状況が続きましたが、2011年の日本シリーズで小久保選手は全試合に出場。打率.320、第4戦と5戦の2試合連続先制打を放ち、8年ぶりの日本一に貢献し、日本シリーズMVPを獲得。そして2012年椎間板ヘルニアの痛みと戦いながら2000本安打を達成するのです。
2000本安打を達成

2000本安打を達成

引退試合で・・・

数多くの怪我と戦った小久保選手は、2000本安打達成を置土産に引退を表明。引退試合が10月8日に決まります。引退試合を迎える打者に対して全球直球で勝負するのが通例となっていますが、この事に対して、小久保選手は「真剣勝負で来て欲しい」とコメントを発表。すると、相手投手の西投手が見事な投球を披露し、なんとノーヒットノーランを達成するのです。

2012.10.08 H0-3Bs 小久保引退試合でオリックス西がノーノー達成!!

ソフトバンク小久保の引退試合は、オリックス西が完璧なピッチングを見せ、ノーヒットノーランという劇的な幕切れとなった。 (10月8日 ソフトバンク-オリックス 試合ハイライト)
プロ通算18年間で413本の本塁打を放った小久保選手。その選手生活は怪我と戦い、またフロントと軋轢を生んだ事もありましたが、ファンに愛され、そしてチームメイトから慕われた選手でした。

小久保裕紀 ホームラン集

「あの采配」

引退後、小久保氏は、野球の日本代表「侍ジャパン」の監督に就任。これまでの日本代表監督が、NPB12球団の監督経験者だったが、小久保氏は監督経験はおろか、コーチの経験も無い。
その事が「WBSCプレミア12」を戦う前から小久保氏の采配を不安視されていました。皮肉な事に準決勝で逆転負けを喫した韓国戦での投手起用でその不安が当たる事になってしまいました。
 (1558159)

この敗戦による批判が高まり、監督解任論も出ましたが、結局その後も続投が発表。
この苦い経験をどう生かすか。小久保氏の指導者としての能力が問われています。
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